携帯というものは簡易世捨て機らしい
今日友人と大きめの本屋に行ったときのこと。
友人とは本の好みが全く違うので、一緒に本屋に行ったときはお互い見たいジャンルの本棚に直行する。
つまり、本屋に入ったらすぐ解散する。
このとき問題になるのが、再集合である。
誰もが携帯を持っている時代で、なぜ再集合が難しいのか。
それは、携帯が逆に電話機器としての機能を失いつつあるからである。
思い浮かべてみてほしい。なぜ自分が携帯を持ち歩くのか。
誰かから電話がかかってくるから、連絡ツールだから、というよりも、音楽を聴きたいから、動画を見たいから、漫画を読みたいから、などという理由が浮かんでくるのではないか。
むしろ、急に電話がかかってきて着信音が鳴るのが嫌だからマナーモードにしている、という人も多いのではないか。
私も例に漏れず、常時マナーモードであるし、音楽を聞くために持ち歩いている。
流石に電話がかかってきたら気づくようにはしているが、、。
そこで、「再集合の時はLINEをするか電話をする」と伝えたら、当然のように「電話?気づくかなあ」、と言われる。
友人の携帯は電話がかかってきても音が鳴るどころか震えることもないというのである。
友人曰く、「連絡のために携帯を持ってるんじゃない。世から離れるために持ってる。」らしい。
なるほど確かに、最近のイヤホンやヘッドフォンはノイズキャンセリングの性能がすごく、外界の音は全く気にならなくなると言っていい。
音楽や動画、ラジオを流していたら、気にならなくなるどころか聞こえないだろう。
それに携帯は、頭の中も占拠してくれる。「この歌いいなあ」とか「次は何を聞こうかな」と言ったふうに、自分の世界の中で考えを巡らせるだけだ。自分が選んだことに対して思考が連鎖していくだけだ。
簡単に環境を操作できる、思考も操作できる、誰にも邪魔されない。
これって世捨て人が人里離れた場所で生活するのと何が違うというのか。
話を戻そう。
「電話がかかってきても気づかない」というのだから、再集合したければ、自分の足で友人を探すしかない。時代が逆戻りしている。
でも、これでいいのかもしれない、と思う。自分の足で探しても結局は見つかるし、連絡を取り合っていても見つからないこともあるし、そういうもんなのかもなと。
人間の生活に携帯は必要なかったのかもしれない。
人間って案外、独りになりたがってるんだなと思う。
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