言語は所詮記号でしかないということ。
1人で海外行ったことあるよとか、ワーホリ行くとか話したらだいたい、
「え、英語話せるの?」
って聞かれるんやけど、まじで英語なんて話せん。
中学校の義務教育と高校の6年間の一般的な授業だけで、ペラペラ話せるやつなんて見たことないわ。義務教育バンザイ。
俺からしたらそもそもその質問自体が
「?」ってなる。
**
「英語は話せないけど、外国人とコミュニケーションを取ることはできるよ。」**
そう、これが本質なのだ。
まじで言語は、ただの記号でしかない。
究極言っちゃえば、外国で英語話せなくても、相手とコミュニケーションを取ることが可能なのであれば、話せるようになる必要なんて微塵もない。
言語は、あくまで記号に過ぎない。数字も記号だよ。
ピラハー族って知ってる?
ブラジルのアマゾン奥地に暮らす先住民なんやけど、彼らの言語は、
子音8+母音3の計11個と音素の数が世界最小。一説によれば合計10個と言う説も。これで生活してコミュニケーションを取ることができている。それよりも驚きなのが、彼らには数字という概念がない。
「1、2、、、沢山」
とかそういったものが一切ないのである。
色を表す言語もなくて、なんかもう俺らには分からん次元なのだ。
この話はよく、人間が生まれながらにして数字という概念を持ってない証拠として挙げられることが多いのだが、今回は、
「言語の数が極端に少ない奴らでも生きていけてると言うことは、記号の有り無し、多い少ないがコミュニケーションに置いて、さほど重要ではない。」
ってことの証明として挙げさせてもらった。民族だから、俺らと環境は全然違うけどね、そう言った奴らもいるよって話。
よく聞くメラビアンの法則見てもわかるっしょ。話し手が聞き手に与える影響で、言語情報、話の内容なんて7%しか占めないとか言うあれ。
感情を全面的に出すことができれば、通じないものはないと思っている。 コミュニケーションはハートだ!って。
個人的にそういうウェットなものが好きなだけなんですけどね。
まあ話せるに越したことはないし、話せた方がより深い関係を築けるし、世界が広がるのは事実なんやけど、
俺が言いたいのは、初めから、外国語を話せないからといって壁を作って、海外に行かないのはまじでもったいないってこと。
Googleアースとかで遊んでると、まじで小さい島国っての実感するし、
スケールの大きさに圧倒される。
英語話せなくても、海外でナンパした向こうのJDと
3日間共に過ごしたり、エッチしたりしたし、空港でめっちゃ泣いてくれて、月9の主人公みたいな体験させてもらたわ。
俺でもできたんだから、まじで誰でもいける。
言語学について語りたかったわけではないっす。
言語学だったりを学びたい人は、ノーム・チョムスキーって人がパイオニア的な存在らしいから調べてみて。オススメ。
なに言ってるか分かりませんでした。
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