我流護摩祈祷→ムロツヨシがちょっとずつ嫌いになりつつある人々へ
厄年というのは本当に恐ろしい。
去年の前厄でもケガや損失があり、今年の本厄ではもっと散々な目に遭いつつある。
これはいけないと厄除け厄払いに行こうとも思ったのだが、自分には田舎も実家も神仏に対する信心も全くないもので、どうにか我流で厄落としをやってやろうと思い立った。
というわけで、昨日は仕事終わりに厄者たち(ラジオの相棒村井さんとザンマン)3人でもって、近所のドでかい公園で我流の厄落としをやってみた。掲題の護摩祈祷要素も大胆に取り入れて。結果、大変思い出深い儀式になった。その様子を記しておく。
その前に自分なりに「厄」の解釈を。
冒頭の一文とは矛盾するが、厄とは不運不幸を呼び寄せる年齢、という意味ではないだろう。毎年なんらかの不運不幸はある。厄年という言葉が、その年の不運不幸を印象深く記憶され関連付けされてしまうだけだ。
厄とは、おそらく「もう若くないんだから以前のような生活では病気をしたりケガをする年齢だぞ」という先人たちの訓戒だ。加えて特に42歳の厄年は「親も年寄りなのだから、介護とか財産の引き当てなどその辺の手当も考え始めないといかんぞ」であろうかと思う。
つまり、厄年だから不運不幸になるとかではなく、今までの生活を改め未来を見つめようぜ!ということだ。人生のマイルストーン。きっかけとしての厄年。
それではそろそろ我流厄落としの儀、始めようか。
①身を清める
これは酒。祭りなどの神事には欠かせない酒。これは飲まなくてはいけない。でもすぐに飲み始めてはご利益も少なそうなので、1時間我慢してから飲み始めた。あえての荒行である。
②炎で身を焦がす
とりあえず焚火がいいと思い、ヤマモモの薪を麻袋に二つ用意した。そして19時過ぎに点火。とにかく熱い。汗だくだ。改めて炎の偉大さ、そして畏怖を皮膚に覚えた。
③スマホで般若心経を流す
これはうるさいのですぐ止めた。
④左遷された友人の誕生日をビデオ通話で祝う
渦中の河合議員夫妻の地元へ東京から左遷された共通の友人がおり、たまたま昨日誕生日だったのでサプライズビデオ通話をした。厄落としでやさしい気持ちになれたからできることだ。
⑤焚火の周りで踊る
神事には踊りの奉納もつきものだ。激しい田原俊彦全盛期を思わせるダンスを踊った。ちょうど焚火の煙と公園の街灯がダンサーを影絵のように演出した。かっこいい。
⑥自分語りをする
薪が尽き火柱も消え、チラチラとした信号灯のような炭火が地面に残った。自分語りの時間だ。お互いが素直な気持ちで現在過去未来を語り合う。親、兄弟、妻、子、仕事。毎日に意味を求める必要があるのか。毎日が意味をもたらしてくれるように願っているだじゃないか。願い事なんて叶ったらラッキー程度でいいんじゃない。欲しいものはここに全部あるしさ、と笑う。
地上にはわずかに残った火の煌めきがあり、天上の天の川は静かに白く漂っている...酔っている。ゆったりと酔っている…
⑦すき屋でデラックスカレーキングサイズを完食する
23時過ぎ。片づけて解散の運びとなったのだが、最後に記念になるダメ押しをしようということで、すき屋に入って無茶をした。キングサイズは特盛よりも多く、メニューにも記載はない。バカみたいに多い。
結論 最後のは余計だった。まだ胃の中にカレーがいる。
それ以外はいい厄夢気分である。