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負けこそ毎日。


人はいつも負けながら生きていると思う。だから何となく悶々と日々が過ぎていく。負けて学ぶ。勝つ時は一瞬なのに、その勝ちを掴みたくて日々を負けて過ごしていると思う。
勝つことが続くことはない。それでもまた勝ちたいと思ってしまうのだった。1番になるために勝つには、100人居たら99人は負けているのだから。そう思いませんか?大抵の人は負けていて当たり前。負けても決して恥じることはない、負けて悔しかったら、次に頑張れば良いだけ。自分でどれだけ頑張れたのか⁈が大事なことであって、落ち込んで立ち止まることはない。また勝つまで負け続けばいい。勝つ!瞬間のために日々進んで行くのだ。

 目が覚めてしまった。まだカーテンの隙間は、藍色が薄くなってきてピンク色が混ざりかけて、まだ夜明けだとわかった。普段なら二度寝するところだか、今日は早起きしても身体と気分は上乗だ。2週間後には、最後の夏甲子園への切符が掛かった県大会予選が迫っていた。

 先週末に本番前最後の練習試合で、やってはいけないプレーをしてしまった…2塁ランナーだった自分は、8回裏に走塁ミスで逆転チャンスを潰した。ボーンヘッドになってしまい、普段やらないような動きをしてしまった。あの時、監督の沈黙して目が、座っていながら怒りを抑えた表情は忘れられない。きっと監督は、次戦は自分を先発に選ばないだろう…その瞬間に思った…そう思ったら、目の前が白くなってきて息が止まりそうになっていった…悲しいとか泣くとか通り過ごしてフリーズして氷のように固まっていくのだった。
昨日の状況は、8回裏の攻撃・2-1点で負けている!ワンアウトで2塁ランナー自分、そして打球が痛烈なショートライナーの低い弾道が飛んできて、そのボールがワンバンドした瞬間を見ていたら、ショートが直ぐ横でボールを取ったため、すぐに帰塁して3塁へは走れなかった。しかし、監督が何か言っている?!えっ…なんだっ?何かいけなかったか??次の打者がファールフライでスリーアウトチェンジ。ベンチに戻ると案の定、監督から守備交代を告げられた。結局そのままゲームセット。チームメイトに原因を伺ってみたところ、1点差で負けている状況で、あのライナー打球なら3塁へ向かう方が同点にできるチャンスがあるから、ギャンブルでも走るんだよ!と言われたが、納得はできなかった。アウトになりにいくようなものだ!と反論してしまった。そして試合後自分がどうしていたのか記憶が思い出せない。
その夜は何度もあのシーンを思い出し、何故あの瞬間、あの打球で走らなかったのか?を思い巡らし、反射的に動けなかったのか?三塁へ行ってもアウトになると思ったのか?無理して3塁へ走ってショートの守備ミスを誘うべきだったのか?と考えてはみたがその日は答えは出なかった。緊迫した場面では、ボーンヘッドになるというが、なぜあの場面で気持ちがビビってプレーをしてしまったのか?いやっ別に普段通りに判断したつもりだったのになっ!と考えれば考えるだけイライラとしてきてしまった。次の日には、だんだんとそれも実力なんだと思うしかなかった。悔やんでも、あの試合のあの場面には戻れない…準備不足だったんだ!と反省することで前に進むしかなかった。答えを見つけ出して自分を納得させるには、とにかく早くグランドに行って、体で感じて、あのミス走塁を無くすための練習をして、身体で覚えさせよう!そう思い詰めていた。そして3日目の朝にこれからチームメイトがグランドに来る前までに、1人グランドで再現復習をするぞ!と颯爽に着替えて寮を出た。
 早朝だというのに、前から犬の散歩をしたおばあさんが来たため、すれ違う時に挨拶をしたが、返してはくれなかった…朝方5時だから聞こえなかったかな?少し違和感があった。後から気づくのだったが、僕はすごい怒った顔をして歩いていたのだ。グランドに着いてから、鏡を何気なく見たら、自分が映っている鏡に違う人が映っている!と思う程、ヤバかった!怒った目をしているっ!この顔で前から歩いてきたら、おばあさんは怖くて目を逸らしてしまうだろう。自分では気が付かなかったが、無意識のうちに戦闘モードになっていた。自分でも怖かった。申し訳ないことをしてしまった。そのくらい必死になってしまい、走塁ミスを悔やんでいたせいではあるが、周りが見えてなかった。冷静でいられなければミスはするものだが、そのことに気づく事ができなかった。つまりは根本はそこにあったのだ。
 朝4時の独特の空気感は自分が変わって行く瞬間にいる!と錯覚するような気になって、特別な空間に居ると思った。得した気分になるのだった。でもリラックスし過ぎて気を抜くと、どかどかと眠気が押し寄せて来るのである。この道もあと2時間後には、後輩たちが練習着の入ったバッグを部室へと運びに道いっぱいになってガヤガヤし出してきて、同じ道がいつもの単なる小道に戻ってしまうが、今のこの静けさには痛快無比、私だけの空間になっている気がしてなんとも心地よい。まるで、この辺一帯の地主になったように視界が広くなっていて見渡す限り誰も居なくて、自分だけの空間になった気になり人目を気にせず喜色満面の笑みを思う存分していた。時折り水田からの湿気や稲穂と泥水と爬虫類のヌメリ臭など自然からのエネルギーを浴びて、私の細胞がリラックスしていることを感じた。

