ベトナム独立運動家・潘佩珠(ファン・ボイ・チャウ)の『訓練生(くんれんせい)詩』
「ベトナムにいるほんの少数のフランス人が、我々ベトナム人民2千万人以上を統治している。それも全て、奴らの手中に兵力があるからだ。そしてその兵力の実に10分の9がベトナム人だ! もしベトナム兵士が一致団結してフランスを攻撃すれば、フランスはどうしてこれを持ち堪えられようか。」
この文章⇧は、1951年に日本で薨去した、旧ベトナム王国の皇子クオン・デ殿下の自伝『クオン・デ 革命の生涯』の第8章『3か月の南圻滞在』からです。
『ベトナム光復会』の党首だったクオン・デ候は、1909年に国外退去命令を受けて日本を出国、上海へ向かいました。それ以後は、上海、香港、広州、タイ等の拠点を転々としましたが、1913年2月頃、危険を冒して単身ベトナム南部地方へ潜入した、その時の詳細を自伝に語っています。
南部Tiền Giang(ティェン・ザン)省Mỹ Thơ(ミ・トー)から程近い、Chợ Mới(チョ・モイ)村で、20数人のベトナム人兵士たち(正規兵と訓練兵)と謁見した際に、若い彼らに掛けた言葉が上⇧の言葉でした。
ここで云う『ベトナム人兵士』とは、仏印統治政府の為に働く『兵士』を意味します。要するに、外国人による植民地統治政府を維持する為に土民(=ベトナム人)弾圧に派遣される兵士です。。。
クオン・デ候に、兵士達は言いました。
「…だけど考えてみれば、自分たちには強力な軍隊がいないし、まして全国を鼓舞統一し、先頭で指揮する武将も見当たらない。だから結局(反抗する)やる気が失せてしまうのです。(中略)
…ベトナムのフランス人は数が少なくても、フランス本国の政治と軍事は強大です。私達が頑張ってここに駐留する敵軍隊を撃滅しても、フランスはまた兵を連れて来るから、全てを壊滅するなど出来ないでしょう。」
『クオン・デ 革命の生涯』より
「もし我々側に優れた統率者があり、国外支援を十分に得られたなら、必ずや参集し救国戦線に貢献したい」と口を揃えて言う彼らは、『職業兵士』として同胞や家族へ銃口を向けながら、心の中は郷土愛、同胞愛で溢れていたのです。実に切ない。😥😥
この時に、クオン・デ候が諳んじて聞かせたのが、『訓練生(くんれんせい)詩』という潘佩珠(ファン・ボイ・チャウ)の詩でした。
訓練生詩
訓練兵よ 訓練兵よ!
君は安南に生まれ 君は安南に育った
満ち足りて幸せで はしゃぎまわり呆けていたが
卒業して家に帰ると 君は税を搾り取られ死にそうだ!
君の縁者は泣き叫び 君の親者は痩せこけて
考えてみて 解ったかい?
西洋人が 君を愛し慈しんでくれたのか
西洋人が 君に恩義を与えたのか
君は一つの家系の者だ 君は一つの家の者だ
お婆さんに前掛けを掛けてあげながら
お婆さんの首を絞めている
拝むよ 君を拝む
百回 千回 一万回でも 君に拝む
この詩は、横浜で清国の梁啓超(りょう・けいちょう)が印刷してくれた『ベトナム亡国史』(潘佩珠(ファン・ボイ・チャウ)著)に載っていました。しかしこの冊子は、仏印内で発禁処分となった為、広い範囲へ行き渡っていませんでした。
ところで、、、上⇧の日本語訳詩は私、@『何祐子』の作😊😊でして、この詩のベトナム語原文はこちらになります。⇩
”Bài ca Lính Tập(バイ・カ・リン・タップ)”
Các chú tập binh,
Các chú tập binh !
Chú ở Annam trưởng,
Chú sung chú sướng,
Chú phởn chú phê,
Chú mãn khóa về,
Sưu thuế chú chết !
Họ hàng chú la lết,
Thân thích chú xát xơ.
Chú nghĩ lại biết chưa ?
Tây thương yêu chi chú,
Tây công ơn chi chú.
Chú con một họ,
Chú của một nhà,
Yếm bà lại buộc cổ bà,
Lạy lạy chú,
Trăm lạy nghìn lạy muộn lạy chú.
