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”英語圏” と聞いて想うこと。 --- 新興とか、二流とか、辺境とか。---
日本の、しかも地方都市に暮らしていて日常生活において”英語圏”なんて言葉を目にしたり耳にしたりすることは、一部の少数を除いてほとんどないのではないだろうか。
あらためて説明するまでもないが、英語圏とは英語が公用語とされている地域のことだ。イギリスやアメリカ、オーストラリアなど経済的に豊かで環境にも恵まれた、立派な国家ばかりといった印象を受ける。
おそらく日本の多くの人が英語圏と聞いて想起されるイメージもそのようなものであるだろう。かつて英国の植民地であった地域では必ずしも該当しないのかもしれないが、わたしの印象と世間のイメージに大きな隔たりはないのではないかと考えている。
わたしは今までこの言葉に2度ほど触れたことがあるが、いずれもネガティブな意味の言葉として用いられていた。(ひょっとしたら3度かもしれない。中田敦彦氏のYouTube大学で聞いたような、聞いてないような、、、)
1度目は自転車競技のテレビ中継を観ていたときだ。ランス・アームストロングが現役で活躍していた頃はツール・ド・フランスをはじめ、ジロ・デ・イタリアやブエルタ・ア・エスパーニャをよく観ていたように記憶している。
ランス以外にもウルリッヒやバッソ、ラスムッセン、ヴィノクロフなど好きな選手はたくさんいたが、みんなドーピングで何処かに追いやられてしまったような気がして寂しい限りだが、禁止されていることをしてしまったのだから仕方あるまい。
自転車競技、とくにロードレースにおいて世界の中心はラテンにある。世界三大スポーツイベントなんていう括り方は日本人しかしていないと思うが、五輪やW杯は4年に一度、地球のどこかの地域でしか開催されないがツールは毎年、7月にフランスで3週間ほどレースを続け、必ずシャンゼリゼ通りで選手たちはシャンパンを片手に乾杯し、その激闘の幕をおろしている。
偉大な選手のみならず老舗自転車メーカーなどは大半がフランスやイタリアに国籍を持つものばかりだが、近年は少し事情が変わってきている。
アメリカやイギリス、オーストラリアの選手たちの活躍を目にする機会が非常に増えてきたばかりでなく、英米国籍のチームの躍進も目覚しい。またトレックや、キャノンデール、スペシャライズドは米国の総合自転車メーカーだ。
歴史は浅いが、新興勢力である彼らを
ひとまとめにして指し示す言葉が”英語圏”である。
世界の中心ではない、どこか辺境の地の二流の選手やメーカーしか存在しなかったような地域から新興勢力が押し寄せ、世界地図を書き換えようとしていることを欧州の人たちはもしかしたら快く思ってないのかもしれないが、日本の地方都市で暮らすわたしには実感を持って確かめる手立てはない。
2度目に英語圏という言葉を耳にしたのはNHK-FMでクラシック音楽を聴いていたとき(N響アワーだったかな、、、)で、こちらも自転車競技の場合とほぼ同じ格好になる。
自転車競技においては地中海沿岸にある国々がその世界の中心であったが、メインカルチャー、ハイカルチャーとしての音楽の中心はもう少し内陸部に位置することになるのだろうか。
ウィーンを音楽の都と呼んだりするし、高名な作曲家たちの多くはドイツ出身者であるというのは世間一般のイメージとして定着していることだ。
しかしながら、近年のアメリカの主要都市に籍をおく交響楽団の評価は高まるばかりである。かつてビッグファイブと呼ばれた楽団は東海岸に集中していたが、現在では西海岸にも素晴らしい楽団が多く点在している。
そして、記憶が曖昧なので断定できないが中田敦彦氏のYouTube大学でも聞いたような気がする、、、なんとなく。たしかワインについての動画だったと思う。
欧州産ワインを旧世界のワイン、カリフォルニアやチリ産のワインを新世界のワインと呼ぶことをその動画で知ったが、ワインの歴史や文化などの概要を説明する際に”英語圏”というキーワードが出ていたような気がする。
もしかしたら、わたしの思い込みなのかもしれない。
やはりワインや料理の世界は歴史においても文化においても中心はフランスで、英語圏は辺境の未開の地であり後発集団であり、経済や産業として勃興させた欧州のモノマネでしかないのかなぁ、と動画を観ながら思っただけなのかもしれない。
いずれにしても、極東の島国から窺い知る限りでは欧米という、とてもとても大きな森にしか見えない。
その中に樹や枝や葉があるように、欧米の中にもそれぞれの様々な歴史や文化や世界観、価値観があることは想像できる。
ただ、それを俯瞰で眺めて、正しく識別したり認識したり、興味を持ったり尊重したりすることにどれだけ意味があるのかは正直なところよく分からない。
ひとりの東洋人が、アメリカやイギリスは後発の新興国として頑張ってるんだなとブツブツ独り言を並べてるだけの乱文・駄文でしたが、本当に最後までお読みいただきまして有難うございます。