【他人事にしない】旭川の一件で痛切に感じる「誰かは誰かの大切な人」というゆるぎない事実
今回はこの事件について考えたこと。
「娘の遺体は凍っていた」14歳少女がマイナス17℃の旭川で凍死 背景に上級生の凄惨イジメ《母親が涙の告白》- 文春オンライン -
https://bunshun.jp/articles/-/44765
全部読んだんですけど、涙止まらないですね。
どうしてこういうことが起こるんだろう、とか、どうしてそんなこと平気で言えるんだろう、とか、もし自分の身近で大切な人がこういう目に遭ったら、とか。
事件(もういじめを通り越してるとしか思えないのでこの言葉を使います)が起きてから1年半経ってやっといろいろ動き出したのも、すごく不思議で堪らない。
周りにはたくさん支えてあげられる人がいた。
それなのに、自死を選ばなければいけないほど追い詰められた彼女の苦しみ。
単純に嫌ですよね、こういうことが起きるって。
今の世の中って、感覚が繊細な人が以前よりもかなり増えました。
そしてその分だけ他人に興味関心がない人も増えました。
他人に興味関心がない多くの人が起こしたのが今回の事件なんだと思っています。
自分だけの目線でしか物事を見れない人。
自分だけが良ければと思って行動する人。
こういう人が多すぎませんか?
逆に、相手の立場に立てる人、その目線に一瞬でもなれる人、その気持ちを少しでも分かろうとする人は、ものすごく貴重な存在になってきている気がします。
今回の事件も、相手の立場に立つことができたら絶対防げたことで。
自分が同じことをされたとしたら…
自分の子どもが同じ目に遭っていたとしたら…
そう考えたら深く考えなくてもすぐに正しい行動ができたはずですよね。
それができなかった人が多すぎて、今回は最悪の結果になってしまったワケです。
身近で起こらないと現実味がないから、何も感じられない。
という声は確かにあるかもしれません。
でも、です。
想像くらいは誰にでもできるワケで。
共感能力の高い低いはもちろんあります。
その立場に立てたから何かができて、現実を動かせるのかどうか、と言ったら分かりません。
でも、よりリアルに、より身近に感じようと思えば、誰にだってできることです。
仮に百歩譲って、1mmもかするところがないくらいに自分には関係がないことだ、としましょう。
それでも、「誰かは誰かの大切な人」なんです。
道を歩いてそれ違う人も、コンビニでレジを打ってくれる人も、その一瞬しか接点がないどんな人も、その向こう側には大切な人がいるんです。
そしてこれは相手から見たアナタも全く同じで。
アナタはこの世界のその他大勢の人から見たら、ほぼ赤の他人。
でもアナタが大切だと思う人はいて、アナタを大切に思ってくれている人もいる。
世の中の全ての人にとって、これは全て同じ。
そう考えることができたら、たった14歳で、周りにたくさんいた大事な人たちに自ら死を選んだことを伝えなきゃいけなかった女の子の気持ち、痛いほど分かるんじゃないでしょうか。
だからこの「誰かは誰かの大切な人」という考え方、ぜひ大事にしたいなと思います。
そして一人でも多くの人に広まって、今回のような凄惨な事件が二度と起こらないようになればと、本当に心の底から願うばかりです。
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