移住は幸せか?複数国で暮らして得た、理想郷の解
移住は幸せか?
イギリス、カナダ、ドイツ、イスラエル、アメリカで暮らした。だから私の場合、「移住=海外生活」となるだろう。「移住は幸せか?」には色々な意味がありすぎるのは百も承知で、その問いに対して独断と偏見で白黒つけた:移住は幸せだ。少なくとも、私が暮らしていた時代のイスラエルは幸せだった。それでは理由を説明していこう。
イスラエル、どれくらい幸せか
幸せだった理由は単純で、世界幸福度ランキングで上位だったから。私が暮らしていた頃のイスラエルは、世界幸福度ランキングで13位。当時58位だった日本との幸福の差を、数字でつきつけられた。
当時のイスラエルの暮らしで強烈だったセンセーションを日本の基準でジャッジすると、「自分勝手」という言葉があてはまりそうな状態。もうすこし丁寧な言い方だと、「自分らしく」かもしれない。しかしながら、イスラエルには、日本流の慇懃無礼な「自分らしく」が永遠に到達しない剥き出しの次元があると感じなくもなかった。「自分ファーストの徹底」とでも言おうか。なんだか、そもそもな感じだった。
私が勝手に感じた「自分勝手」という印象と関連している気がするのだが、そういえば、イスラエルは若い国だ。1948年に建国されたので、2022年で74歳(ブライアン・イーノや五木ひろしと同い年)。イスラエルには「2000年ぶりに故郷に帰国、さてこれから!」というコンセプトがあり、そのストーリーを万人が共有している様子だった。国民の態度には、「行くで!」のような勢いがあった。国の規模は民の士気と強く関わる気がするのだが、イスラエルは人口は約900万人(神奈川県くらい)と小規模で、スピード感というか、緊張感が伝わりやすかった(政治と戦争と宗教と生活がくっついている感じがあった)。
そう、イスラエルにはスピード感があった(コロナのワクチン接種よろしく)。だからというか、中途半端に気を遣おうものなら、すぐ他の誰かに取られて、自分の居場所が無くなる、みたいなことが、今日も起こって、明日も繰り返され、はい次〜、のようなテンポだったように思う(もちろんこれは個人的に印象的だった部分のひとつにすぎない、という、本文に含まなくていい補足を含まなくても、そこまで怒られない国だった気がする)。
理不尽なことでイライラすることもあったが、幸せを確信している人々に囲まれるのは、幸せなことである。オプラ・ウィンフリーの名言のひとつ「コップを満たせ(まずは自分の自尊心を満たそう、のような意味)」で例えると、イスラエルはもう皆、なみなみ溢れていて、洪水が発生している。もちろんこれは比喩だし、全員がそんなにうまいことハッピーなわけがないし、大変な問題もある。あくまでも外国人の私が3年くらした印象だが、イスラエルからそれくらいのエナジーを感じた。
不幸の国、アメリカへ
そんなイスラエルからアメリカへ引っ越した。アメリカは世界幸福度ランキングで18位だったので、数字では確実に不幸になった(同年イスラエル14位)。アメリカについては、日本人から、ネガティヴな噂をよく聞いていた。食べ物の値段が高い、自分勝手な人間が多い、汚い場所だらけ、など。みんな一体、どこで暮らし、誰と付き合っているのだろう? と心配したが、どうせイスラエルより不幸な国に行くのだからと、私は覚悟はしていた。だから、アメリカの第一印象が、「イスラエルより安い!イスラエルよりやさしい!!イスラエルより清潔!!!」だった時、私は感極まって混乱した。QOLやエンゲル係数は急上昇。私の幸せは、世界幸福度ランキングを数字で否定した。
そんなアメリカ(人の友達)いわく、イスラエルは「礼儀がなってないアメリカ」らしい。不幸なことを言うではないか。ちょっと雑ではないか? 本当にそうか? と、同意しかねるが、否定せねばとも思わない。これはあれだ。日本人が礼儀やマナーについてあれこれ言う時の感じが、イスラエルにあれこれ言う時のアメリカ人だった。このあたりで現状を把握した。すみやかに比較できるということか? つまり見抜ける、共感できるということか? なんにせよ、どちらもそこそこ幸せに違いない(世界幸福度ランキングで同年62位の日本を基準とするならば、尚更)。
