以前読んだ本に、、、
何年か前、日本とベトナム共同調査で『ファン・ボイ・チャウには2人も妻が居た、貴重な新事実の発見!』という文章を読みました。
ワタシの記憶では、日本側ではベトナム研究の大御所某大教授が家系図が何かを確認し、一人子だったファン・ボイ・チャウがお家断絶を防ぐため、革命活動に身を投じる前に2人妻を娶って居たことを確認した、という主旨だったと思います。
😅😅😅😅😅😅😅😅😅。。。
これは。。。か、かなり苦しい、苦しい、苦し過ぎる。。
何故ならば。。。
”ファン・ボイ・チャウの自伝を読めば、これは有り得ないなぁ。。。”(←ワタシの心の声。。😅😅😅)
ということで、、ご当人のファン・ボイ・チャウ自伝『自判』から、百年以上を経て現代に出て来たこの珍説に関して、その成否を探ってみたいと思います。⇩
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ファン・ボイ・チャウ自伝に依れば、彼の両親の名は、⇩
父 :潘文譜(ファン・バン・フォ)氏、
母 :阮氏嫻(グエン・ティ・ニャン)女史
そして、潘(ファン)家の当時の家庭事情ですが、⇩
こんな⇧感じでかなり貧乏で細々した生活で、そしてファン・ボイ・チャウ18歳の時(1884年)に母親が他界しますが、その時の記述がこちらです。⇩
生活に余裕が無い潘家が幼い養女2人を引き取って育てていたとは奇妙に感じますが、その理由が解かる箇所が自伝に書いて有ります。⇩
ここから考えると、慈悲深いファン・ボイ・チャウの母は多分、あの当時抗仏蜂起で戦死や逮捕・流刑・死刑などで両親・親戚を亡くした孤児を引き取って養育してたのかと思います。
日本も、戦前戦後通して戦争孤児が各地に沢山いました。。。😢😢
そしてその後、21歳~30歳位迄の頃を述懐してこの様にも書いてます。⇩
この文章からファン・ボイ・チャウの言いたいことを読み取れば、⇩
・代々男子に恵まれない家系で、
・自分一人しか年父の面倒を見る人間が居ないこと。
・老父の存命中は、自分の革命活動で連累の迷惑を掛けたくない。
・父親の他界で心置きなく『反政府軍』に身を投じる決意をした。
多分養女2人は既に20歳前後位に成長してた筈で、既に他家へ嫁いだか? 兎に角、やっと念願の革命活動スタートです。。。と、こんな時に、家名断絶を防ぐため?、妻を2人も娶って行く?? って、、、
奇妙過ぎますよね。。😑😑😑
ここで、ファン・ボイ・チャウ自身たびたび自著でも取り上げていたベトナムの有名な憂国志士、潘廷逢(ファン・ディン・フン)の史実を見てみます。⇩
。。。。。お、恐ろしすぎる、、、フランス様に逆らえば、両親の墓も伯父の墓も荒され、息子は晒し首と。。。😨😨😨
それでも、ベトナム王国の皇子クオン・デ候は革命活動=反フランス活動に身を投じたファン・ボイ・チャウのことを自伝中でこう表現していまして、、、⇩
『反フランス活動』は『お上=政府』に逆らうことであり、政府に逆らえば、即時に『賊』のレッテルを張られて警察のお尋ね者です。先祖・両親の墓は暴かれ、妻子は八つ裂き・晒し首になっても文句も言えない。
ファン・ボイ・チャウが自身で、
「元来生まれつき親孝行の質だった私は、 父に嫌疑の連累を及ぼすような事は遠巻きにして一切関らず、」
と言ってる様に、1900年34歳の時に父親の他界によって家名が断絶し、漸く後顧の憂が無くなって本格的に革命活動に着手した、そんな時に、、、お家断絶防止で??妻2人??
全然整合性が無いように思いませんか。。
ファン・ボイ・チャウは、潘廷逢(ファン・ディン・フン)氏以外にも抗仏活動で殉難した祖国の志士義人達のことを沢山書き遺してますが、特に自伝中には、日本密航時の道先案内者で抗仏救国運動の先輩だった曾抜虎(タン・バッ・ホー)氏の印象をこう説明してます。⇩
そして、彼の訃報に接した時は、⇩
抗仏同志で頼れる兄貴だったタン・バッ・ホー氏の死。
その彼の死を悼んで、後日『越南義烈史』にはどのようなことを書いていたかというと、、、⇩
そ、、、そうなんですよね。。ファン・ボイ・チャウが最も頼りにし、尊敬していたタン・バッ・ホー氏の、史実を書き留めた哀悼と称賛の文章冒頭が、これ。。。
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ファン・ボイ・チャウ自伝『自判』の出版社アイン・ミン書館の序文にはこう書いてあります。⇩
アイン・ミン書館に依ると、この⇧「ファン・ギ・デ氏」が『サオ・ナム(=ファン・ボイ・チャウ)の息子』です。なので、ここからワタシの推察です。⇩
多分、1925年に上海で逮捕されハノイへ強制送還された後、恩赦でフエ自宅軟禁となったファン・ボイ・チャウは、故郷に居た義妹2人とその家族と再会したでしょう。一人子だった彼には、血は繋がってなくても残された唯一の『家族』です。
それでこの「ファン・ギ・デ氏」とは、多分2人の養女の内のどちらかの息子さんで、夫に先立たれ寡婦になった義妹から頼まれ、ファン・ボイ・チャウが自分の養子に迎えたとかそんな経緯じゃなかったかな、と思います。それなら、自伝から知る彼の性格や考え方、行動と符合する。
えーと、あくまで一主婦の推論ですが。😅😅😅
しかし、もう既に死後80年以上も嘘や捏造、作り話を流布され続けて来た彼にとってみれば、草葉の蔭で恥ずかしさと不名誉で身もだえし髪の毛掻きむしってるんじゃないかな。
自伝の翻訳者としてヒシヒシとそう感じます。。😑😑😑