JGC修行 番外編
はじめに
2024年の年明けは、とてつもなく暗い思いものとなってしまった。
能登地震を知ったのは千歳に向かう空の上。大津波警報の文字に只事ではないことを察知し、ツイッターで情報収集をしていた。
私は東日本大震災の発生後に、三陸に何度か足を運びあの日に起きたこと。復興と呼ばれるまでの足取りを見てきた。
今回の地震が起きた能登半島にも2020年に輪島から南下する形で旅行をした。能登半島の先端は、三陸海岸の奥地と道路状況が似ており、国道が生命線だと感じながら、2日はニュースを見ていた。情報が輪島までしか出てこない中で少しずつ報道スタッフが奥能登から中継をしてくれている。と、思ったときに羽田空港からの中継に切り替わった。
今回、事故を起こしたJALの機体は、この記事の中で、一番最後に新千歳から搭乗したその機体です。
便名は違えど、1日違いで同じ航路で同じ滑走路に着陸した飛行機の最期の姿を見ていると、様々な感情が出てきます。
3日からまた別の旅に出たわけですが、本来ならこの正月休暇にたくさん飛行機に乗って飛び回っていたはず。だからこそ、気持ちの整理にしばらくかかってしまいました。地震はだれのせいで起きたわけでもないけど、海保の飛行機は、地震が発生したからあの時間に羽田から飛ぼうとしていたわけだし、やるせない気持ちだけが残りました。
さて、JGC修行の記録はいろんな方に見ていただいていて、予告もしてしまったし、記録として2024年1月1日の様子を綴ります。
羽田ー福岡
2024年元日。
昨年クリスマスイブに無事にJGC修行を解脱した。
そもそもは、2024年の1月から修行を行う予定だったのだが、JGCプログラムの変更に伴い、2023年までに完了することが必要となったのだ。
なので、2024年に予約していた多くのフライトをキャンセルしたのだが、1月1日のこの便だけは、キャンセルせずに初日の出フライトとしてJALサファイア会員として登場しようと心に決めて修行に取り組んでいた。
初日の出フライトは、いまでは様々な空港から、様々な航空会社で行われているが、今回は通常の運航している路線で富士山と初日の出を同時に見ることはできないだろうかと考えた。
時刻は午前5時20分。P2駐車場からターミナルビルへやってくると、まだ保安検査場が開いていません。初めての光景です。
福岡は南ウィングからの出発なのですでにオープンしている保安検査場に向かいます。
今日からこのJGC保安検査場を利用できるんだ!と、うきうきな気分で記念撮影。しかし実際は、ファーストクラス、JGCエントランスともに行列しており保安検査場は一人しか並んでいませんでした。これなら普通に保安検査を通過したほうが早いですし、羽田空港の保安検査場では、トレイにカバンを載せればペットボトルなんかを出さなくてもいいのでらくちんです。
記念すべきサクララウンジ。
修行期間は、CLUB ESTとクリスタル到達クーポンで不自由なくラウンジも利用できましたが、改めてサファイアに到達してから利用するラウンジは気分がいいものです。
機内に入ると、あけましておめでとうございますと、CAさんからご挨拶いただいて、おめでとうございますと返す言葉が日本人らしくて好きでした。
BGMもお正月仕様になっています。
一方で、クラスJはがらがら。通路側に座っていた方も、窓側に移動されますか?とお声がけされており、窓側にしかお客がいないのも元旦のフライトならではなのかと思います。
朝一番のフライトということもあってか、出発時刻より前から搭乗も始まり、どこで初日の出を拝めるかと思っていたら、あと一人がやってこないということでドアが閉まるのが遅くなり、その間に隣のスポットでプッシュバックが始まってしまい、結局15分遅れの6時45分に滑走路へむけて移動が始まりました。
空も明るくなってきており、初日の出フライトとはいかなそうと覚悟いたしました。
A席に座っていた私は、D滑走路に向かうときに運よく初日の出を見ることができました。ちょうど香港エクスプレスの機体が離陸するところです。
続いて、前方のANA機が滑走路に侵入していきます。
初日の出を見ることができてよかったなぁと、一安心。
富士山と初日の出を見たいと予約した福岡便でしたが、この日は暖かく神奈川県上空はガスっていて、強烈な朝日に照らされてしまい思うように見られませんでした。順光の伊丹や鹿児島便が良いのかもしれないとひとつ学びを得ました。
朝早かったこともありすぐに寝てしまいましたが、福岡市街地は雨。
初日の出を羽田で見られたのは幸運でした。
福岡空港に到着してみると随分きれいな印象です。
最後に利用したのはSFC修行中の2019年で、ちょうどターミナルビル工事をしていたと記憶しています。
ちなみに福岡空港に着陸したのはなんと10年以上ぶりで、あの当時はまだANAのポケモンジャンボが就航していました。ずいぶんと久しぶりです。
朝ごはんに博多やりうどん別邸で肉ごぼう天うどんセットに丸天をいただきました。大満足のうどんで、こしがないといわれる博多のうどんですが、こちらはそこそこにこしもあり、明太子も大ぶりでした。再訪します。
