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サイエンスの消費には、ストーリーを必要とする

科学は、わたしたちの生きる物語に合致したときに、価値を見出され消費される

私は、最近、実証経済学の計量経済学について、熱い興味を注いでいる。
これまで学生時代に興味もなかったくせに、なぜ、今になって?

私の生きてきた軌跡を、ロッククライミングに例えるなら、たまたま、次の一手として有効な石になりうるかもしれないという、私の”期待”というスポットライトが当てられているからだ。

わたしたちの物語にあった時、科学は掴み消費される

別の言葉で表すなら、私という物語(ストーリー)から生まれた仮説があり、その仮説検証のために、計量経済学(サイエンス)が有用となったため、もともと興味もなかったとあるサイエンスが今のタイミングで興味深い対象に代わっている

同じことは、他の人にも当てはまるのだろうと思う。
組織行動論を専門としている服部さんによると、”これまで全く興味のなかった疫学が、コロナウィルスをきっかけに自分にとってリアリティの高い物語になり、疫学的な知識が消費に値するとても重要なものなった”という。

科学の知が消費されるのは、その人が生きる物語にそれが合うときだ。

経済セミナーNo.725 特集「職場」の経済学の対談より引用

私というストーリーがなぜ計量経済学を必要としてるのか?

計量経済学の専門家でもない私という個人が、今、計量経済学に興味持っている理由など、多くの人には、どうでもいい情報であり、notesに記すほどのことではないのではないか? とも思う。

ただ、notesを始めたきっかけが、とあるパキスタン出身の同僚から、「何か興味があることがあるなら、アウトプットしなよ。そしたら、同じことに興味がある人と繋がるかもしれないし、他人に君が何を考えてるか、もっとわかるよ。」とアドバイスされたことがきっかけなので、ここで記そうと思う。

前置きが長くなったが、私が政策評価としての計量経済学に興味を持ったきっかけは、偶然出会ってしまった実体験に基づいて、心に沸き起こった仮説がきっかけとなっている。
この仮説検証として、政策のインパクトシミュレーションを考えるにあたって、計量経済学という分野が、目の前にあったという経緯になる。


実体験

かれこれ数年前、ミャンマーのマイクロファイナス機関の毎週の回収の寄り合いに参加させて頂く機会があった。
目的がデューデリジェンス(監査のようなもの)であったため、特に延滞のある支店の延滞者にインタビューのようなかたちで延滞理由をお聞かせいただいた。
(通訳者によると)延滞の理由は、日照りのせいで、この地域で生産している豆が収穫できず収入がパッタリで返せない。豆の不作は、この地域の人々全体に起きており、中には、ローン返済を免れるために夜逃げする同じグループの人もいたのだという。マイクロファイナスは、グループ保証という形式をとっているので、IT技術者である息子が代わりに返済しているといったことを怒りまじりに話していた。

仮説

  • もし、日照りの予測(気象予測)ができて、乾燥に強い他の代替農産物に事前に植え付けの作物を変更できていれば、対策が打てたのではないか?

  • そのような対策は、個人や特定のマイクロファイナス機関の工夫ではなく、国際機関や政府の政策として推進できるのではないか?

仮説があってるのどうか確かめるために必要なこと

もし、政策として推進するなら、当然ながら、効果 > 費用 でなければいけないので、効果 や 費用 を定量的な数字として試算する必要がある。

  • 便益・効果(インパクト)

  • 費用

ここでのポイントは、ここでインパクトを測りたい政策は、「将来の仮想的な政策であり、実際には実施されていない。」ものであるということだ。

この仮説検証に有効な材料(サイエンス)を探していたところ、どうやら、計量経済学という分野が有効らしいので、このサイエンスを消費するに至っているというわけだ。

今後、データ分析の知識がちょっとあるくらいの私が、将来の政策のインパクをどのように測るか?について学んだことを投稿していきたい。

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