韓国人のテコンドー史観①

 「テコンドーは韓国が空手をパクッて作られた武術にもかかわらず、韓国起源を主張しており日本に対する文化剽窃でけしからん」というのが多くの日本人が韓国武術であるテコンドーに対して感じている事だと思います。

 では、韓国国内ではコレについてどう考えられているのでしょうか?

 果たして本当にネット右翼界隈の日本人が主張する様に「韓国人は歴史を直視できない未開民族」なのでしょうか?

 韓国にナムウィキという日本でいうニコニコ大百科やピクシブ百科事典に近い位置づけで比較的自由に文章を書けるWIKI形式のサイトの書き込みを見ながら、韓国人のテコンドー史観についてみていきたいと思います。

 勿論、日本人の中にも色々な思想を持つ人間が居る様に韓国人の中にも色々な思想を持つ人間が居り、ここで紹介するのはあくまで一例だと言う事をご了承ください。

ナムウィキの記載に見る韓国人の歴史観

https://namu.wiki/w/%ED%83%9C%EA%B6%8C%EB%8F%84

画像1

テコンドーは大韓民国が宗主国の現代創作武術であり、大韓民国の国技である。キックを中心に手と足と他の体の部分を利用して、相手を効果的に制圧することを目指す武道である。

 まず、概要の第一文から「現代創作武術」という単語が出てきます。つまり、韓国人もテコンドーが伝統武術であるという強弁に関して、ちゃんと違和感を覚えている事が分かります。

 勿論、日本人の中に柔道と空手の違いが分からない人が居る様に、空手の起源が沖縄の武術である事を知らない人が居る様に、「テコンドーって何だか良く分からないけど韓国の伝統武術でしょう?」という人類も存在すると思います。

世界テコンドー連盟(WT)は、韓国の伝統武術であるスバクとテッキョンから直接伝承された伝統的な武術と説明しているが、これは不明な点が多い。スバクは高麗時代まで明らかに国技に相当する武道だったが、朝鮮時代に消滅して、現在伝承されていないし、テッキョンはテコンドーと根本的に他の武道であるからである。

 確かに世界テコンドー連盟では未だにテコンドーは長い歴史を持つ伝統武術と喧伝しています。テッキョンやスバクといった朝鮮半島にあった武術の流れを汲んでいるから古代から続いているという主張なのですが、そのテッキョンやスバクからの流れ自体を否定しています。

現代テコンドーは空手が韓国に伝来された後テッキョン、中国拳法のいくつかの要素を組み合わせながら、独自の姿をそろえて発展した武道である。ちょうどテコンドー元老の中でテッキョンを学んだ李元國、ファンギ、崔泓熙などがテッキョンの大きく華やかなキックの技術をテコンドーに積極的に取り入れながら、テコンドーがキック中心の武術として発展してテコンドーだけのユニークなアイデンティティを形成するのに大きな影響を与えた。

 テコンドーが空手の影響を受けている事を一切否定していません。また、中国拳法というのは当時、大日本帝国の占領下にあった朝鮮半島は満州とも繋がりがあったため、テコンドー元老達の一部は満州で中国拳法を学んでいた事が知られています。

テコンドーの歴史

https://namu.wiki/w/%ED%83%9C%EA%B6%8C%EB%8F%84/%EC%97%AD%EC%82%AC

日本の琉球(沖縄)で発生した空手に基づいて、いくつかの中国武術が若干含まれている大韓民国の近現代創作武道である。維新直後に日本全域の古流柔術を統合して作成された柔道のようにテコンドーも光復直後に韓国全域に乱立していた日本の空手系武術と、いくつかの中国武術を統合した武術と見ることができる。
テコンドーは、1944年以来、韓国での松濤館空手、いくつかの中国武術を修練した元老たちが集まって、複数の武道の要素が結合し、再創作された武道である。
世界テコンドー連盟(WT)は、テコンドーが手搏とテッキョンなどの韓国伝統武術に源を置いた武術と主張している。しかし、手搏はテコンドーと直接関連性がない。手搏は三国時代と高麗時代に大きく発達したが、朝鮮時代に文治主義の発達に抑圧され、消えてしまい、現代では、その形態が伝承されていない。テッキョンは直接テコンドーにつながる武術ではない。ただしテコンドーが誕生するきっかけと手技中心の空手を足の技術を中心に改造する動機、そして、残念ながら、空手から始まった歴史を隠す主材料としてテッキョンが利用された。テコンドーの動作の基本原理、特にWT系のテコンドーの高速直線的な動きは、空手ととても似ている。
すなわちテッキョンはテコンドーが誕生することになったきっかけと「テコンドー」という名称に影響を与え、歴史操作のための材料となった点とテコンドーが確立された武術として完成された後にあった技術交流を除けば基本的な技術的な関連性はなく、何よりもテッキョンでテコンドーで渡った技術は皆無するにテコンドーがテッキョンの伝承を受け継いだという話は全く事実ではない。

