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田中映美翔について

はみかって読みます!
社会人1年目で半年で会社を辞め、今はフリーターをしています。
別名「隅田川のナンパ師」、「清澄白河のマサイ族」

東京都江戸川区出身。

小学校では人気者だったが、常に誰か周りにいるという生活に嫌気がさし、友達の必要性がわからなくなる。
中学生からは友達を作らず、ずっと一人だった。

人から必要とされなくなり、ポジティブな感情も薄まっていき、自分の価値を見出せなくなる。

高校3年生では、「人に必要とされない自分、なんで生きているんだろう。大学に行くって考えると、そんな莫大な学費を投資するような人間じゃない」と思い、
自殺を試してみるも、わずかカンマ1秒で断念。

自殺もできないなら、幸せに生きるしかないと思い、幸せを追い求める。



職業

大学卒業後はプログラミング未経験で、SEになるも、

プログラミングが全然上達しなくて、半年で退職。


以降はフリーターとして、ウーバーイーツ、リゾートバイト等、やりたいことをチャレンジしている。


外見について

髪の毛

髪の毛は、丸刈り。

大学1年生のときに、シャンプーとドライヤーへのストレスが限界に達し、1000円カットで丸刈りにしてもらう。

そこからウィッグもつけ始め、今は8種類のウィッグを使いまわしている。





服装

メンズのストリート系が好き。


姉がスポーツ系のボーイッシュ系だったためか、妹の私は、母親から女の子らしい恰好をさせられていた。

髪の毛はずっとロングだったし、服もピンク系が多かった。


それに嫌気がさしたのか、高校生くらいからメンズ服を着始め、高3の頃くらいにはレディース服を全て捨て、メンズ服しか着なくなる。

ぬいぐるみちゃん

家にぬいぐるみちゃんが何人かいて、全員マジで家族だと思っている。

かわいい。

小学校2年生から一緒にいる、大山ちゃん


身体面

得意

〇徒歩、自転車の体力は無限大。

1回ご飯休憩があれば、12時間はぶっ通しで動ける。


〇視力、自称2.5。

通称1.5。視力検査の満点は取れたけど、まだまだいけるという謎の自信がある。

通称「清澄白河のマサイ族」


弱点

三半規管弱い、乾燥肌、肺活量ない


食べ物

好き

親子丼、サーモン、かぼちゃプリン

苦手

ぬた、酢味噌、マスタード


保有資格

普通自動車第一種運転免許(AT限定)

実用英語技能検定2級


田中映美翔の実績

大学3年生で、短歌サークルの代表を務める

会社員時代、毎日昼休み、隅田川で1人か2人ほどに声をかける

隅田川で10人とLINE交換

半年でLINEの友達300人増加

昼休みに画家の先生に遭遇…!


趣味 興味のある分野など

隅田川

中学生で、橋本紡さんの『橋をめぐる』という小説で、清洲橋、永代橋の存在を知り、聖地巡礼を決行。

見事に一目惚れをして、将来住む場所もこの橋の近くにすると決意。


決意通り、就職と同時に、清澄白河で一人暮らしを開始。

会社員時代は、隅田川沿いを歩きながら通勤(片道40分)

