スロットに全てを捧げた男の人生録 2話
〜不良とパチスロ〜
前回お話しした幼馴染とのゲーセン通いの付き合いは、私の引っ越しとお互い中学生になった事により終わった。 なにより私は実は中学受験をして偏差値65くらいの私立中学を受かって世に言うエリート街道を進んでいたのだ。 中学校までは毎日6時に家を出て電車を3回乗り換え片道2時間半かけて通っていた。小中高のエスカレーター式の学校で山一つが学校の敷地なくらい立派な学校だった。
こうやって思い出しながら書いていると、当時の私はまさか今こんな堕落した人生を送ってるなんて夢にも思ってなかっただろう。笑
結果を先に言うと、今まで勉強に費やした全ての反動がきて中学入学と共に反抗期が爆発して中学1年の終わりに自主退学した。
小学高学年の頃は毎日学校が終わり次第21時まで塾だった。クラブ活動もやれなかった。
皆んなが学校終わって「帰ってから校庭集合な!」って遊ぶ約束して楽しそうに帰ってく中、私はいつも校門に親の車が止まっていてそのまま塾だった。
夏休みや冬休みは朝の10時から夜の8時まで塾だった。保温弁当を持たされて塾に通っていた。 塾は成績順に座る場所が決まっていて、教室には監視カメラがついてる そんな地獄のような塾。
夏休みは、みんな学校が解放してるプールに行ったり、サッカーして駄菓子屋で遊んだり。そんな楽しそうな風景を横目に毎日毎日塾で勉強した。
俺の楽しかった思い出は幼馴染の家に1週間くらい泊まり行って 夜更かししたりゲーセンに連れて行ってもらう事だけだった。
中学受験を成功していざ中学に通い始めたら、もっと遊ぶ時間なんてなかった。そんな中1の夏休み、普通に公立中学に入学した同級生と会った時に私は驚愕した。
みんなすごい楽しそうに中学生活を満喫していて キラキラ輝いて青春していた。
その瞬間に思った事がある。
(俺の人生、もう小学生には戻れない 皆んなで学校終わりにグランドでサッカーやって駄菓子屋で駄菓子買って普通に遊びたかった… 夏休みは皆んなでプール行ったり友達の家でゲームしたりしてみたかった。けど、もう過去には戻れない 小学生は小学生の時にしかできないんだ。 中学もそうだ!このまま大人になって後悔したくない。後悔しても今しかできない思い出や経験は大人になってからじゃ出来ない。俺もみんなみたいに遊んだり青春がしたい)
それからは早かった。小学生の登校班が一緒だった1つ上の仲良かったやつが不良になっていて タバコを吸って原付乗り回して夜中に遊んでいて 私はその先輩達と遊ぶようになった。
中1の夏休み終わりには、まるで別人になっていた。笑
親父のタバコを盗んで吸うようになり、ヒップホップを聞くようになり、夜中まで外を出歩くようになり、先輩のバイクの後ろに乗って海まで行ったり。
まさに尾崎豊の 盗んだバイクで走り出す 15の夜♪状態である。笑
母親とも何度もぶつかったが、結果的に母親が折れて受験して入った中学をやめて公立に転校する事を許可してくれた。今思い返せば塾の費用や、受験費用、私立中学の入学金なんてめちゃくちゃかかっただろうに本当に親不孝だったと思う。
けど当時の私は、一切味わえなかった青春を感じたかった、今は今しかない。後悔してももう二度と戻れない。今を大事にしたかった。それだけは譲れなかったし 今でも後悔はしていない。
そんなこんなでエリート街道まっしぐらだった私の人生は中1を起点に一気に不良の堕落人生が始まる。
当時テレビドラマIWGPが流行っていてギャングが多数存在した。 中学2年の始まりに公立中学に転校する時には私はギャングに入っていた。
不良自慢なんてしても仕方ないからこれに関してはサラッと書くが とにかく落ちるとこまで落ちた。
中3の14歳の時に少年鑑別所に入ったくらい悪かった。隣町の暴走族と揉めて呼ばれて、皆んなで果物ナイフを隠し持って行って なんかあったら刺してやろう。こんな事を中学生でやっていた。
今まで我慢して過ごした小学生の分が一気に爆発したにしても荒れすぎていたし、もはや普通に学校行ってる子が経験できないような事まで経験していた。 けど楽しかった、すごく濃かった。
