目先の重さも大事だと思う次第。
アマゾンプライムに入会し、タブレットを買ったのは去年のことだった。kindleと悩んでfireタブレットにしたのだけれど、これがぼちぼち重い。重いのだ。
いや、買ったこと自体には満足していて、私はながら作業がとても好きなので、CMで繰り返し使われているような名曲がさら~っと流れていたり、繰り返し見すぎてこの先の展開も見えに見えているようなドラマ(というか最近はポワロばかり見ている)が流れていたりするのが落ち着く。そんな私にはサブディスプレイ的な役割をこなしてくれるfireタブレットは楽なのだ。
なのだけれど、本を読むには、やっぱり紙がいいと思ったのです。軽いから。
電子書籍と紙書籍を比較したときによく「電子書籍にはこんなに小さな媒体の中に●●●冊も入って場所を取らない!」という話が出る。というか一番の優位性なんだろうね。
けど、別に本って何冊も並べて読むわけではなく、仕事で資料を比較する以外は目の前の1冊と向き合うことがほとんどだ。つまり、手に持つのも1冊。1冊分の本の重さはたかが知れているし、カバンに入れていても「ちょっと今日荷物重いな~」くらいなんだけど、これがタブレットを入れると「おっも!!!!!!!!!!!!」となる。
いや、単なる愚痴なんですけど、でも、本とはなんなのだろうと思わずにはいられないのですよ。
以前より電子書籍に広い心を持てるようになって、雑誌やマンガ、経済系の本などは電子書籍を読むようになった。けれど、それらを物として所有したくないからそうしている。特に引越しをした時に持っているマンガを手放して、同じマンガの電子版を買った。
けれど「本」としての役割は「読むものである」ということに変わりはなくて、電子書籍であっても紙の書籍であっても、何かしらを手に持って読むことには変わりない。
そうなると、1度に1冊しか向き合わない中、本1冊分の重さだけしかかからない紙の書籍は最強じゃない?と思うのだ。
経済学のよく聞く話で「今日1000円あげるのと、1年後1500円あげるのとだと1000円をもらう人が多い」というのがある。もらう価値としてはがぜん1年後の方が高いのに、目先のにんじんにつられがちだよね~って話なのだけど、本に関しては目先の重さ・軽さも大事じゃないか。
肩に負担がかかる。読んでいる時も手が重い。机に置いて読める環境ならいいけれど、いつでもそうとも限らない。
それはそれは便利だ。本だけじゃなく音楽も動画も見れる。けれど、今日私にかかる負担は、1年後の疲労感にも地続きなのだと考えると、やっぱり本を持って歩いた方がいいのか?と思い悩んでしまう。
本の悩みは尽きない。けれど、この悩みは贅沢で心が潤う悩みなのだと思う。そして多分、一生解決しないのだとも思う。
ところで、今までは「書籍」というと「紙」をさすもので差異を表すために「電子書籍」と呼んでいたけれど、ついに昨今「紙書籍」「電子書籍」と言い分けるようになりましたね。いつか逆転するのだろうか。