清洲橋
永代橋


ナンパ

社会人1年目の6月、ナンパで友達を作っているという31歳の女性と出会う。

その話を聞いた瞬間に、私は友達が欲しいという気持ちが強かったので、ナンパを魅力に感じる。

そのナンパの師匠に出会ったその日に、新宿駅で10人に声をかけ、2人とLINE交換することに成功。


「隅田川のナンパ師」

会社員時代は、趣味の2つを掛け合わせて、「隅田川でナンパ」をしていた。

毎日昼休みに隅田川に出て、1人か2人に話しかける。

隅田川で出会った人と、BBQに行ったり、他の友達に会ってもらったり、自分のキャリア相談をさせてもらったりした。

得意料理

フレンチトーストと親子丼は、毎日作っている。

フレンチトースト

大学生のチャリンコ通学で唯一エネルギーが切れなかった朝ご飯。

名残で、今も朝食はフレンチトースト。プラス、焼きウインナーと、ブラックコーヒー。

それも清澄白河で。


優雅だなぁ。

見た目は意識していないです…


親子丼

高校生の頃、半年ぐらい豚肉を使った、「他人丼」が朝食だった。


そこから、作るの簡単じゃんという理由で、何もなければ親子丼という考えになった。


会社員時代は、もともと毎日の夕食に設定していた。

そこからランクが上がり、毎日のお昼の弁当に。


ちなみにランクが上がる前は、毎日の弁当は、ペペロンチーノか、たらこパスタだった。


外見から年齢あてる

得意かどうかは不明だが、外見から年齢を考察するのが、大大大好き…!


年齢以外にも、職業・名前・好きなタイプなどなど…、その人のプロフィールを、外見から、偏見のみで考察するのが、本当に楽しくて仕方ない。


推理することが好きなのかもしれない。


略歴

東京都墨田区錦糸町周辺の、賛育会病院で誕生。

3人兄弟の末っ子で、姉や兄に隠れてもじもじすることが多かった。

母と父は、仲が悪く、空気の悪い家庭環境だった。


【母に自慢したかった保育園時代】

4歳から公文に通い始める。

計算もひらがなを書くことも、周りに比べて得意だったので、それをとにかく母に自慢して喜んでもらえるのが嬉しかった。


目立つのが好きだったのか、お遊戯会のナレーターを、立候補して務めていた。


【リミッターが解除された小学校時代】

両親の離婚、家庭環境の変化

小1で両親が離婚し、母が家を出ていく。

その後、小5になると同時に、姉が大学進学のため、埼玉で一人暮らしを始める。


離婚するまでは母、それ以降は父と姉が、主に面倒を見てくれる。


姉が一人暮らししてからは、父は放任主義になり、私は自由になった。


早起きは嫌だったので10時くらいに登校するし、1日だけ学校をサボって墨田区でサイクリングをしていたこともある。


スマホも買ってもらって、学校にスマホを持ち込んで、「トイレ行ってきます」といって、トイレでパズドラをよく遊んでいた。


という、悪目立ちに快楽を感じていた子供。


学校生活

いじめ

〇いじめられる側

小4のとき、いじめられていた。

物隠されたり、笑われたり。言葉にするとそんな酷いものではないかもしれないけど、当時の私は、パーソナルスペースがとても広かったので、そこをのし上がられたことがとても嫌だった。

