今日、映画「スカイ・クロラ」を見て感じたこと
令和5年3月20日、新潟市では「新潟国際アニメーション映画祭」が開催されています。国や時代を超え、優れたアニメ作品を上映したり、議論したりするこのイベント。今日上映されたのは押井守監督の2008年作「スカイ・クロラ」でした。
初見だったのですが、見終わった瞬間、何とも言えない寂しさが体中を駆け巡りました。その寂しさは決してネガティブな感情ではなく、まるで少年の日の過ぎ去った夏休みとか、二度と戻ることはできない学生生活とか、そんなかけがえのない日を懐かしむような、大事にしたいような気持ちです。
映画を見て、こんな不思議な感情を抱いたのは初めてです。
この映画は、私の人生において大切な作品になると直感したので、未だ熱冷めやらぬ胸のまま、ここに想いを残します。
1.あらすじ
ここは戦争のない平和な世界。
その代わり、毎日のように「ショーとしての戦争」が繰り広げられている。音速の戦闘機が飛び交い、敵機の後ろをとり、そして機銃掃射。黒煙を上げながら海面に向かって墜ちていく機体。その様子をブラウン管で眺めながら、人々は酒場で祝杯を挙げたり、ある時は意気消沈したりする。
この戦争ショーで一般人が死ぬことはない。戦闘機のパイロットは「キルドレ」と呼ばれる、思春期を境に成長の止まったこども達だけだからだ。
彼らは今日も終わりなき戦いのため、空に舞う。
2.この映画の魅力
ここからはこの映画の魅力をお伝えします。
※ネタバレ防止のためストーリー以外で。
(1)リアルで非現実的な映像表現
映画を見始めてすぐに気がつくと思うのですが、この作品、人物の動きがおかしいです。現実の人間よりも人間らしく動きます。いや、「物語の中の人間らしく動く」という方が適切かもしれません。煙草を出して、マッチを擦って、火をつけて、その場にマッチを捨てるという、なんてことない動作のシーンが何度も出てくるのですが、こんなに美しい指の動きで煙草を吸う人間は、絶対この世に存在しません。
それから、新聞をきれいに折りたたむシーン。この平凡な日常シーンにとてつもない作画コストがかけられていることが、どれだけの人の心に届くかは正直わかりませんが、少なくとも私の心には響きました。何気ない所作を現実以上にリアルに描くことで、有無を言わせない説得力を与えています。
気味の悪いくらいリアルな動きの一方で、キルドレ達の造形はシンプルです。のっぺりとしたタッチの青白い表情で、目だけが鋭く光っている少年少女。民間軍事会社に所属している彼らは、誰もが同じ色合いのジャンプスーツやミリタリーコート。登場人物はみな人形のような印象を受けました。
人形のようなキルドレ達が人間以上の重みで動くという対比が、スクリーンの中にある非現実を、質量のある世界として実感させてくれます。
(2)「間」と「音」の演出
この作品のもう一つの魅力は「間」や「音」の演出です。
セリフを畳みかけるような場面は比較的少なく、会話と会話の「間」が、人物の感情を想像させ、個々の台詞をより印象付けます。感情に乏しく、淡々としゃべるキルドレ達のやりとりは、どこか演劇的のような気もしました。
無言で窓の外の飛行場を眺める様子は、自分自身が登場人物になり、物思いに耽っているかのような錯覚を覚えます。
「音」で言えば、戦闘機のエンジン音も印象的です。大編隊を組織し敵地への攻勢をかける際に、無数の戦闘機のエンジン音が響き、気がつくと、自分も空に舞い上がるパイロットの一員になっています。そこから始まるのは無機質で無慈悲なドッグファイト…
また、要所要所で奏でられるメインテーマの旋律も外せません。悠久の時を感じさせるような物悲しいメロディは、川井憲次氏の作曲によるもの。
川井氏はドラマやアニメの劇判を多数手がけている作曲家。NHKの朝ドラにサスペンスドラマ、人気アニメに特撮と幅広い音楽を手掛けていますが、私にとって川井憲次氏の音楽といえば、ゲーム「サンサーラ・ナーガ」シリーズです。
このゲームは押井守氏が監督、音楽が川井氏ということで、実はスカイ・クロラと同じだったりします。サンサーラ・ナーガは輪廻転生をモチーフにしたゲームでした。Ⅱの「フィールド」「空中庭園」は、スカイ・クロラにも通ずる雰囲気を持つ名曲です。
(3)守りたいほどに尊い箱庭感
さて、(1)では映像、(2)では演出による魅力を伝えてきましたが、最後に紹介する魅力は、映像や演出が作り出すこの世界の雰囲気です。
スカイ・クロラの世界は、決して幸福な世界ではなく、ディストピア的な世界です。不毛な戦いを繰り返し続けるキルドレ達に安息はなく、戦争ショーに熱を上げる平和ボケした人々の目はどこか濁っています。
そんな淀んだ雰囲気の人間たちと対比されるように描かれる鮮やかな青い空、白い雲、広がる平原、街の灯、夜の闇といった美しい舞台美術。絶望的な日々を生きながらも、何かを変えようともがくキルドレはこの世界だからこそ映えるのではないでしょうか。
残酷かもしれないですが、一観客に過ぎない私は、この悲しい世界がいつまでも続き、キルドレ達は永遠にこの舞台で踊り続けてほしいと思ってしまいました。この閉じた世界があまりに精巧にでき過ぎているので、箱庭のように傍におき、そっと眺めていたいのです。
3.最後に
スカイ・クロラの上映された「新潟国際アニメーション映画祭」ですが、なんと上映後は押井守監督のトークショーがありました。
心振るわせる映画を体験した後に、その映画の監督の話が聴けるなんて、なんて贅沢な催しでしょう。押井監督の話はとにかく熱量があり、人の心を打つ作品は、こういう熱い人間から生まれるのだなと納得しました。あと、70歳過ぎているのに子供っぽいというか少年っぽいですね。若いクリエーターにはまだまだ負けん!という、がむしゃらさを感じます。
押井監督の話の中で、特に印象に残ったのが「作品は年相応にしか作れない」ということです。
例えばスカイ・クロラを新進気鋭の若いクリエーターで制作したら、今日見たものとは全然別のスカイ・クロラができていたかもしれません。次々に迫りくる敵とのバトル、ド派手な演出、美男美女のロマンス、未来への希望…きっとこれはこれで面白いと思います。
でも押井監督はそうしませんでした。細やかな動きと行間を読ませるような心情描写、余計なものを取り除いた人形のようなこどもたち、そして未来ではなく過去への憧憬。押井監督のスカイ・クロラはそういう作品でした。
スカイ・クロラの制作時の押井監督は50台後半。年を経た監督だからこそ、キルドレにとってはディストピアで、観客にとってはユートピアとなる、美しくも歪んだ世界が表現できたのではないかな。そう感じました。