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赤ちゃんの絵(2020/10/25~2020/11/1) そして、赤ちゃんと贈与について

1歳を過ぎたころだろうか、赤ちゃんが、わたしや妻に、オヤツなどの食べ物を渡してくれるようになった。ただ渡すだけでなく、口の中に放り込んでくれるのだ。やがて、渡してくれる対象物は、おもちゃやペンなど、色々なものに増えていった。
文化人類学の本を読んでいると、「贈与」ということばが出てくる。誰かに、自分の所有物・貴重品などを渡す行為のことで、「未開」とされた人々の間では盛んに行われていたらしい。
誰かに「与える」という行為は、人間のもっとも基本的なコミュニケーションの一つなのだろうな、そう思う。
ただ、大人の贈与は「見返りを求める」。赤ちゃんの贈与は「見返りを求めない」。赤ちゃんは、「遊び」の一環として、ただ与えるだけだ。大人が「贈り物」を受け取ると、笑ったり、無表情だったり、色々だ。
見返りを求めない「贈与」こそ、人間の根源的なコミュニケーションなのかもしれない。

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↑2020/10/25 母と描いた絵。グルグルグルグルと、丸を描いている。どんどん、新しい動きができるようになっている。


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↑2020/10/26 「ニャー」と言いながら絵を描いている。


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2020/10/28↑ この日は風呂に連れていくとずっと泣いていて大変だった。絵は、円を描くようなものや、塗りつぶすような動きが多い。

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↑2020/10/30 残業から帰ると、妻と赤ちゃんの共同制作がたくさん描かれていた。妻は色塗りのセンスがあり、ヴァシリー・カンディンスキーのような芸術作品が出来上がっていた。この辺のところ、自分のイラストにも昇華できそうで、面白い。
まだ、大人が見て意味のあるような絵にはなっていない。だが、多分、何か対象物を描こうとしているのは間違い無いだろう。

子育てをしたり、仕事柄色々な人と対面したり、文化人類学の本を読んだりしていると、「サラリーマンの常識は、一歩外に出ると非常識なのだな」と思う。お給料をもらって働いていること自体を「卑しい行為」と思う人もいる。「奴隷」と口汚く罵られたこともある。
そうして、いつも、世間と自分の感覚の落差を感じながら、しかし家に帰ると赤ちゃんがいて、赤ちゃんのために頑張って家事をしていると、「ああ、家事にもサラリーマンの常識は通用しないよな」と思う。
肩車をして、赤ちゃんが笑ってくれる時、ああ、こんな嬉しそうな笑い声、なかなか職場では聞けないなぁ、と思うのだ。

でも、サラリーマンも毎日それなりに楽しいけどね。

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