テコンドー選手が増量して筋肉を増やす事の影響を物理学的に考察する

 一般的に、筋肉を増やすと「蹴りが遅くなる」と思われているが、果たして本当なのでしょうか? この記事では、物理学的な見地から増量の影響について議論したいと考えます。

議論しやすい簡単なモデルを考える

 一般的に、筋肉の出力は断面積に比例すると言われています。これは断面積が広いほど筋繊維の数が多くなるためです。人体について考えた時に力学的エネルギーを生成できるのは筋肉の筋収縮に伴う仕事であり、筋肉の断面積をSとすると、筋収縮に伴う張力は比例定数kを用いてkSと書けます。ここに筋肉が稼働した距離ⅹを掛けると筋肉がした仕事が計算できます。
 これが生成された力学的エネルギーとなります。
 この筋肉によって生成された力学的エネルギーがすべて運動エネルギーに変換される場合について考えたいと思います。筋肉の長さをL、密度をρとして、骨格などの非筋肉部位および非稼働筋肉の質量をMとして、仕事とエネルギーの関係式を立てると、

$$
kSx=\frac{(M+ρSL)v^2}{2}
$$

が得られます。この式から、生成されるエネルギーは筋肉の断面積Sと稼働距離xに比例します。例えば、振りかぶったパンチや大きく振り回した回し蹴りのように筋肉の収縮する距離が大きい場合、ⅹが大きくなるので生成されるエネルギーは結果的に大きくなることが示唆されます。

また、エネルギーと仕事の式を変形すると、

$$
v=\sqrt{\frac{2kSx}{M+ρSL}}=\sqrt{\frac{2kx}{(M/S)+ρL}}
$$

が得られます。
この式は筋肉を太くすれば太くするだけ速度が上がることを示唆していますから、「筋肉を増やす事で蹴りが遅くなる」というのは誤りだと思われます。

 一方で、vに対してSについてのグラフを作ると、上に凸の単調増加のグラフとなるため、筋肉を増やす事に対する速度の増加率は筋肉を増やすにつれて減少していく事が分かるので、筋肉を増やし続ければ青天井で速くなるという訳でもありません。
 また、可動域が狭くなる事でⅹが小さくなって生成するエネルギーそのものが低下する事も懸念されます。また、エネルギー生成にかかわらない部位の質量Mが増加すると、全エネルギー自体には変化はないが、速度は低下してしまうので、エネルギーを生成する部位が少なかったりエネルギー伝達の効率が悪いフォームをしている場合、筋肉を増やしてもエネルギー生成にかかわらない質量Mを増やしてしまうだけという可能性もあります。

 従って、筋肉を増やす場合にはエネルギー生成に関わる筋肉を増やす事、エネルギーの伝達を意識したフォームにする事、可動域が狭くならない程度の増量にする事(可動域を狭くするほどの増量は多少の増量では起こりえない)が出来ていればスピードが落ちることはありません。
 一方で、人体の構造上、筋肉だけを増やすという事は出来ません。増量する際には必ず脂肪も増えます。この時、筋肉の増量と脂肪の増量の割合も大切で、脂肪が多く増えてしまう場合にはMが大きくなるので速度が低下してしまいます。
 したがって、適切に増量することで速度を上げながら階級を増やしていくという事が可能になります。実際、韓国代表のイデフンも-58㎏級時代は遅い選手でしたが肉体改造して-68㎏級に転向してからはスピード感ある選手に進化しています。