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絶縁系ゲイの処世

映画「夜明けまでバス停で」を観ました。



実際にあった事件を元にした映画で、住み込みのアルバイトで生計を立てていた中年女性が、コロナ禍で職と住居を失い、ホームレスになる話。



彼女は、弟と連絡を取ってはいるが、実家とは疎遠。
同じ境遇にあったバイト先の仲間は、実家に帰るという選択をとったが、彼女は一人東京を彷徨う。



アクセサリー作家?の夢を追いながら、金銭にとても余裕があるわけではないが、一人気ままに自立した人生を送っていた人間が、あっという間に転げていく怖さ。



都会という、ほぼ金銭の媒介によって成り立っている人間関係と生活環境のリアリズムの境地。
しがらみから解かれて紛れ込むには楽だけど、一度お金という土台を失えば、全員が他人になる世界。



かくいう自分も実家とは絶縁系。
自分が同じような境遇になった時、同じような絶望を味わうのではないかと怖くなったし、家族と絶縁していることも自己責任の範疇になってしまうのだなと思いました。
転勤族だから近所付き合いのようなものもなく。



転勤族の一人暮らし、家族もいない身軽な身分。
その気ままさと引き換えに、仕事とお金を失えば底の底まで堕ちていく運命と伴走している人生なのでしょうか。



その中で生きていくには、我慢に我慢を重ねて出来る限りの安パイを選択し、自分の生活を保存するように生きるか、自らお金を生み出せる人間になるか、のどちらかしかないように思えます。



そして、自分には後者の才能がない。



どうやって生きていくのか。
いや、そもそも自分にはそんなに生きるモチベーションがない。



一応自分も、もしものために色々友人を作ってはいます。
そういう戦略で、という打算100%ではないけれど、何かあった時、頼っても受け入れてくれそうな友人がいるに越したことはないです。特に、持ち家の友人は心強いもの。



とにかく最近は、将来が不安でしょうがないです。
一番不安なのは、ずっと何も変わっていけていない自分のことなのですが。



なんとなく仕事して、なんとなくリアルする。
その果てしない、なんとなくの繰り返し。



毎日は、投げ出したいと思うことばかりありますが、本当に投げ出すほどの限界まではきていない。
限界の一歩前でいつも立ち尽くしていて、このなんとなくの繰り返しの先で気付いた時には、足元が全部崩れているんじゃないかと思ってしまいます。



職場の上司に言われたのですが、自分には、人を怒らせる才能があるらしいです。
なんとなく、分かります。
我も強いし、扱いづらい種類の人間という自覚はある。



家族と絶縁してずっと一人で生きていくには、そういう部分がないとやっていけなかったような気がします。



それなりに家庭に恵まれた人には、絶対に伝わらない感覚だと思って諦めています。



絶縁系の人のその後って二種類に分かれると思っていて、この映画の主人公のように変な異性に引っかかるタイプと、自分のように人間に一切の信頼を持てなくなるタイプ。



どちらも、心の足りない部分を補おうという気持ちなんだろうと思います。



お金の媒介だけで成り立つ関係のリスクヘッジをするのなら、きちんと人と交流する必要が出てくるのですが、自分にはそれも難しい気がしてしまう。
詰んでいるなぁという絶望感。



映画はちょっと希望がある感じで終わるのですが、現実の人生はただただ続いていくっていうのも辛くなるところです。



人を怒らせる才能が活かせるものってあるかなぁ。

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