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PERFECT DAYSの記録──過去の映像に現代を観る(佐伯研)

東京・世田谷の各戸から提供された8ミリフィルム。そこに写っていたのは、家族の団らん、レジャー、社員旅行といった昭和のホームムービーでした。かつて誰かが残した記録を、現代を生きる私たちが分かち合う意味とは。5人のサンデー・インタビュアーズが「アーカイブ」という営みについて考えました。

PERFECT DAYSの記録

映画『PERFECT DAYS』(2023)を観た。カメラは、役所広司演じる主人公平山の、劇的なことは起こらない日常を淡々と記録していく。

平山は、東京下町の築50年は超えていると思われるアパートに独り、暮らしている。古いアパートにしては珍しく二階が付いている、今でいうメゾネットタイプである。部屋には必要最低限のものしか置いていない。布団と本棚と植木鉢。スマホやパソコンはもちろん、テレビすらない。毎朝近所の人が道を掃く箒の音で目を覚まし、歯磨き、花木への水やりを済ませた後、自販機で缶コーヒーを1本買ってから、渋谷近辺のデザイナーズトイレの掃除に出かける。車の中ではカセットテープで70年代アメリカンポップスを聞く。昼になると公園の木漏れ日をフィルムカメラに収める。夕方早い時間に仕事を終えて、銭湯で烏の行水をしてから、浅草の安い居酒屋で酒を飲む。部屋に戻るとお気に入りの本を読んで眠くなったら眠る。誰の指図を受けることなく、時間とやることを自らコントロールできる完璧な日常、すなわちPERFECT DAYSである。

予断を一切排して観れば、いつの時代の生活なのかと思うだろう。試しに頭の中で映像をモノクロ8ミリフィルムに変換してみた。古いアパートがゴミゴミと建て込んだ町並み、木造で畳敷きの殺風景な部屋、安居酒屋の店内とオダをあげるおっさんたちの様子、そっくり世田谷クロニクルの映像そのままだった。むしろ、カラーで撮られた世田谷クロニクルの方が、今に近い時代なのでは?と錯覚するくらいだ。斬新な設計のデザイナーズトイレがかろうじて、この映画を現代につなぎとめていた。アーカイブ映像とは何だろう、拡がる可能性を思う。我々は、もしかしたら、アーカイブ映像に過去を観るだけでなく、現代をも観ていたのかもしれない。

映画の中で平山は言う。「この世界には、本当はたくさんの世界がある。つながっているように見えても、つながっていない世界がある。」時間軸を輪切りにすれば、過去の時代ごとに世界がある。それだけでなく、同時代の平面軸であっても、目に見えない境界線に遮られたたくさんの世界があるのだ。その中には、過去と親密につながっている世界がきっとある。平山の日常が、世田谷クロニクルそのものであるように。

世田谷クロニクルが撮られた戦前から昭和50年代、8ミリフィルムもカメラも映写機も高価で、一般庶民にはなかなか手が届かなかっただろう。高価なフィルムを使って撮られた、とっておきの出来事の記録、それはすなわち、撮影した彼ら彼女らにとってのPERFECT DAYSの記録に他ならない。平山は朝夕に空や夕日を眺めながら独り、満ち足りた笑みを浮かべる。世田谷クロニクルに映っていた大人や子供たちの屈託ない笑顔と、それはとてもよく似ていた。

2024年4月1日

佐伯研 1967年生まれ。世田谷区太子堂に20年ほど在住。サンデー・インタビュアーズに参加する以前から、モノクロの写真や映像に関心をもっている。見知った町の写真や映像の細部を観察しては、かつての町並み、暮らしぶりに想像を巡らせている。

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このエッセイは、居住地も職業もさまざまな5人のサンデー・インタビュアーズが「アーカイブにまつわるエッセイ」をテーマに執筆した文章です。2023年4月からの約1年間、映像を見て、本を読み、それぞれの地域で取り組んでいる活動や関心事をシェアしながら、「アーカイブはだれのもの?」という問いをめぐって、意見を交わしました。

アーカイブはたしかに「みんなのもの」です。では、それが「自分だけのもの」になるとき、いったい何が起きているのでしょうか。それは、どのようにして可能なのでしょうか。日々の生活の現場から“アーカイブ”を考える営みは、これからも続きます。(編集部)


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