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平安時代の生活から見る現代の生活



「平安前期の嵯峨天皇から淳和天皇を経て、仁明天皇の時代と、その後の時代はもっとも平安京らしい時代特徴を示した時期である。淳和天皇は、得意であられた琴をひかれ、歌をお歌いになった。居並ぶ貴族や官吏たちはみな酔って踊り、天皇さまは彼等に花簪をお贈りになった。その花簪を頭に挿して、それぞれが即興の歌を詠んだ。このような宴や遊興は、始終開かれていた。天皇をはじめ、王候貴族、公卿から官吏に至るまで、音曲詩歌の世界に遊び、短歌をつくり、書を繙くという日常であった。このような風潮の中から、仮名文字による恋歌が作られ、仮名書きの文学が作られ、わが国独自の情感の世界が展開していった。」(1)

以上の文から考えれば、一見、貴族等の宴や絢爛な催し事から仮名書きの文化が栄え、日本独自の文化形成の基盤となり、彼らの功績なくして現在の日本文化なしと思えるかもしれないが、当時の庶民についても目を向けなければいけない。つまり彼等庶民(農民)の支えなくして貴族等の生活や豪華な催し事はあり得ないのである。当時の農民の生活は、貴族のそれとは対照的であり、極めて厳しいものであった。彼らの多くが農民として自給自足を行い、祖調庸制という当時の税制度のもとに稲を納めたが、中には納められず浮浪者や逃亡者となる者もも少なくなかった。したがって、間接的には、こうした庶民の苦しい生活の元に仮名書きなどの文化が発展したということを忘れてはいけない。また、平安後期に武士階級の台頭や社会変動が起こったことは彼等庶民の厳しい生活を裏付けている。

また、我々はこうした出来事から学ぶことが多くある。平安時代の話だから我々には関係ないと考えてはいけない。例えば、現代の一般人を当時の農民とし、公務員や国会議員(国民からの税金の搾取量を増やすことで法人税を下げているので大企業の役人なども国民によって支えられていると考えられる)を当時の貴族になぞらえれば、当時から学べることも多くある。いくら彼ら貴族が後世にまで称賛される法案を作ったり、優れた外交をしようとも、彼らの生活や豪華な料亭での食事を支えているのは我々一般国民のひたむきな働きであることを忘れてはいけない。さもなければ、平安後期に起きたように国民の不満が爆発してしまうだろう。実際、現代のわれわれ一般国民の生活は厳しいものである。30年間給料が変わってない上に税金や社会保障費はますます高くなり、さらに物価高騰も伴い、むしろ30年前より国民の生活は苦しくなっているといっても過言ではない。経済不況の際に税を挙げるべきでないことは経済学を少しでもかじったことがある人からすればごく当たり前であるが、そうしたこともしない政府に我々は不満を募らせているし、財務省デモなどはそうした不満のまさに表れである。つまり、今の国民の不満は膨張していて、爆発寸前である。

我々はなぜ義務教育から高校、場合によっては大学まで歴史を学ぶのだろうか。ビスマルクの「愚者は経験に学ぶ、賢者は歴史に学ぶ」やグラッドストンの「過ぐる時代の誤りは、われわれに教訓を与えるために、われわれがそれをくりかえさないために記録されている。」とあるように、過去に学び、同じ過ちを繰り返さないようにするために歴史を学ぶのである。それゆえに歴史を学ぶ際には、輝かしい功績や賞賛されている部分だけでなく、それに寄与している物事をもっと広い視野で見て考えるべきである。

参考文献
(1)貴族文化と色彩感覚の変遷 一 平安時代一 山野 愛子

    
https://www.jstage.jst.go.jp/article/yca/1/1/1_KJ00000042341/_pdf/-char/ja

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