描きたいものと描けるもの(息子の絵)
西暦2022年12月30日、そろそろ人々が眠り支度をするであろう夜の入り口に、この記事を書く。
ふと、自由な時間ができたのだ。
息子と妻は、昨日から明日まで、実家に帰っている。俺も挨拶に行って、夕飯をご馳走になって帰ってきたところだ。
久しぶりで、noteを書く時間ができた。
息子の絵もどんどん貯まっていたが、公開する時間がなかった。ここで、12月中に描いてくれた絵を、一気にアップしようと思う。
世界にあるもの一つひとつに意味を与える能力(志向)と、それを絵に描く能力がどう進歩してきたか、分かると思う。
上の写真は、ペロペロキャンディの絵。YouTubeでペロペロキャンディを作る動画を見るのにハマっていて、それで描こうと思ったようだ。「はらぺこあおむし(絵本)」にペロペロキャンディが出てくるのも、ちゃんと覚えていて、絵本のページをめくり、調べていた。
これは、ケーキの絵。ケーキのスポンジの部分の円筒は俺が描き、デコレーションの果物を息子が描いた。
ここに、心の機能の二つの側面がはっきりと出ている。「認識すること」と「それを実際に描くこと」だ。
息子は、ケーキのスポンジが円筒形であることを理解している。それは、円筒形の上面にだけ具材を描いたことから分かる。だが、自分で円筒形を描いてみることは、できない。大人は、「円筒形を認識すること」と「円筒形を描くこと」がほぼイコールに近いが、まだ3歳の息子では、それが分かれているのだ。
そして、もし、絵を専門に勉強していくなら、この「認識」と「実際に描く」ことの差は、永遠につきまとう。
「脳が認識したそのまま」の円筒形を描く、つまり、デッサンの勉強をすると、それがとんでもなく難しいことが分かる。漫画を描くことだってそうだ。描きたいものは、描けない。どれだけ訓練を積んでも、その溝が埋まることはない。息子は、今、その問題に直面しているように思う。
上記は、「puipuiモルカー」というアニメに出てきた、紫色のキャラクターを描こうとしたもの。両脇にあるのは、ヘッドホンだ。「上手く描けないんだよ」とぼやいていた。
これは、中央に息子、左に父、右に母を描いたもの。目と口がある。体は上手く描けないようだ。
これは、河童の親子の絵を描いたもの。左側が、遠野物語の河童。以前に「遠野物語に登場する河童は赤いんだよね!」と教えたことを、覚えていたのだ。左側が「日本の河童」これは緑色で描いている。真ん中が、その子供だそうだ。
体も描いているが、まだ上手く描けていない。体も、「認識している」、そして「自分の意志で動かすことができる」にも関わらず、まだ描けない。本人もそれに気がついている。
クリスマスプレゼントに絵の具をもらった次の日ぐらいに描いた絵。パンの上に、苺、葡萄、クランベリー、蜜柑、オレンジ、ブルーベリー、キウイ等がトッピングされているところを描いた。
3歳半を過ぎて、できるようになったことをまとめる。
1. 描いたものに、「意味」が備わっている。
2. 人の顔は描けるが、まだ、体、手、足は上手く描けない。描き方を教えても、上手く描けないようだ。
3. 「赤と青を混ぜると紫になる」、「赤と黄色を混ぜるとオレンジになる」、「青と黄色を混ぜると緑になる」ということを理解している。
少しずつ、できることが増えてきた。大人みたいな絵を描くには、まだまだ乗り越えなくてはならないハードルが沢山あるが、優しく見守っていこうとおもう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?