なので、その人たちから遊びに誘われても断るようになる。

そしたら今度は、トイレの個室で通せんぼされたりと、自由に行動できなかった。


幸い、その人たちが「はみかちゃんが遊んでくれないんです」と先生にチクったことがある。

それを先生が、クラスの前で話し合いしようとしてくれたので、そのときに私はいじめられていたことをクラスの前で告白。

いじめていた側は先生から叱られ、そこで仲直りもし、いじめは終息。


いじめられていた理由は思い出せない。

でもそのときから、自由を奪われるってことがほんとに嫌だったんだなあ、と思う。


そして当時の私は、このいじめられていた出来事を、「私が他人の気持ちを考えることが今まで全くなかったから神様が罰を与えたんだ」と解釈する。

そこから、「人の気持ちを思いやること」を意識し始める。


〇いじめる側

人を思いやることを意識したはずなのに、今度はいじめる側になってしまう。


小5になってクラス替えをすると、人気者のモテモテ女子が私を気に入ってくれる。

その子と一緒にいることが増えたが、その子はとにかく悪口が多かった。


私は悪口なんか絶対ダメだと思っていたのに、なにかの拍子で、その子の悪口に便乗したとき、とても笑ってくれた。

それが嬉しくて、悪口を言うことにハマってしまう。


あるとき、クラスの中でコミュニケーションが苦手そうな子に対して、その友達が菌扱いし始めた。

それに私も便乗して、授業・給食・掃除、あらゆるところでそのクラスメイトを気持ち悪がった。笑いながら遠ざかった。


小6の秋頃、このいじめ問題を、私含め友達みんな、担任の先生に叱られた。

そこで我に返って、いじめることを辞めた。

また、その友達と一緒にいることさえも冷めてしまう。


でもその子は、私のことを親友だと思っていたので、相変わらずいつもついてくる。


苦手な人がつきまとってくる。そんな気分になって、嫌な気持ちだった。


こんな嫌な気持ちになるなら、友達なんて要らなくない?と思い、中学からは友達を作ろうとしなくなる。


卒業式

卒業式の点呼のとき、返事をめちゃめちゃ大きな声でしていた。

やっぱ目立つのが好きだったんだと思う。


卒業式練習のときも毎回バカでかい返事だったから、1つ下の学年から、「うるさっw」というざわざわした陰口あったけど、全部聞こえてたぞ??


「「「はいっっっ!!!!」」」と腹の底から声を出していたので、卒業式に来ていた中学の先生(後の学年主任の先生)が、入学前から覚えてくれていた。


学校生活以外

振り替えると、ほとんど、家族の誰かに影響されている。

習い事

公文:4歳から小5まで

ピアノ:小1から小4まで

水泳:小2から小4まで

塾:小5


全部、兄弟の影響でやらされていたようなものなので、小5で全部嫌になり、サボり始めて、辞めていった感じ。

ゲーム

DS、3DS世代。

姉と兄の影響で、とにかくゲームにハマった。特に兄は、生粋のゲーマー。


母が大のゲーム嫌いだったため、母が出て行ってからゲームし放題になる。

小2でドラクエ9が発売されるとともに、それまで通っていた学童をサボり出す。

学校が終わったらゲームをしたいがためにダッシュで帰る。

ゲームのために夜更かしもする。

授業中はゲームのことばかり考えていた。

小5からは夜更かしの影響で、授業中、突っ伏して寝ていた。


キッザニア

父親は何でも買ってくれる人だった。

ゲームもお出かけも思う存分させてもらった。


小4からキッザニア東京によく連れていってもらっていた。

小5・小6は毎週日曜日、1日中(キッザニアは1日2部制)キッザニアで遊んでいた。


キッゾ(キッザニアの通貨)は、2万くらい貯まった。

※1回の職業体験で、5-10キッゾもらえる。


ドラゴンボール

ドラゴンボール改世代。

クリリンがフリーザにやられるところが初見。


父親がツタヤでドラゴンボールを借りてくれたりもした。

小学生ながらに、ドラゴンボールは無印からGTまで熟知していた。


イナズマイレブン

ド世代。姉からオススメされて見始める。ギャラクシーまでは見た。

アフロディとかヒロトとか、さわやか系が好きだった。


当時知っているアニメは、イナズマイレブンとドラゴンボールだけだったので、

熱血な性格になった。


相撲

母親の影響でハマる。

白鵬世代。朝青龍とか魁皇が引退する直前から見始めた。


母親曰く、はみかは集中しているときの顔が栃ノ心そっくりだそう。


周りに相撲ファンがいなかったので、Twitterで相撲ファンとやり取りしていた。


父親に、現地(両国国技館)に連れていってもらったこともある。

Twitterで知り合ったお姉さんと会えたときは感動した。


稀勢の里が大好き。結婚したときショックだった。


サイクリング

小5で、自転車を買ってもらう。

キッザニア(豊洲)にも、相撲の聖地である両国にも、自分の足で行ってみたいと思い、

よく自転車で遠出をしていた。

両国までは10km、豊洲までは16kmと、学区域をガン無視するというのも、嬉しかった。


【やっぱり不良に憧れて、でも学年主任が好きだった、中学校時代】

学校生活

学年主任

中1のときの担任でもある、学年主任の先生のいうことに、すごく影響されていた。

堂々としている方で、オーラがすさまじかった。


その先生は、校則にも礼儀にも厳しかった。

不良には憧れていたけど、この先生に迷惑はかけられないと思い、超真面目キャラになる。


お礼を言う習慣は、この先生と出会ったことで身についた。


給食

学年主任の先生の意向で、給食準備をとにかく張り切った。

私のワゴンを広げる準備が早すぎて、給食当番の人たちは、白衣を着たら配置につくだけでよくなっていた。


また、その先生が、「好きなタイプを強いて挙げるとしたら、よく食べる女性だな」と仰っていたので、私は残った給食もめちゃめちゃ食べた。若干ムリしてたけど!


