映画感想『コンセント 同意』
注意:
R15相当以上となるような暴力表現・性表現は、可能な限り避けますが、感想を書いてる映画のテーマがテーマなだけに、御気分が悪くなった方は、すぐに読むのをやめて下さい。
はっきりと作品の内容から言えば、「下衆いロリコンひひ爺ィの毒牙にかかった少女」の話です。
この時点で嫌な気分になりそうな方は読むのをやめて下さい。
あと「エロ映画の話か」と思って、そっち系の興味で読もうとしてる方も、この時点で読むのをやめて下さい。エロ関係の興味が動機で、この文章を最後まで読んだ場合、今後の人生において、ある特定のパターンの男性向けエロ・コンテンツや「なろう系」小説の中でも出来がイマイチな作品を読んだり見たりした時に、吐き気がするようになったり、男性であれば玉や竿が縮み上がるようになる可能性が有ります。
警告はしましたよ。
映画館で流れてた予告以上の情報を仕入れずに観に行ったのですが、何か、妙に荒い粒子のフィルムで撮ったかのような映像が続くなぁ……と思ったら、良く良く観ると、今の我々にとって当り前のモノが出て来ない。
TVはブラウン管式。
そして、この文章を読まれてる方の目の前に有るであろうモノが一切無い。ええ、スマホやPCですよ。
早い話が、この映画のメインの舞台は1980年代です。
で、話のテーマがテーマだけに、芸術映画っぽく美しく撮影されていればいるほど嫌な予感しかしない。
主人公と悪役の、まぁ、そう云うシーンも美しく芸術的に見えますが、美しく芸術的に見えれば見えるほど、もう恐怖しかない。
余談ですが「実はおぞましい事が起きてるのに、表面的には美しく芸術的に描く事で恐怖や不安を煽る」って手法は表現手法として結構有効かも。
本作のいわば「ヴィラン」は「時代の反逆者」を気取り反道徳的な作品で「お堅い良識に挑戦する『表現の自由』の旗手」と見做されてた人物です。
とは言え、よくよく観ると(いや、よくよく観るまでもないけど)、この人物、中高年の男(今の感覚からすると、当時の実年齢より老けて見える)で「時代への反逆」「良識への挑戦」と言いつつ、書いてる作戦は、すげ〜古臭い内容のモノにしか思えない。
むしろ、良識に立ち向かうよりも、こんな、「世間に反逆してるつもりで、実は世間によって守られてる」ようなしょ〜もねえ中年男に立向う事こそが「表現の自由」にとっては、よっぽど有意義だし、新しい時代を切り開く事につながるとしか思えない。
ええ、昨今でも「良識への挑戦を通じた『表現の自由』」的な事を主張してる人とかアンチ・ポリコレ系の人とかにも良く居ますね、こんな下らねえ奴。
本作の「ヴィラン」が「本人も周囲も世間も大物だと思い込んでるだけの、実は、しょ〜もねえ哀れな男」なのが、ある意味でミソなのです。
何かの間違いで、自分自身も世間も「大物」だと勘違いした裸の王様がどんどん暴走を続け、主人公である少女は、その犠牲になる訳です。
あ、最後の警告です。
こいつは実在してた小説家で、この映画は実話が元になっています。
で、テーマとしては重い話なのに、俺が観た時には、途中で近くの席で失笑してる人が居まして……いや、その気持ち、良く判ります。
悪役が主人公を絡め取っていく手段が、いや、もう、ありがちなまでの「洗脳の常套手段」なんですよ。
最初は「君は特別な存在だ」と言いつつ、洗脳完了した時には、その対象は「自分は無価値な存在で『御主人様』『教祖様』の愛を失なったら全てを失なってしまう」と思い込んでしまっている。
しかも、洗脳されたのはミドルティーンの子供。
要は「早く大人になりたい」「自分は同年代の他の子とは違っている筈だ」と思ってしまうぐらいの年齢な訳です。
洗脳とは何ぞやの知識は無いだろうし(まして1980年代)、しかも、洗脳に一番引っ掛かり易い年齢と……。
しかも、これまた洗脳の常套手段ですが、洗脳完了された時には、親とかとのつながりは切れちゃってる訳です
でも、こんなヒロイン、出来がアレな「なろう系」に良く居ませんかね?