福岡ー羽田
羽田にはANAのプレミアムクラスで帰ります。
久しぶり(といっても2か月)のANA便は懐かしい気持ちです。
今回は、おせちの食べ比べということで、まずはANA便に搭乗します。
2024年のANAのおせちの提供は、10:30までに出発する朝食便のみのようで、すぐに羽田に引き返します。
ANAラウンジは5分ほどしかいませんでしたが、せっかくなので牛乳を一杯。
あっという間の福岡楽しかったです。
今度はゆっくりと訪れたいものです。
実は初めての新プレミアムクラス。
この日はB787-9でしたが、とにかく広い。座席間隔もシートの座り心地も快適で、やはりクラスJとは別物で、JALのファーストクラスの個室感よりも開放的で、短距離路線ならこのプレミアムクラスが良いと思いました。
となりが空席だったということも大きな要因にも思えますが。
九州を抜けると地上の景色がよく見えました。
スマホとミラーレスカメラをひっきりなしに構えなおして夢中に撮影していました。
窓の外に夢中になっていると、おせちが運ばれてきました。
黒い箱に金色の文字。高級感が漂います。
この日は車なのが残念ですが、おいしくいただきます。
すぐに淡路島がみえてきました。
おせち食べてないのに、こんな景色見られないからとひとりでわちゃわちゃ。あべのハルカスもしっかり確認できる晴天でした。
ここらでようやくおせちを落ち着いていただきました。
この日はもやっていたものの、全体的によく晴れていました。
現像がまにあっていないのでスマホの写真が並びました。
羽田ー新千歳
ファーストクラス保安検査場にやってきました。
お昼近くの羽田空港はどこも混んでいて、まだ3時間以上も搭乗まで時間がありますが、ダイヤモンドプラチナラウンジを利用できるので、引きこもります。
パソコン作業がたまっていたのと、マッサージチェアに3回も座り有意義なラウンジ滞在となりました。
結局3時間半ほどラウンジにいて、機内へ向かいます。
お正月のメニュー表
甘酒がラインナップにあるのは嬉しいです。
この日は車なので、さっそくお願いしました。
北関東上空でしょうか。それとも左上に見えているのは霞ケ浦だろうか。
そんなときに、機内Wi-Fiを繋いでYahoo!を開きました。
大津波警報の文字が目に飛び込んできました。理解するのに10秒ほどかかったでしょうか。空の上にいたので当然揺れも感じませんし、緊急地震速報も鳴りませんでしたので、大津波警報の文字がすぐに理解できなかったのです。
このとき時刻は16時36分。Twitterには多くの情報がつぶやかれていました。
動画は見られないので、画像と文字で地震の全容把握を目指します。
客室乗務員の方に伺えば、小松空港はクローズしているけど、新千歳は問題ありませんよ。とのことでした。
10分後、楽しみにしていたおせちが届きました。が、
私はそれどころではなく情報収集を続けていました。
これは、東日本大震災に匹敵する地震かもしれない。その一方で、機内にはこの地震のことを知らない人たちも多く、空の上で優雅におせちをいただくというギャップに、味わうことができませんでした。
その上でですが、日ごろの機内食と比べるとANAのおせちのほうが満足度がありました。普段のJALの温かい食事は美味しいですからね。
そんな中で1週間ぶりの新千歳に到着しました。
新千歳ー羽田
新千歳空港は混雑していて、ニュースを見たいこともあって早々に制限エリア内に入りました。
冬の北海道らしい光景です。
座席は5A。Group2になったおかげで、機内にすぐに入れます。
すると、いつもご利用ありがとうございます。と、客室乗務員の方からお声がけいただきました。クラスJでは初めてのことです。
周りに誰もいなかったからとは思いますが嬉しいものです。
機内では、情報収集をしていました。
東京湾の上空まで戻ってくると、もうすぐ羽田だな、帰ってきたなと安心感があります。
こうして、私を羽田に運んでくれた機体がA350-900のJA13XJです。
翌日の夕方も、美しい夕暮れの中を、同じように大勢の人を乗せて羽田空港に向けて降下したことだろうと思います。
羽田に到着したのは搭乗口12。JGC修行のはじまりとおわりの場所に戻ってこられて嬉しかったです。
最終便が出発したあとも小松行2便の欠航が知らされていました。
この時はまだ、翌日のことは知る由もありません。
おわりに
事実上最後のJGC修行はとても楽しいものでした。
また、大きな遅延もなく行程を消化できたことも幸いなことでした。
2023年はコロナもあけて、いよいよ本格的に人の動きが活発になった2024年。SFCとJGCを利用して、旅に出かけていきたいと思います。
そして、いつどこで被災するかわからないことを改めて確認して、常にアンテナを張った生活の大切さを再認識しました。
最後になりますが、能登半島地震で亡くなられた方、海上保安庁機搭乗の5名の方のご冥福をお祈りいたします。
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