黒板掃除

授業が終わった後の黒板掃除は、日直の仕事だったけど、楽しすぎたので毎回私がやっていた。


長い黒板消しと、短い黒板消しを見事に使いこなした。


チョークの字を消すときは、圧力をかけるために短い黒板消し。

最後の仕上げは、黒板消しの跡を残したくないので、圧力をかけないように長い黒板消し。


黒板を綺麗にし終えたら、チョークを中央に揃える。

先生によって、3色出すか5色出すかも変えたり。


夢中になったなぁ。


家庭科部

何かに熱中したいという思いがあり、本当はガツガツの運動部に入りたかった。

でも運動神経に自信がなかったので断念し、

文化部で1番活動日の多かった家庭科部に入部。


ただし、すぐ飽きて幽霊部員と化す。


ただ、元家庭科部ということで、自宅にミシンも裁縫セットも揃っている。

幽霊部員だったので技術は身についてないけど、洋服の裾短くしたり、ウィッグのサイズ調整も、我流でときどきやっている。


学校以外

トークアプリ

趣味がマニアックだったり、そもそも私がコミュ障というのもあり、趣味について話せる友達が少なかった。(特に相撲)


なので、ネットの人たちと話そうと思った。

Twitterや、トークアプリ(年齢制限ないもの)を使った。


特に使っていたのが、友達作りtalkというアプリ。

アプリ内でやりとりしながら、カカオトークに移行していく流れをとっていた。

(カカオトークは、声を加工できたので、警戒心MAXの私でも通話ができた…!)


40代のおじさんと、相撲の話をしていたけど、毎日毎日、おはようメッセージが来るのが気持ち悪くなり、辞めた。


HUNTER×HUNTER

中2からハンターハンターを見始めて、70話くらいまでは普通に見ていた。

そこから期末テスト期間、急にドハマりして、1週間で残り70話ほどを全部見る。

(レイザーが出てきたあたりだった気がする)


GI編からキメラアント編が止まらんかった。


幻影旅団がかっこよかった。


テレビ

小学生まで、テレビはイナズマイレブンとドラゴンボールしか見ていなかったので、芸能人やニュースなど、何も知らなかった。

それを見かねた姉に、「はみかって世間知らずだよね」と言われたのが悔しくて、テレビを見始める。


最初は、母が好きだった坂上忍さんから始まり、クイズ番組、バラエティ番組も見始める。


当時好きだった芸能人は、林修、坂上忍、くりぃむしちゅー。


サイクリング

中学生でも、変わらず自転車を漕いだ。


学年主任の先生が、墨田区に住んでいるというのを聞いて、墨田区を自転車で走りまくった。(普通にキモい)


