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男はつらいよー

「あいつCIA」が口癖の男だった。

「天皇と喋った時に」とも言っていた。彼はアメリカの政治家「マイク・ポンペオ」に似ている。我々は国際恋愛をしていた。東京でのこと。彼は海外転勤を繰り返す人だった。中東のイスラエルに転勤するため、アメリカで一旦、訓練を受ける。私もついていった。

ドラマ「ストレンジャーシングス」に出てくる町みたいな町の学校に、彼は車で通った。ホテルから通う。私はホテルで待つ。放課後、車で私をさらって外食し、ふたりでホテルに戻る。この繰り返し。

ある日、宿題が出た。「放課後に車で尾行するので、気づいたことを報告しなさい」という問題。私も巻き込まれた(ここがミソである)。あの放課後、ここは日本の教習所かってくらい後続車に注意した。宿題には条件がひとつあった。「気づいたら、気づいたことに気づかれず、しかるべき人間に報告すること」。ツイッターで黙って通報するのと同じだ。訓練しないと難しいことなんだな。へんに納得する。車を数えていた我々は眠くなってしまい、急遽、道ばたのアイス屋(Dairy Queen®)に寄り、一緒にソフトクリームを舐めた。我々は完全に宿題をサボった。舐めている。さらわれない気でいる。

イスラエルの東京「テルアビブ」での暮らしが始まった。ユリゲラーの地元だ。フェイスブックのタイムラインに、マイク・ポンペオの写真が流れる。本物のほうだ。というのも、私のマイク・ポンペオの友達が(つまり偽物のマイク・ポンペオの同僚が)、本物のマイク・ポンペオと自撮りをかましていた。世にも奇妙な話である。「ポンペオ氏、イスラエル入植地を訪問 米国務長官で初」と騒がれた出来事。ついに訓練の成果を見せる時がやってきたのだ。

隣国のパレスチナから、テルアビブにロケット弾が飛来する。2019年3月14日21時07分。2発だった。原爆か。空襲警報が鳴り、我々はマンションの防空壕(というかクローゼット)に避難した。爆発音が聞こえたが、花火みたいで見逃した気になる。アメリカでの訓練はというと、役に立たなかった。やはりあの時ソフトクリームを舐めてて正解。防空壕はというと、ワイファイが弱めだった。大家さんに文句を言いたい。だって当時のイスラエルの幸福度は世界13位。紛争はともかく、ワイファイはビンビンにできたはず。

私のマイク・ポンペオが、テルアビブで入院した。そこにコロナが上陸する。最悪の流れ。まだワクチンは開発されておらず、皆がパニック。流れで私の名前がコロナになる。マイク・ポンペオの回復には手術を要した。そこで急遽、アメリカから娘が飛来する。ダディをアメリカで手術させるということで、彼は連れて行かれた。さらわれた。私に言わせれば。世にも恐ろしい話である。病気でいいからそばにいてよ。結局、訓練は無駄だった。娘はソフトクリームなど舐めない。

「東日本大震災の時のもそんな感じー」と、娘は言った。当時、娘とマイク・ポンペオは東京で一緒に住んでいたが、緊急事態ということで、娘だけアメリカに帰国したらしい。私はというと、3月11日の午後は、いつもどおり塾に向かったっけ。

「ダディは嘘をつく」と娘は言う。アメリカの家で晩御飯を食べていた時のこと。当人のマイク・ポンペオはというと、ニヤニヤしながら、その場から逃げた。マイク・ポンペオは、退院ついでに引退し、アメリカで家を買い、平和に暮らしていた。そこに私も合流。その頃にはワクチンも開発され、我々は二人仲良くコロナを舐めていた。しかし彼女はそうでない。働きながら2歳児を育てる娘は、我が子のようにダディを心配する。マイク・ポンペオはというと、血をサラサラにする薬を酒で飲み、現役時代に控えていたマリファナも食べ、クラブとかにもぜんぜん行く。つまり一般人になった。尾行もテロも、もう警戒しなくていい。敵は高血圧。己との戦いだ。マリファナは合法なのでいいとして、クラブは娘が許さない。「このタイミングで人が集まる所に行くなよボケが」という彼女の主張は一貫していた。まともな人。怒らせたくない相手。

でもダディは嘘をつく。ごめん娘、知ってるね。

あなたのダディは、ヌーディストパーティにも行ったし、カドルパーティにも行ったし、コロナの規制をくぐり抜けて山のフォレストレイヴにも行った。心臓にいかつい気体も経鼻吸引する。ハートが弱いくせに強い。不良の男。

プロビンスタウンの宿にて。

彼が家を買うまでの間、彼と私は、のちにクラスターパーティで騒がれる保養地「プロビンスタウン」に滞在した。そこに娘一家が訪れる。娘、娘の夫、2歳児、の3人。ハロウィンシーズンだった。同性愛者が極端に多いプロビンスタウンでは、娘の夫は大人気。2歳児と2人で歩けば、芸能人でも来たのかという盛り上がり。コロナを心配する大黒柱の娘も「この日ばかりは仕方ない」と、沸きおこる幸福を制御できないでいる。らしくない。夜になり、味を占めた娘の夫が「トリック・オア・トリートしに行こうぜ」と言う。2歳児もノリノリだ。お昼寝なしでハイになってる。マイク・ポンペオは、だるそう。お昼寝をしなかったからだ。娘と私は、陽気な2名を見守る形でトリック・オア・トリートに参加した。父娘が嬉々としてLGBTQの人々を襲う様子を、見守り続ける。幸せな光景である。我々は傍観するほかないですなと幸福きめこんだ時、娘が言った。

「They think I’m a bitch.(ビッチ思われてるんやろな。)」

同性愛者だらけの町で疎外感を感じたようで、「もしかしてウザがられているのでは?」と懸念が漏れていた。父がだるそうにしていたのと無関係ではないだろう。可哀想に。私は娘が好きだった。彼と同じ頭の形で、横から見てもかわいい。私の隣で、愛する人が愛する人が愛する人を愛でる夜。愛がとまらない。その時みんな家族だった。ありがとうね。多分この日、人生でいちばん幸せだったと思う。だからと言ってはなんだが、調子に乗ってくさい事も言える気分だった。

「Bitch, that’s a compliment here. You know that.(だとしたら姐さん、褒められてます。)」
 
とか言えばよかったが。

あなたのダディとさよならして、つまり、あなたたち全員とさよならした今となっては、もう無理。とりあえず私がBitchと言うとき、それは誉めている。とりいそぎ。

彼女には妹がいた。父を助けにロケットみたくぶっ飛べる彼女とは逆で、次女は父に飛んで助けに来てほしい人。次女と父は愛し合っている。次女は、父との交流に危機感を抱いていた。奪還する気でいる。私から。父の名を子につけたのも偶然ではないだろう。これで父は私のもの?「求めよ、さらば与えられん」ってやつだろうか。私は、妊娠できない自分を恨んだ。神も仏も知らんぷり。なんてね。次女はよく泣いた。宅飲みの時でさえ、父とバイバイする時は、見ているこっちが申し訳なくなるほど。そしてたいてい不満そう。私がいたからだね。ごめんね。でも安心。そんな時はいつも、彼がやさしくキスしてくれる。次女の唇に。そして帰りの助手席で、俺がえずく。

「あいつbitch」が口癖の男だった。


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