 我が校のグランドは、80段くらいの階段を登り切らないとグランドへは入れない。丘のてっぺんを平にして作ったのです。通称この階段を「鬼の登竜門」という。高校に入学して初日練習で、日が暮れてきてグランドが暗くなり、私の胃下部が痛くなり腹ペコになってきて、空腹を紛らわすために「今日の練習終わりかぁ?」とまだ友達になっていない隣の同級生に話しかけて、「もう終わるでしょ、もう体動かんし」と話ができてホッとしたのも束の間、「おいっ新入生!鬼の登竜門10セットで今日はイイから行ってこい!」と聞こえてきた。何のことはわからなかったが、階段10往復をダッシュしなくちゃいけないことを理解できたら、一瞬頭が白くなってきて鳥肌がゾワリとしてきた。階段を降りて行く時と、初の階段ダッシュ一本目の映像は、忘れることはなかった。真っ暗な空に階段を照らすライトの灯りを頼りに足元に注意して降りながら、汗ばんだアンダーシャツに冷たい風が打ち付けて鳥肌が立っていた。「一本目〜!ヨーイドン!」マネージャーの先輩が、嬉しそうに言っていて少しイラつきながら、急勾配の階段を登っていていると息が苦しくて太ももが重くてダルくて痛みのような感じがあった。こんなことをあと2年半やるのかと思うと、また頭の中が白くなっていった。空を見上げても小さな星が数個見えることだけしか今の希望はなかった。なぜ今ここにいるのか?と思い巡らせていた。
あれから2年弱経った今となっては、尻が青いなっニヤリ!と思えるようになった自分が誇らしく、強くなった自分を確認できる。あの階段を500往復イヤイヤ1000往復はしているだろう。そんなにやった自分が誇らしく感じるのだった。
「鬼の登竜門」のネーミングは代々言い継がれてきたみたいで、なんやらもう〜少しやる気が出るようなネーミングにしてくれよーと、どうでもいいことなのだが、意外とこの話題に喰らい付いてくることが多いのだった。  誰がネーミングつけたのか?どんな先輩だったのか?それ程興味はなかったが、気になって忘れることはなかった。1年後名付け親その人を知るのだが、その先輩は、4月から大学卒業してウチの野球部コーチをやるため、非常勤講師として来た人だった。 その新人コーチは我が校の野球部OBで、けっこうイケメンで、ポジションはショートで、クリーンナップホームランも通算20本は打ち、その上に主将だった、いわゆる昭和の野球漫画主人公的な人で、運動ができて情熱が身体から溢れ出ている人だった。そのコーチが主将だった年は、気炎万丈で甲子園出場は確実とまで太鼓判を押されているチームだったようです。将来的に社会人野球でも通用するレベルだったようですが、教育者として高校野球に携わる道を選んだということでした。熱い人柄はついて行きやすいが、その人の意に満たない反応をするとプイッっと怒り出してしまうのには気をつけなくてはいけなかった。そのコーチは尊敬できるに値する人だったが、一緒に野球をしている時間が増えるほど、コーチの思考を知ることとなり、やはりネーミングを付けるのは大事だと思ったのだ。何故ならそのコーチが結婚することになって二次会に呼ばれたので参加させてもらったが、グランドに居る時と目の前にいるコーチのギャップが激しく、コーチはごくごく普通だと思った。グランドでの熱い感じはなく、優等生でもなくてただ指示に従って動くような味気ない人柄になっていたのだ。鬼の登竜門の名付け親は、鬼っぽい人ではなくて少しガッカリしたのだった。まあ結婚式は、いろいろ年齢層も広いのでそのように演じていたのかもしれないのだが違う人かと思ってしまった。
私の中では名付け親は、もっとスキンヘッドで金縁メガネをかけて厳つく振る舞っているのかと思い込んでいた。ふっと頭をよぎったことだが、組織での決め事などで名付け親になってしまうと、その後も何年何十年と語り継がれて良いも悪いもあーだのこーだの言われる標的になるのだなぁ〜と知り、怖いなと思った。後世に残りそうなことは、それなりの責任を背負って、その後も生きていくことになるのだなぁと言行一致するには、相当の覚悟がいるのだなぁと思った。とはいえ1年後に私は、主将を引き受けることになってしまうのでした。相当の覚悟など無くても目上の人から「やってくれるか?なっやりなさい。」と言われたら断れずに引き受けてしまうものだった。その後に後悔しても致し方無くなるのだった。
あれから何十年と時は経ち、今頃は、同級生達は何かと皆それぞれに私のことを言っているのだろうなぁと思うのでした。
 野球部とは耐えることを受け入れて、精進していくことで成就するのではないか?と思ったこともある。スポーツとはそういうことでしか成功していけないとも思う。
高校の2年半は、毎日のように朝から晩まで一日中、野球のことばかり考えて生活できていて、大変だったが幸せでもあったと思うようになった。ただ目の前にあることをやっていれば時間が過ぎていった。勉強で悩んできたことは少なかったと思う。大学受験を考えずに甲子園で野球をやる!ただそれだけの為に精進していても許されたのだ。
あれから30年経ち、すっかりオジさんになっている。仕事で緊張したりストレスを感じたりする日々を送っているが、今でもあの頃の気持ちを忘れずに生きていられる。忘れることはない。あれが青春という時期だったのかとなんだから胸がソワソワとしてくる。何かと思い通りにならないくて、負けてばかりいて、何のためにこんな苦しみをしなくてはいけないのかと憎んだり、嘆いたりしたが、のちのちそれらが人として急成長した時期だったと思えるようになった。2度と野球なんてするものか!とまで思い込んだ数年間もあったが、やはり野球が好きだと思い返して、40歳過ぎたオッサンが、懲りずにまたやり出してしまうのだ。この野球をやりたい!と思う気持ちを持ち続けていられたら、当時も結果が出せていて、今とは違った人生になっているのかもしれなかったなぁと思っている。
結局のところ、高校生で甲子園へは行けなかった。高校野球最後の試合は、8回裏5対3で負けている!ベース状況は、one outでランナー1塁の場面で代打で出場できた。
初球はインハイ!よしよし!「ボールが見えているしあたりそうだ!」
2球目は低めの縦スライダー!「これは低い、ボールだ」
3球目緩めのカーブ!「これだ!!」少し力んで振った!
『ボコん』鈍い音がした、脳裏にバットの根元にボールが当たった映像が浮かんだ、、、
打球はライト前にヒット性の当たりだった!急いで駆け抜けた!「やった!」1年間の努力が報われた気がした瞬間だった!!
しかし次の打者達は打ち返せず、そのままゲームセット!
球審のコール「ゲームセット!」を聞いても涙は出て来なかった。ベンチでも泣いているチームメイトを慰めていても涙は出なかった。何故なら主将の役目がまだまだ残っていて気が抜けていなかった。父兄や指導や応援に来てくれた方々に挨拶をして、帰りのバスに乗り、球場から離れていく時に、急に濁流が流れるかの如く感情が激動し始めて嗚咽していた、、、コーチから「今頃泣くなんて変な奴だなあ笑〜」なんて揶揄われていたが感情が何年分の悔しさが蘇ってきてしまい止められなかった。あれから30年経った今でも思い出せる。何のために大変な日々をやってきたのか?そんな青春を体験できた。