 しかし、ここまで韓国人によって否定されていたテッキョンとテコンドーのつながりに関しては別の視点(テッキョンはテコンドーに影響を与えた)も存在します。ITFテコンドー側が主張している歴史的な流れ(テッキョンの蹴りがテコンドーの蹴りになった)に関する書き込みです。

テッキョンがテコンドーの根幹になる武術ではなかったとしても、テコンドーが武術として完成された後、テッキョンの影響を受けた証拠は存在する。
テッキョンのキックの技術は、テコンドーの進化と発展のためにきっかけを提供し、第一世代テコンドー(注釈:韓国独立直後の武術家達で後に合流してテコンドーを作り上げていく)の中でテッキョンを学んだ李元國、ファンギ、崔泓熙などがテッキョンの大きく華やかなキックの技術をテコンドーに積極的に取り入れながら、テコンドーが蹴り中心の武術として発展し、ユニークなアイデンティティを形成するのに大きな影響を及ぼした。

 つまり、九大道場の青濤館の李元國や武徳館の黄埼、ITFテコンドーの創始者である崔泓熙などはテッキョンを学んでおりテコンドーの成立に大きな影響を与えたという主張である。

しかし、それにもかかわらず、最も基本的な蹴りの技術である前蹴り(アプチャギ)、横蹴り(ヨプチャギ)、回し蹴り(トルリョチャギ)は基本的に、中国武術と空手にも存在する技術であり、むしろ下半身を狙った蹴りの技術はテコンドーから淘汰された。
継承したり、その技術を導入したと主張するテッキョンは下半身への蹴りや足払いが主流の技術であり、その足払いや手わざを用いて柔道や柔術の様に相手を倒す戦術を主に駆使している。初期テコンドー人がテッキョンを正しく理解し、自分の空手と融合をした場合、むしろテコンドーは蹴り中心の立ち技格闘技ではなく、柔術や柔道、現在の総合格闘技のような形で発展したはずである。立ち技格闘技のテコンドーは、そのような技術が自然淘汰されている。これはテッキョンがテコンドーの基本的な母胎ができないことを意味する。
黄埼はテッキョンのキックの技術をそのままテコンドーに適用してみたが組手での効用が低かった。
1950年代テコンドーでフルコンタクト組手が導入されて活性化され、テコンドーは手技中心の空手とは差別化された足の技術中心の武術に発展することになった。

そして、それに対する反論が同じWIKIの中に書き加えられているのが非常に面白い。更にはテッキョンの動画を載せる事で現代のテコンドーとの差異を主張している。

更に、松濤館空手の戦前の稽古の映像(リンク切れ)を提示して、

テコンドーの長老たちの大半が修練していた、すなわち、テコンドーの母体となった松濤館空手の基本的なキックを説明するビデオ。テコンドーの大半の蹴りはこの松濤館空手にあった元の蹴りの技術を発展させたものである。

とも書いています。

しかしながら、日本人が主張する様な「空手のパクリとしてのテコンドー」というのも受け取り方が異なります。

 下の動画は現代になってから韓国国技院(柔道における講道館的な立ち位置のWTFテコンドーにおける総本山的な組織)が新しく創作した「ヒムチャリ」という形です。

[교육&강좌] ATU 새품새 "힘차리" ATU New poomsae "Himchari"