作品世界の中では「特別な存在」にも関わらず、精神的には男主人公に依存しきってて、「このヒロインの男性主人公との間以外の人間関係ってどうなってんだろ? このヒロインにも、それまで、それなりの人生って有った筈だよな?」ってようなの。
しかも、この作品の悪役は、毒牙にかけた未成年者との「愛」を小説にしてる訳です。
おい、待て、警察何やってる?(一応、少年課が動いてるけど)
当然、主人公と悪役の間の「愛」も小説にされます。
もう、そこからが最悪で、その時点で主人公は洗脳は解けかけてるんだけど、主人公が行ってる学校の先生達は、その小説に出て来る少女のモデルが何者なのか、薄々察してる訳です。
何せ、この悪役、顔が知られた有名人の小説家なのに、主人公が通ってる学校の近くに出没してる。
有名小説家が自分とこの学校の生徒を親でも無いのに何故か迎えに来てて、しかも、そいつが書いてるのがロリコン小説だったら、そりゃ、余程鈍い人じゃない限り、何か気付きますわ。
いや、警察に通報しろよ。
まぁ、
「職員室で問題になってるけど、僕だけは君の味方だよ」
と言ってくれる男の先生も居ますよ。
暗に「俺にもやらせろ」って言ってる訳ですけどね。
で、何故か、主人公は悪役の代表作を本屋で買おうとすると、店員から「あ、それは君にはまだ早い」と止められます。
ところが、代りに勧められた悪役の別の小説は、どう考えてもロリコン小説。
で、悪役と同棲するようになってからも、その代表作を読もうとすると、悪役も悪役からも同じ事を言われる。
「どう考えてもロリコン小説」よりも「子供に読ませるのには早い」小説って何だよ? と思ってたら……悪役が留守の間に、とうとう、主人公は、その小説を読んでしまいます。
で、その内容は……最初から最悪で「フィリピンのマニラで男の子を買春した。中には10歳未満の子も居た。複数人を一度に買った事も有る」。
挙句の果てには、主人公の洗脳が解けかけた時に、主人公に言った言葉が、
「一緒にマニラに旅行しよう。私が愛した国の素晴しさを君にも知って欲しい」
油断と迂闊さにも程が有る。この屑野郎、ちょっとした想定外でも大失敗するタイプだな。
いや、良く有る詭弁で「同性愛はOKなのに、何でロリコンはNGなんだ」ってのが有りますが、それが詭弁に過ぎない事が良く判りますね。
多分、人間の中には一定数「支配してる『自分より劣った相手』にしか恋愛感情や性欲を抱けない」奴が居る。
そいつにとって「恋愛」が成就した時こそ、そいつがパートナーに選んだ不幸な誰かの人生がブッ壊れてしまうような奴が居る。
いや、ひょっとしたら自分で気付いてないだけで、偉そうな事を言ってる俺だって、そんな屑の1人かも知れない。
そして、同性愛であれ異性愛であれ大人同士の恋愛関係を築ける人達よりも、幼児性愛者の方が、そう云う屑人間の割合は、どう考えても明らかに有意にデカい。
出来がアレな「なろう系」小説なんかでも、「小説だから『この後、主人公とヒロインは末永く幸せに暮しましたとさ』で終るけど、ホンマに小説が完結した後も登場人物達の人生が続くとしたら、このヒロインの人生は、どう考えても主人公のせいでブッ壊れちまってるだろ」ってのが有りますよね。
オウム真理教事件の時に物心付いてた人なら、多分、ある事を疑問に思ったんじゃないかと思います。
何で、あんな、しょ〜もねえおっちゃんが、すげ〜高学歴の人達を洗脳出来たのかって?
でも、話は逆なんじゃないですかね?
支配・被支配の人間関係しか築けなかった、しょ〜もない人間が、それでも何とか生きてく手段として「洗脳」のスキルを身に付けるしか無かったのかも知れないんじゃないかと。
フィクションでは、誰かを洗脳するのが得意な奴は「悪党なりに大物」として描かれる場合が多いけど、現実では「洗脳が得意」ってのは、洗脳のスキルを身に付けるしか無かったよ〜なしょ〜もねえ奴が、案外、多いんじゃないですかね。
ただね、すげ〜しょ〜もねえ小悪党でも、誰かの人生を無茶苦茶にする事は出来るんですよ。
この映画の悪役のように。
で、この映画の悪役は、現実の世界では、主人公が大人になってから出した告発本(この映画の原作)により、80過ぎてから名声も何もかも全て失ないました。
本で得た名声を武器に未成年者を食い物にしてきた屑野郎は、本によって報いを受けた訳です。
ざまあ見ろ。
あ……と、ここまで書いてきて、「一見すると、普通の『なろう系』小説、でも、良く良く読むと『この主人公、とんだ屑野郎で、ヒロインの人生って、この主人公のせいでブッ壊されてないか??』って内容で、オチは『主人公が、それまで武器としてきた何かによって全てを失なう』ような『ざまぁ系』」って話を書けねえかな?……という馬鹿な発想が脳裏に……。