墨田区以外でも、博物館や美術館によく遊びに行った。

都内の中学生は無料の場所が多かったので、サイクリングの目的地としてちょうどよかった。


1番長距離を漕いだ思い出は、三鷹市の、ジブリ美術館。

江戸川区から片道30km。


友達とジブリ美術館行きたいね~って話していて、そのとき冗談で「自転車で行く?w」って友達がいうもんだから…。


中学生ならではの、「なんでもできる」という思い込みにより、現実となってしまった。


友達はめちゃめちゃ疲れていたけど、なんとか往復することに成功。


片道5時間くらい漕いだのかな。

意外とこれが、人生で自転車の長距離最高記録。


テニス

中1の冬、錦織圭選手が活躍した。そこで初めてテニスというスポーツを見る。


見た瞬間に、とても楽しそう…!と一目惚れし、すぐテニススクールに入会させてもらう。

中学校にテニス部はなかったので。


中学では2年間続けたけど、ずっと初級コースで、別に大してうまくなっているわけではない。


でもテニスには熱中した。

高校でもテニスがしたくて、せっかくなら強豪校に入ろうと、都内のテニス強豪校に入学を決める。


【「好き」が見つかった高校時代】

学校生活

テニス部

憧れのテニス部に入部。仮入部も、誰よりも最初に申し込んだ。


大会で活躍している先輩や同輩に憧れて、せっかくテニス部に入ったなら、と猛烈にがんばる。


だが、がんばりすぎて4か月で退部。

(毎朝4時に起きてジョギングしていて、睡眠が足りなくて、モチベーションが下がった)


学校生活以外

ティップネス

退部してから、怠惰な生活を送る。

朝食も弁当も準備するのが面倒になり、学校帰ったら3食分食べるという食生活になった。

キムタクもしていると噂の、1日1食生活。


でも私の場合、量自体は3食分だったので、ダイエット効果は全くなかった。

むしろその結果、人生で初めて体重60kgを越えてしまう。


さすがに60kgは焦ったので、なんとか解消するために、ティップネスに入会。

(当時、スポーツジムはほとんど18歳未満利用できなかったが、ティップネスだけは16歳から利用OKだった)


以後、高校卒業するまで、週6でティップネスに通う。


ブックオフ

高2から、父親からの誕生日プレゼントが、現金10万円になった。

といってもお小遣いがあるわけではなかったので、1年で10万円を使うために、買い物は安く抑えたかった。


そこで行きつけとなったのが、ブックオフ。

ブックオフといっても、服・アクセサリー・家電など、いろいろ置いてあるブックオフ。

千葉県に結構ある。


1万円で、洋服10着を買ったりしていた。


風男塾

風男塾という、男装アイドルグループ。

当時見ていたアニメの主題歌から好きになった。


全員で歌うサビの部分が、迫力があっていい。


女性だと言われないと分からないほど、全員かっこよかった。

その姿を見て、当時「女性らしさを捨てたい」と思っていた私にとって、憧れの姿となる。


BILLIE ILDE

ファーストサマーウイカさんが、当時所属していた5人組の女性アーティストグループ。


友達と一緒に行った、法政大学の文化祭で初めて歌をきき、すぐにファンになる。

ウイカさんの堂々とした立ち姿、歌声、トークの面白さに一目惚れした。


翌年、解散となってしまったが、解散ライブにも行った。人生初のチェキも撮った。


ウイカさんがテレビに出る前から知っていたので、タレントとして出始めたときはかなり驚いた。

また、当時の雰囲気で歌ってほしいなぁ。


【変わろうとした大学時代】

大学は、ぶっちゃけどこでもよかったので、指定校推薦でたまたま枠が空いていた日本女子大学に入学。


大学入学時期は、ちょうどコロナ禍で入学式が中止になる世代。


学校生活

短歌会

せっかく大学に入るなら、今までしたことのないことをしてみたい!という思いで、和風なサークルに入ろうと決めていた。

ただどこもコロナで活動休止状態だった。

その中で短歌会は珍しく、オンラインでも活動が継続していた。


短歌は、5・7・5・7・7で、季語は要らないやつ。

情景を想像させるのが難しかった。私が作る歌は、「テーマがわからない」とよく言われた。


3年生では部長を務める。

4年生のとき、後輩のがんばりにより、NHKの取材が入り、一瞬テレビ出れましたぜ。



作った歌(お気に入り)