 艱難辛苦をやってきたから今の自分があるのだろう。丈夫な身体を持つことができた。大抵のことでは、仕事も休まないし病気もしない。人間関係で悩んでもなんとかなるでしょ?!と割り切れる気持ちになれる。良い意味では強くなれた、よくない意味では自己中と捉えられてしまうかもしれない。
しかしあの高校生活2年半は、まるで少年院にいるのかな?何も犯罪はやっていないのになぁ〜と思うくらいの日々だった。毎朝6時起床.全員で点呼をする。そして直ぐに布団を畳み順番にデカい押し入れに入れていく。その次はトイレペーパーを濡らして小さく丸めて捻ったものを床に撒いて、埃に水分を含ませながら掃き取っていく。終わった人から朝食へ配膳に行き、給食当番が分けていく。食べたたら少し自由時間があるが、ひたすら横になっている。まぁ〜とにかく50名程の部員で一つ屋根の下で団体行動をしなくてはいけないのだ。その頃の記憶は、あまり思い出せない。
これが、青春という高校生活なのか?そう思っていることが多かった。好きな時間にコンビニ行くなんてできやしない。近所の小さな定食屋さんの老夫婦が作ってくれる食事しか口に入れることがなかった。老夫婦のせいか味がついている?と思うくらい薄味で、だいたいのオカズにソースをかけて白飯と食べていたことを思い出すと、こうして一人で居て好きなものを食べ、買いに行けて、ごろごろと寝転べて、娯楽をすることができる時間がある。ただそれだけで幸せ!!!を感じられる。若いうちに苦労しなさい!と母親に言われてきた10代が歳を重ねるほど身に沁みて分かってきた。そう!負けて負けて、勝ちそうになってもまだまだ負けてきた人生だったけど、負けてきて負けていて良いんだろう!?それでいいよ。そんな優しい言葉が、明るい空から聞こえてくる。
今日も体は重くて調子良くないけれど、脳と心は「いつか勝つぞ!」と息込んでいて調子がいい。勝ったり叶ったりする瞬間は、すぐに無くなっていく。負けとの付き合いのほうが長いのだ。

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