テッキョンとは関連性を見つけるのは難しい直線的な蹴りが特徴であり、同時に空手とも異なる、華やかな蹴りの技術が見られる。このようにテコンドーは空手で大きな影響を受けたが、いくつかの武術の様々な要素を受け入れ、独自のアイデンティティを求めた。

つまり、この文章を書いた人は確かに空手を元にしたけれどもテコンドーはテコンドーという全く別のアイデンティティを確立していると主張しています。

しかし、これらの発言をしているのは韓国に居る数少ない親日派なのだろうか? このテコンドーの歴史のページには興味深い幾つかの記述が有ります。

結論を簡単に言えば、テコンドーは空手を母胎に創作された。もちろん空手も琉球(現日本領沖縄)の武術であり、沖縄で発生したが、中国拳法との交流を無視できない。とにかくほとんどのテコンドー元老師範たちが日本で空手を学んできた以上、テコンドーの母胎は空手と見てもよい。
空手は本来、日本本土ではなく、琉球の伝統武術であり、中国に起源を持つ武道である。17世紀の日本薩摩藩の侵略によって武器を所有することができなくなった琉球王国(現在の沖縄)武人が修練したという伝説が広く伝わっている。

 この文章からは日本に対する嫌悪感がにじみ出ています。「確かにテコンドーは空手由来だけど、空手は沖縄文化であって、沖縄は現在は日本に統治されているけれど空手が出来た当時は日本じゃない独立国家で、中国の影響を強く受けてるから純粋な日本文化ではないんだ。テコンドーが日本の影響を受けている訳がない!」という怨念にも似た悲しみが読み取れる文章です。

空手との関連性と相違

 テコンドー道場行けば騎馬立ちと一緒に最初に学ぶ正拳突き。やはり松濤館空手の基本修練法である。正拳握って左右交互に上げることまで同じだ。基本技が同じだというのは二つの武術が同じDNAを持っているということで、まるで親の遺伝子を子が受け継いだものだ。すなわち、テコンドーは徹底的に松濤館空手の子であるわけだ。テコンドー界で粘り強く主張しているテッキョン継承説は詐欺に過ぎず、これまるで猫が犬を生んだのと同じである。
テコンドーは、最初に韓国でのみ発展した武術であった。解放後、韓国に残っていた空手道場を統合して武術団体を作ろうとし、その中心には、大韓民国陸軍将軍であり、独立運動家だった崔泓熙という人物がいた。しかし、テコンドーという新しい武道を作成しようとしている崔泓熙は空手というアイデンティティを守ろうとしていたテコンドー長老たちと対立。さらに軍の後輩だった朴正煕がクーデターで政権を獲得しながら、事実上崔泓熙と彼に従った弟子を完全に排斥することになる。命に脅威を感じた崔泓熙は、最終的にカナダに亡命を申請し、カナダで自分が率いる国際テコンドー連盟(ITF)を再建した。以降、北米のマーシャルアーツブームを利用して大規模な組織の成長はもちろん、テコンドーという名前自体が、北米圏の国々に知られるようになった。これをもとに西側諸国の国々にもテコンドーを普及して巨大な国際的なネットワークを構築することになる。以後、テコンドーの理念が曲げられる事に警戒しながら、自分が創始した民族武術テコンドーを北朝鮮にも伝播するために共産圏諸国にもテコンドーを普及し始めた。
(中略)
ITFテコンドー創始者である崔泓熙はテコンドーのスポーツ化をとても警戒した。WTFがテコンドーを五輪正式種目にしようと努力を書くのを見て、偽のテコンドーと非難をしたりした。
世界的にテコンドーが空手より有名なったという嘘をナムウィキに上げているが空手は流派が多様でそう修練人口はテコンドーよりもはるかに多く、また歴史も長い。

あまりにも長くなったので此処までにします。

此処まで読んでいただけた方は韓国人のテコンドー史観についてどのような感想を抱くでしょうか?

思った以上に歴史に直視して理知的な視点で物事を見ているのではないでしょうか? 次回は韓国人から見た空手の歴史についてもう少し掘り下げていきながら、韓国人がテコンドーと空手の関わり・歴史についてどう考えて居るのかを紹介したいと思います。

御読みいただきありがとうございました。


続きはコチラ