説教に3DSぶん投げて凹んだ壁を虫と驚く

前輪にライト係を任命し一人彷徨う荒川の土手

悪口を捨てたゴミ箱振り返り誰も本音を拾ってくれず

パッケージドアの隙間へはみ出した深夜零時のお菓子パーティー

リモコンを拾うついでに突撃だ「録画時間がもうないのでは?」

何度でも寝起き走って通学路赤で渡るか青と思うか

「サラダにはカボチャの揚げが入ってて」今日も文句を詠ったオトメ

起立して笑顔で語り驚かれ、えっと…ごめんね。実はにわかで…


卒論

日本文学科の日本語学ゼミで卒論を進める。

2万5000字以上。

研究の楽しさが見いだせず、締め切り日の前日から、残り1万5000字ほど書き上げて提出。

誤字脱字も多かったらしい。


口頭での試験もあったが、それは寝坊して最後に回される。


こんな感じで手を抜いていたので、卒論の評価はギリギリC。なんとか卒業できた。


学校生活以外

公認会計士の勉強

隅田川の近くに住むことが夢だったので、清澄白河か門前仲町に住むことを考えていた。

そこら辺は家賃が高いので、給料が高い仕事につかなければと思い、会計士を目指す。


大学1年生のとき、国見さんという方の著書の影響で、国見さんが経営している予備校に、オンラインで通い始める。


だが勉強は頑張れず、大学4年の4月まで粘ったが、1次試験も受からなかった。

合格まで3000時間必要と言われていたのが、3年間かけても1000時間ほどしか勉強できなかった。


自転車通学

大学生のときは、コロナで3密避けようと言われていたというのもあり、大学まで片道17km、1時間半かけて自転車通学していた。


リサイクルショップで買った、1万円の自転車。

サドルポストを入れ替えてもらったので、結構サドルが高い。

姉からは「サーカスするのか」と言われた。


1時間半も自転車を漕ぐので、出発前にエネルギーを摂取しておく必要があった。


そこで、朝はフレンチトーストの生活が始まる。

フレンチトーストだけ、途中で疲れることなく通学できた朝食だった。


帰りは、大学の周辺にあった、吉野家、ジョナサン、らあめん花月嵐のどこかでご飯を食べた。


余談だが、自転車通学にはご飯が必要なので、たとえ電車賃を浮かせられても、ご飯代がかかり、電車通学とかかる費用はそんな変わらない。むしろ自転車通学の方がお金かかっていた。私は。


