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(日記)20250117なかなか便利な言葉「どうだろうね」

 素晴らしいコンテンツを作ろうとして、全く書けない。noteあるあるな気がする。そういうわけで、取るに足らない日記を今日も書く。

 小3の息子がいる。
 双子なのでふたりいる。

 一人は口下手であんまり喋らない。話すことを省こうと、擬音で表現したりすることが特に多い。どうも言語にする力が弱いようだ。親としては心配。
その長男が最近よく使うフレーズが「どうだろうね」。

 「○○はどうだったの?」とか「誰と行ったの?」とか聞くと、「どうだろうね」と返ってくることが増えた。
 一応ちゃんと会話のキャッチボールは投げ返している。「別に」とか「教えない」と拒否している訳でもないし、聞いてないわけでもなさそうだ。そうなると、こちらの打つ手はもうあまりない。なかなか秀逸だ。
 「どうだろうねって何、どういうこと?」と返しても、その後は永遠に「どうだろうね」のループがはじまる。

 どうやら9歳にして「のらりくらりやり過ごす」ことを覚えたらしい。母親からの干渉の防衛に成功している。少し成長したと感じた。

 余白のある言葉は無責任とも言えるかもしれないが、どこか肩の力がふっと抜ける。ベキベキねばねば で背負いこみすぎているときは、「どうだろうね。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないし。」という言葉も持っている自分でいたい。頭でっかちな世界から、「あらゆることの結果としての現実」へと返ってくる。説明に意味があるという前提は、そもそも思い込みかもしれないのだ。

 息子くんのそのふわふわとした柔らかさがありがたい、私にはない柔らかさだ。自分にはない窓から、風が入り込んでくる。

 家族でいてくれてありがとう。


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