note のアクセス解析についてわかったこと
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1.アクセス状況のデータは、0 時から 4 時間ごとに 1 日 6 回更新される
2.一度公開した記事を削除しても、その分のデータが「全期間」では残る
3.ログイン中も含め、自分で自分の記事を見た分もビュー数に含まれる
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それぞれの項目について、少し補足説明をしていきます。
■ 1.1日6回更新される
例としてある日の更新時間が、
0:50 4:04 8:05 12:21 16:34 20:38
のようになっていました。更新時刻は日によって若干の誤差がありますが、1日6回更新されるのは一定のようです。
■ 2.削除した記事のデータも残る
登録したての頃に「公開した」記事を、後になって下書き状態に戻しました。完全に消してしまうのも、と思って「下書き」でしばらく置いておいたわけですが、その分のビュー数が加算されているのは邪魔だなと思い、結局、記事を削除しました。
しかし、一旦「公開した」記事の分のビュー数は、記事を削除しても「全期間」のデータには残る、ということがわかりました。
■ 3.自分が見た分も数に入る
無料のブログサービスに備わっている「アクセス解析」の場合だと、自分のアクセス数は除かれないことが多いので、note はどうなんだろうと思っていました。
最初は、1.のようになっていることがわからず、ある程度リアルタイムで計測されると考えていました。だから、一旦アップした記事を推敲中に、何回アクセスしても数字が変わらないので、ログイン中ならカウントされないのかな、などと思っていたのです。
しかし、自分が見た分もしっかりカウントされています。
ほとんど誰も来ない私のページだから調べられることですが (^_^;)、
・ログイン中かどうかにかかわらず
・どのようにそのページに入ったかにかかわらず
→「もっとみる」を押した
→ 前後のページのリンクから見た
→ 記事へのリンクから見た⋯⋯など
自分の足跡もベタベタとカウントされていきます。
マイページのホームで、記事の並びを見ているときはカウントされませんが、その状態だと長い記事は全文が見られないので、記事に入ってしまえば1 カウント、になります。
▶▶▶▶▶ 以下、蛇足です
私がこれまでに使ったことのあるものだと、nifty のブログサービス(ココログ)では、無料のアクセス解析でも自分のアクセスを除くことができました。
また、JUGEM と Blogger では、サイト内のアクセス解析の性能はよくありませんでしたが、Google Analytics を利用できたため、そちらで自分のアクセスを除くようにすれば、ある程度精度の高い状態でビュー数を確認することができました。
私の場合は、とにかくオウンアクセスが多すぎるので、これまでもそうしたものを利用して、できるだけ実質に近いビュー数を把握するようにしていたため、note ではどうなのかなと思って調べ、わかった点をまとめました。
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アクセス解析などは、記事が 10 も無いうちに気にしても仕方のないことで、その暇があったら、記事を書け、というところです。
ただ私の場合、自分の足跡がカウントされているとなると、それがどのくらいになっているかは意識しておいた方がいいかな、と思いました。
(誰も来ていないのに、誰かが見てくれていると思っているというのも、幸せかもしれません。でも、ほんとに誰も来ていないのだったら、日記帳に書けばいいということにもなりますので^^; )
自分で見た分もカウントされるとわかってからは、やたらと自分の記事を開かないようにしています。しかし、それまでは「自分で自分の記事を見ている」回数がだいぶ多かったので、
2019年5 月 3 日の時点では、
・全体ビュー 1446 のうち、実質ご訪問頂いた数は 522
ということで、ほとんど 3 分の 1 になりました。
(削除した記事の分=374、自分で見た分=550 で計算)
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こうして数字を出してみると、4 月初旬から仕切り直して、まだ記事は 8 つしかなく、話題もまちまちでありながら、500 を超えるご訪問を頂けた、というのは、初めての快挙なのでは !? と思いました。
note のダッシュボードのデータでは、自分の書いたものがどのように読まれているのか、詳しいことまではわかりません。ですが、Google Analytics で解析することができたサイトでは、訪問者様の動きが「調べたいことがわかれば or わからないから、用は無し」の、ほぼ 100 % 直帰状態でした。
それを考えると、note では、ちょっと前に書いた記事でも思いがけず読まれることがあり、「ついでに他も」歩いてくださっている感じがあり、ともかくも来て頂ければ読んで頂ける可能性もあるわけで、500 という数字にはとても力をもらいました。
ありがとうございます (﹡´◡`﹡ )
📖 ちょこっと古典 📖
(筑波山の頂きから流れ下るみなの川が、やがては淵となるように)
恋心が積もるうちに、こんなにも深くあふれんばかりになったのだなあ
―― つくばねの 峯より落つる みなの川 恋ぞ積もりて 淵となりける
≫ ≫ ≫ ≫ ≫ ≫ ≫ ≫ ≫ ≫ 陽成院( 869 - 949 )『後撰和歌集』巻十一 より
百人一首(そちらでは「淵となりぬる」)にも入っている歌です。この歌では、「はじめは細い流れだった川が、いつしか深い淵になる」として、「恋心が」だんだんとつのっていく様子を表現しています。
ところで、「恋」の語源である動詞の「恋ふ」は、対象を異性には限らず、もっと広い意味で「強く心が惹かれる」状態を表していたとのこと。
しかも、その対象が「目の前にはない」ときに使われるのが、「恋ふ」だということです。
「目の前にはいない」誰かに届くことを思いながら発信をし、その「目の前にはいない」誰かの心を受けとめてくれた人がいて、また発信し続けていくことができる。
こういう「ネット上の活動が」広がっていく様子にも、通ずるところがあるなあと思いました。