クオン・デ候自伝『クオン・デ 革命の生涯』の原文は日本語ですが、戦後その原本の存在は確認できません。ですので、1957年にクオン・デ候ご遺族がサイゴンで発刊した自伝のベトナム語訳本に載っていた(上述⇧の)ベトナム語詩から日本語へ翻訳しました。けれど、詩とか俳句の翻訳は、翻訳者にも『文学的センス』が求められる為に実はとってもとっても難しい。。。😅😅😅 それでも、「仕方ない…、私がやらねば誰がやる!」と自分を叱咤激励して、乏しい文学センスを捻り出し無い智慧を絞って、何とかベトナム語から日本語に翻訳しましたが…。
けれど、翻訳が丁度終わった頃に、長岡新次郎・川本邦衛両先生編『ヴェトナム亡国史 他』(1966)中の註釈に「この歌の大意」を発見、「なーんだ、あんなに苦労しなくても良かったじゃん…。」と、その時はがっかりしてしまいましたね…。(笑)でも、よくよく見て見ると、私の翻訳もどうしてなかなか(笑)、現代語訳としてこれもまんざらでもないか、、😅😅と思い直しまして、その後に自費出版したこちらの本⇒ ベトナム英雄革命家 畿外候彊㭽 - クオン・デ候: 祖国解放に捧げた生涯 | 何 祐子 |本 | 通販 | Amazonには、私の日本語訳詩の方を載せてあります。
因みに、両先生編の本に載っていた日本語訳というのはこちらです。⇩
兵士たちよ、兵士たちよ。
安南で生れ、安南で長じたあなた方。
楽しかったあの日ごろ、しかし今では、満期になって家に帰れば、税金の苦しみで死ぬばかり。
親しい人たちも一族の人たちも、引きさかれもがき苦しむのを、まさかあなた方は知らぬではあるまい。
いったいフランスは、あなた方を大事にしてくれただろうか、どれだけ恩賞を与えてくれただろうか…。
(あなた方が起ち上がることを)お願いする。千拝万拝してお願いする。
ついでに、潘佩珠(ファン・ボイ・チャウ)の漢語原文はこちら⇩。
各註習生 各註習生 註於安南生 註於安南長
註克註暢 註撫註比 註満限衛 税捜註折死也
戸当註羅劣 親戚註殻車 註擬吏別諸未也
西傷腰之註 西功恩之註 註毘没戸 註貼没茹
厭O吏僕古O 頼頼註 百拝千拝万拝註
『ベトナム亡国史』に掲載ですから、1906年以前の作である此の詩の内容が、当時の仏領インドシナ=西洋植民地主義の実態なのでしょう。
独立後の統一ベトナムでも長い間非常に有名な詩でしたので、数十年前はネット検索すると簡単にヒットしました。でも、今回ベトナム語詩をコピペしようと思って久々に検索掛けたら全然出て来ないんですよね。。。検索方法が悪いのか🙄🙄、しかし以前は簡単にヒットしたので変ですね、奇妙です。
『アメリカ=西洋帝国主義の権化』と戦い、巨大な悪から独立を勝ち取った(筈の)』現政権。なのに、『ベトナム独立革命の父』であるファン・ボイ・チャウ作の、こんなに”良い教訓詩”をスルーするなんて不思議です。。。
まさか!?、ベトナム・ハイソクラス(為政者層)も、日本政治家・官僚らと同じ『贅沢病』に既罹中の可能性もありなのか……?😅😅
検証の為、『訓練生詩』を現代版に意訳してみましょう!😅
子供の頃は何も知らず、学生時代はただ遊んで過ごしていたけれど、
外資・グローバル そんなところで勉強して 社会に出てみれば、
税を搾り取られ死にそうだ!
親戚、縁者は貧困 働き蟻
考えてみてくれないか
どこの資本家が 君を育て慈しみ 恩義を与えてくれたのか
君の祖国はどこだ? 何処の国の人間なんだ?
両親よ 妻子供よと どっかの国の資本家の手先になり
自らの手で 両親、妻子供の老後や未来を奪っている
頼むよ いくらでも頼むから 正気に返ってくれ
@何祐子😅😊😵💫😂🤣