「ギラン・バレー症候群になった私が二浪を経てやっと大学生になる話」2
隣の市のK病院に連れていかれた私。
(正直、着いてすぐの出来事は覚えていない)
背中から髄液を摂取する検査を行った。
(おそらく脊髄穿刺、後に異常なしと分かる)
この時点で感覚障害あり。針の痛みは全く感じなかった。
不幸中の幸いとでも言ったらいいのか…(苦笑)
そして、自力で排尿ができない(排尿障害)ため、
尿道カテーテルをつけることになる。
この時の私の気持ち。
それはもう、本当に、本当に、絶望的。なんで?って感じ。
どうやってトイレしてたっけ?ってなった。
K病院にいた医者(大学教授でもあったらしい)は言った。
「ストレス性の症状か、ギラン・バレー症候群かなぁ…」
でたでた、またその病名。
K病院ではちゃんとした検査ができないため、翌朝近くの総合病院(A病院とする)へ転院することが告げられた。診療科目は、脳神経内科になる。
K病院に入院した夜、これまた最悪で。
心拍数モニターが耳障りなのはもちろんだが、何より、
2~3時間おきに看護師さんが来ることがしんどかった。
というのも、身体を自分で動かせない、つまり、寝返り動作ができないために、動かしに来てくれるわけだが。
病院の消灯時間は21時で、起床時間は6時。
身体を動かしてもらう度に起きてしまうから、
2~3時間おきに目が覚めるわけ。
上半身の痛みが酷くて、自分で看護師さんを呼ぶこともした気がする。
計何回起きただろうか。
で、寝るまでにも時間がかかるわけで。
なんてったって心拍数モニターがうるさいので。
率直に言って、ストレス。超ストレス。
仕方ないことだって分かってる。
でもやっぱりストレスで。
(これが転院先でも続くことになる)
看護師さんに対しては申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
あーーーーーーーーーーなんでこうなっちゃったかなーー
と思った。
翌朝、A病院に向かうため、救急車へ運ばれる。
気持ちの整理がつかない私に、
微笑みながら言ってくれた看護師さんの言葉。
「頑張るんだよ。応援してるから。」
その光景は今でも鮮明に覚えている。
ストレッチャー上の私は思わず涙ぐんだ。
淡々とした文章になってしまいました…
上記にも示しましたが、突然の出来事で、覚えていないことも多く…
当時の私の身体状況が伝われば嬉しいです。
そして、この声掛けをしてくださった看護師さんには本当に感謝しています。シンプルだけれど、だからこそ、当時の私にとって、もの凄く心に響いたのかもしれません。
次回以降はA病院での出来事を綴っていきたいと思います。
ありがたいことに、初回投稿では1フォロー&6いいね&1コメントを、前回投稿では5いいねをいただきました。とても嬉しいです。ありがとうございます。今後もよろしくお願いいたします。
それでは。
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noteにはコメント返信機能がないみたいで…
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ですので、(返信)○○様 という形でコメント欄にてコメント返信をさせていただこうと思います。
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