ウィッグ

私の個性の中でも、1番驚かれるのがウィッグで生活していること。


これを始めたのが、大学1年生の冬だった。

シャンプーとドライヤーが面倒になり、丸刈りになる。


でも丸刈りで外に出るのは恥ずかしかったので、ウィッグを被っていた。


最初はウィッグって分かりやすい見た目だったが、ウィッグカット屋さんでサイズを調整してもらったのをきっかけに、ウィッグだとバレにくいセットの仕方を知る。


そこからずっとウィッグ生活。

一瞬、ベリーショートくらいに伸ばしたけど、やはりシャンプーとドライヤーがめんどくさかったので、坊主に戻った。


一瞬伸ばしかけたベリーショートヘア


ヒップホップ

風男塾やBILLIE ILDEに憧れ、アイドルになりたいと密かに思っていた。


そのために、歌とダンスを習う必要があると思ったので、まずレッスン料の安いダンスから始める。


そして1年間、ヒップホップを習っていた。

ダンスは不得意だったので、そこまでかっこよくは踊れないが、アイソレーションはちょっとできるようになった。


バイト

大学1年生からセブンで4年間、大学2年生から華屋与兵衛のキッチンで3年間バイトをする。

キッチンのバイトをしてから、食洗機がない生活を不便に思い始める。


【アクティブな会社員時代】

仕事

会計士を断念したのが大学4年の4月で、就活に出遅れたので、どこでもいいから就職できればいいやという思いで、SEになる。

人手不足の業界で、さらに中小企業だったので、2社目で内定をいただけた。


プログラミング研修

プログラミング未経験から始めたというのもあり、プログラミングに苦戦した。

同期は全員プログラミング経験者、さらに研修会場の周りの人たちもほとんど経験者で、自分だけできないという焦りが日々高まっていた。


それでも出世したかったので、チーム開発でリーダーに立候補する。


だが、プログラミングができないという焦りを日報に綴っており、それを部長や研修会場の講師が心配してくれて、リーダーを降ろされる。

それでも焦りは消えず、毎日泣きながら研修を受けていた。


実務

研修が終わり、実務に入る。期限に迫られるとかは幸いなかったが、コードが膨大になったことで、ますます分からなくなる。

コード恐怖症になりかけていたので、仕事も自分にはできないと確信していた。


その中で、課長との面談があり、仕事への自信ゼロで臨んだので、表情も暗く、「怒ってる?」と聞かれてしまう。

プライベートでは笑顔が素敵としか言われていない私が、怒っているような表情をしていたことがショックで、1週間後に退職。


仕事以外

親友探し

大学4年生の冬頃、中学の同級生の紹介で、キラキラした人たちにたくさん会う。

私もこの人たちみたいになりたいと思った。

その人たちは、人と出会い続けて、「親友」を探し続けていた。


じゃあ私もということで、社会人1年目の5月頃から、人と出会うことを始める。


最初はインターネットに出ていた、ドーナツを食べながら話しましょうというイベントに参加。

そこから、飲み会、BBQなど、イベントごとにとにかく参加しまくった。

月の交際費に5万くらいかけた。

平日の仕事終わりも、休日も、1か月は予定が埋まっているという生活に変化した。


最初はただ人と会うことを目的にしていたが、そこからどんな人と会いたいかを考え始めるようになる。

それで思ったのが、面白い人。一緒に爆笑できる人。


ということで、面白い人を探すために、まず偏見で、関西人との出会いを求めるようになった。


漫才

イベントの1つとして、料理教室に行ったとき、なぜか料理教室で「漫才の相方を探しているんです」という男性に出会う。


そのとき、私も私で、「笑っているだけじゃなくて、人を笑わせる側になりたい」と強く思っていたタイミングだったので、出会ったその日にコンビを結成。


そこから2か月で、ライブ出演を目標に、ネタを作り、ネタ合わせをする。


だがライブ当日、相方が急遽来れなくなってしまう。

でも友達を呼んでいたので、キャンセルにできないなと思い、その日ライブに誘っていて、会場まで一緒に移動していた友達に、代打をお願いし、ライブは無事成功。

ほんっとうにありがたい!!


現在、漫才は休止中。


【これから。フリーター時代】

ウーバーイーツ

前述したように、自転車を漕ぐのが好きだったので、ウーバーイーツを開始。


これがめちゃくちゃよかった。

チャリに乗れて、大好きな江東区周辺を走れて、知らないお店を知れて、マンションに入って、なんちゃって内見もできて、周囲に誰もいないときは大声で歌えて。


天職だと思う。


だいたい時給1000円。雨の日や、距離があるときとかは、時給2000円くらいになる。


そして私は自転車の体力に関しては無限大なので、これを10時間漕げば日給1万円。


屋形船

「そんなに隅田川が好きなら、隅田川で働けばいいんじゃない?」という、友達のアドバイスが刺さり、屋形船のバイトを申し込む。


リゾートバイトしながらでも、シフト入れるよう調整もしてくれる、いいバイト先だった。


お客さんが船に乗る前は、新中川から東京湾へと、船の上の景色が一望できる。

ディズニーランド、葛西臨海公園、絶対船からしか見えないだろう東京湾の場所など…。

とにかく綺麗だった。


そんな綺麗な景色を堪能し、お客さんをお出迎えして20分後ぐらい…


船酔いしました。


屋形船バイト、断念!


船酔いしても船は止まってくれないので、みんなが働いている中、私は大好きな隅田川をずっと眺めながら船酔いを抑えていました。


船酔いしても、隅田川は綺麗だったなぁ…。


リゾバ

会社員時代に隅田川でナンパしているとき、クルーズ船に向かって思いっきり手を振っているお姉さんに遭遇。

「どうしました?友達いました?笑」と話しかけると、「ただ楽しくて手振っちゃってた」と言われる。

なんでそんな元気なのかと尋ねると、「会社員を辞めて、一時期リゾートバイトをしていて、そこから楽しく生きられるようになった」とのこと。


こんな楽しそうな生き方に憧れる!ということで、私もリゾートバイトを始めることを決意。

ということで、現在広島県で生活中。




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