中学生の頃は沢山ゲーセンに遊びに行っていた、友達とメダルゲームで遊んだあとはゲーセンの外でたむろする。そんな私の人生が一変した非常に濃かった中学生活も終わる。
中学生で鑑別所に入ってるので高校は願書さえ受け付けてもらえなかった。行く気もなかったが親が見つけてきた名前さえ書けば入れる私立の高校に入学した。不良と不登校が集まる高校で有名だった まるでクローズの鈴蘭みたいな高校だった。笑
入学式が終わって教室に入って帰るまでに殴り合いの喧嘩が3件起きたくらいだ。笑
ボンタンに短ランのやつもチラホラいて入学初日の帰り道に2対2のタイマン張ってるやつもいた。
入学からずっと坊主のやつがいてなんでずっと坊主なのか聞いたら「タイマン張った時に髪を掴まれないようにずっと坊主なんだよ」って真顔で言うやつがいるくらい不良の巣窟だった。
私は喧嘩は強い方じゃなかったが、中学時代から上下関係や不良としての考え方がびっちり叩きこまれてたり、鑑別上りってのもあってなんだかんだで認められて学年の1番悪いグループの一員の立ち位置にいれた。普通に喧嘩したら勝てないような奴がゴロゴロいたから内心助かったと思っていた。笑
しかしそんな不良が集まる高校なんて映画みたいには上手くはいかない。 ある日ずっと休んでたボンタン短ランの学年で一番強い奴が包帯ぐるぐる巻きで高校に来た「○○(地名)のやつらと揉めて3対3でタイマンはる事になって呼び出された場所行ったら、相手20人来て隠してた鉄パイプやら鉄バット持ち出してめったうちされた。やり返しに行くからみんな見にこいよ。笑」 と。
結果、そいつはやり返しに行ってやりすぎて当たり前に逮捕。高校もやめた。 そんなこんなで仲良かった連中が次から次へと辞めていく。 まぁ元々学校なんか通えるような人間じゃないから当たり前ではある。
そんな高校生活がつまらないのと同時に、いつまでも不良ってものを続けた先にあるものに対して考えるようになった16歳くらいの時、昔から遊んでいた地元の先輩に呼ばれて行ったゲーセンでスロットにドハマりする。 そのゲーセンは24時間営業でスロットコーナーとパチンココーナー、麻雀格闘倶楽部コーナーがあって スロットパチンコは大当たりするとスクラッチカードが出てきて そのスクラッチカードのポイントを貯めて景品と交換できる仕組みだった。 景品はゲーム機だったり、時計だったり、麻雀のクレジット券だったり、1番人気は本当の宝クジ売り場で売ってるスクラッチカードだった。
そのゲーセンはゆるくて未成年でも24時間入れてタバコも吸えた。
そこで出会ったのが吉宗や北斗や銭形だった。
先輩に色々教えてもらいながら吉宗が好きだった俺は吉宗ばかり打っていた。 夕方くらいから先輩達とそこへ行き朝方まで遊び呆けて 外が明るくなり始めた頃にゲーセンの目の前にある松屋で牛丼を食べて解散するのが日課だった。
そんな日々が楽しかった俺は当たり前に高校に行かなくなり辞めた。俺がやめる頃には俺がいた不良グループの9人の内6人が辞めていた。卒業したのは1人だったかな。
高校をやめた俺は先輩達と毎日のようにそのゲーセンに通った。遊ぶ為に先輩達がやってる悪さも一緒にやって金を稼いだ。
そしていつも通り朝方まで遊び呆けて牛丼を食べていると先輩から「おまえもこの後一緒にパチ屋行くか?3万くらいあるなら勝負できるよ?仲良い奴が店員でいるからおまえが入っても多分大丈夫だし」と誘われた。
俺の答えはもちろん「え!行く行く!連れてってよ」だった。
17歳になったばっかりかなる前か それが俺が初めてパチンコ屋で勝負した日だった。
次回 パチスロデビューから依存症へ
読んでくださってありがとうございます。
次回作のモチベにもなるので、面白い!次も読みたい!って思ってくださったら 100円の応援くれたら喜びます。
ここから先は
¥ 100
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?