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とても可愛い宝物

年の瀬。仕事が休みになるというだけで普段の休みとなにも変わらないはずなのに、何か特別なことがしたくなる。ありきたりだけど大掃除とか。
世間の流れに身を任せ、わたしは大掃除をする。

ときめかなくなった洋服を捨てたり、使わない化粧品のサンプルを捨てたり、なかなか手をつけられていなかった水回りの掃除をしたり。仕事納めの日にはパソコンのフォルダの中身を整理したりとか。やり始めればすごくサクサク進む。楽しい。
どうしてわたしは時間がないと整理整頓ができないんだろう。
机の上だって常に整理整頓しておけば探し物の時間が減って残業が減るかも。キッチン棚や冷蔵庫の整理をすればもっと早くお弁当が作れるかも。そんな具体的な短縮時間が明示されていない「これをこうしておけばこうなるかも」のために備えるのが、とてつもなく苦手だ。
当然に断捨離も苦手だ。もしかしたら使うかも、これはこういう思い出があるから捨てないほうがいいかも。あるかわからない「もしかしたらこういう機会があるかも」のためになんとなく備えておいて、捨てられない。
あれ、でも、『整理整頓ができない』と『断捨離ができない』。このふたつは同じようで全く違うではないか。例えば化粧品。ちょっと飽きてしまって最近使っていないリップだけど、あの服に合わせたらかわいいかも。捨てられない。でもこれは「このリップをとっておけばもっとかわいい自分になれるかも」という備えなのではないか??捨てられないんじゃない、これは「未来への備え」なのである!


頑張らなくても、断捨離は突然できるようになる。会社を辞めた後その会社のことはどうでも良くなって、わたしは最低で非情な人間だからその会社で働く人たちのことも一瞬でどうでも良くなった。仕事関係の人からもらったものは一切の迷いもなく全部捨てた。LINEの友達からも削除した。
全然好きじゃなかったけどせっかくもらったものだし、なんとなく捨てられなかった中学の部活の先生、後輩からもらった卒業のメッセージカード。よく見たらみんな同じようなテンプレ文章しか書いていないのにイラッとして捨てた。
気持ちが切れたら、一瞬で宝物じゃなくなるんだろうなあ。
なんとなくこれを手放したら後々後悔する、間違った選択のような気がしていたし、人からもらった物を捨てるなんて自分は酷い人間だと思いがちだったけれど、捨てても自分は変わらなかった。完璧になりたいわたしは到底完璧にはなれない悪い人間で、それでもそんな自分のことは変わらず好きでいられたから。

何かを手放したら自分の中に新しい余裕が生まれるよ。捨てるといっても焼却炉にポイして灰になって、ハイ消えてしまいました!というわけじゃなくて、手元から離してクラウドに保存するようなものだ。実物はなくても大事なものは記録しておけばいつでも記憶から取り出せる。気持ちの容量が空いたらまた違う物をたくさん詰め込もう。
これから何千回も繰り返されるであろう日常のおかげで、クラウドの容量は膨大なものになっていくのだろう。

断捨離できないことを正当化したいのかしたくないのか分からなくなってきた。でも今ひとつ分かった。
「断捨離」が苦手でも、思い出を直ぐに取り出せるように「整理整頓」はできているべきである、と、

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