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アレクサンダーテクニークとコース④

先日、アレクサンダーテクニークのレッスンを受けた際、先生から「呪文」を教えてもらいました。

どんな呪文かと言いますと、
こんな呪文です。

首がフリーで頭が前上でそれによって背中が長くなるので膝が前にいく

そして、わたしはこう言いました。

「この呪文の内容をイメージしながら、
体を動かすのですか?」と。

すると先生は、

「イメージしないでください。この言葉の意味は分からないままで大丈夫です。なぜかと言うと、イメージする主体(この場合はわたし)の感覚が間違っているので、イメージしたとしても、そのイメージしたことは間違っていることがほとんどなんですね。なので、イメージすることなく、ただ唱えるだけでよいんです。だから呪文なんです」

と言いました。

わたしは、先生のこの言葉を聞いて、えらく感動してしまいました。

というのも、
コース(奇跡のコース/奇跡講座)のワークブックの序文において、
イエスが言っていることも、
同じことなのではないかと思ったからです。

序文には、こう書いてあります。

この「ワークブック」が提示する概念の中には、信じがたいものや驚愕させられるものがあるかもしれない。そうしたことは問題ではない。あなたはただ、指示される通りに、その概念を適用するだけでよい。それらの是非を判断することはまったく求められていない。ただそれらを使うように求められている。使うことにより、それらがあなたにとって意味あるものとなり、真実であることが示されるであろう。
ただ次のことだけを覚えていなさい。あなたはこれらの概念を信じる必要もなければ、受け入れる必要もなく、歓迎する必要さえもない。あなたが断固として抵抗するような概念もあるかもしれない。こうしたことは一切、何の問題にならないし、その効力を減じることもない。しかし、「ワークブック」に含まれている概念を適用する際に、例外を設けて構わないと思ってはならない。そうした概念にあなたがどう反応しようとも、とにかくそれらを使用することである。それ以上のことは何も要求されない。

また、「キャロルさんの奇跡講座レッスン#1-①〜導入編〜」において、キャロルさんは、次のように言っています。

何度も何度も、どの国に行っても、人々が同じ間違いをするのを目にしてきました。それは、多くの人がコースを「実践練習」するより「理解」しようと努めているってこと。

たぶん、学校教育の影響だと思うのですが、
わたしたちは、何かの言葉や文に接すると、
本能的、習慣的、無意識的に、
その言葉や文が意味するところを理解しようと努めてしまうのだと思います。

でも、
理解しようとする主体がそもそも間違った状態にいるわけですから、
その間違った主体を出発点とした理解やイメージは、すべて間違っているということになるのだと思います。

アレクサンダーテクニークも、コースのワークブックも、
間違った状態を修正するものなのに、
わたしたちはどうしても、
その間違った状態を維持したまま、理解やイメージをしてしまうのだと思います。

つまり、
わたしたちのうちにある理解したがる衝動が、本当の理解の妨げになってしまっているということです。

このことに気が付かない限り、
どんなに一生懸命コースを学び、実践したとしても、
結局、どこにもたどり着けないのではないだろうか、
そんなことを思うのでした。



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