強いのは誰? アメリカ&イスラエルvs日本
アメリカ&イスラエルを1つのチームと仮定して、アメリカ&イスラエルと日本を比べると、違いを感じる。前者は雛形を作るタイプ。後者は雛形をなぞるタイプ。アメリカ&イスラエル:雛形を作るタイプは、作り方や態度は二の次で、ことを動かした者が強い。地平線の向こう側の正義を見ている。現世で異常と思われるのも、いたしかたなし:革命。そうなってくると、現在の地球上で発生するクレイジーな出来事がしっくりこなくもない。こんなふうに陰謀論とかって盛り上がるのかなと思う(念のために記すが、私は日本政府のコロナのワクチン接種証明を申請初日に申請するような人間だ。また、ユダヤの噂を、曇りなき眼で見定めるべく、京都の太秦を訪れたりする。ようはミーハー、いや、現代っ子なのである)。
うってかわって、日本:雛形をなぞるタイプ。これをフォーマットとした場合、アメリカ&イスラエルと互換性があるか無いかだと、無いと感じた。日本フォーマットでアメリカ&イスラエルを攻略するのは、ワードプレスのビジュアル編集のままhtmlを直接いじろうとするくらい、無茶苦茶なことだと思う。無理だ、言語が違う。土俵が違うというか、競技が違うというか、そもそもな感じだ。だから日本らしく「自分らしく」を徹底しても、あの感じになりそうにない気配が、このあたりから臭っている気がしなくない。
崩壊していく「幸せ」
言語に関して、そういえばだが、アメリカでは、通じるがゆえの限界も感じた。不幸なはずの日本で感じなかったタイプの、越えられない壁…とでも言おうか。この不幸-かべ-は、もしかして、アメリカより幸せなイスラエルで暮らすパレスチナ人も、こんな気持ちなのかな…と、おセンチな気分になった。高いとか低いとか多いとか少ないとか、もう幸せがわからない。いっそ壁に嘆いてやろうか。
同情の余地が否めないかに思えたイスラエルのパレスチナ人だが、彼ら(と思われる人々:アラビア語を話していた)がアジア人に対してやんちゃな態度を取った現場を目撃したとき、実はそこに高い壁が聳えていたどころか、その高みから見下されているように(私には)思えて、嘆きたくなった。私にとって、世界幸福度ランキングが、いよいよどうでもよくなった。どうやらそれは、私に幸せを示す存在ではないらしい。
幸せの解
幸せとは、つくづく、自分にとって都合がいいことだと感じる。同性愛者が目に見えてうろついている場所のほうが私にとっては都合がいいし、ヘブライ語(イスラエルの公用語)よりも英語が通じるとありがたい。そのとき、人種を馬鹿にされたくないが、アジア人だからといって話が通じないのも、なんだかだ。
幸せを地域でまとめよう。イスラエルのテルアビブは、雰囲気は最高だった。アメリカのボストンの雰囲気はテルアビブほどではないが、テルアビブよりは生きやすかった。故郷の京都は最高の観光地だと思うが、言葉の壁を感じる。どうやら私は「英語圏でゲイのアジア人が住みやすい海の都会」を幸せと見做すらしい。
…と考えた時、アメリカのハワイ州のオアフ島のホノルルが思い浮かんだ。
英語圏のテルアビブがあればなぁ、アジア人が強めに愛されたらなぁ、という願いの延長線上に、オアシスが見えた。ホノルルとテルアビブは雰囲気が似ている(人口もほぼ同じ:40万人)。ホノルルは英語圏だが、アジア人であることが残念になりにくい(アメリカ本土やイスラエルと比べた場合)。なぜそう思うかというと、初めてホノルルに旅行した時、受け入れられている気がしたから(トランジットで1泊。マハロ{ハワイ語で「ありがとう」を意味する}と言われ続けて嬉しかった)。マハロと誰かと言い合える居場所、私の幸福度を下げはしないだろう。
ホノルルいいなーが、今の心境である(爆汗笑)。でも人口は京都市以上(150万人)であってほしい、など課題-わがまま-もあるが、この問題提起がきっかけで、私はまた旅し、学ぶだろう。あとこれはホノルルに関してのラッキーなオマケ要素だが、ホノルルはアメリカの地方なのに、その多幸感を日本でも共有できて楽しい。プロビンスタウンやフォートローダーデールだと、こうはいかないわよ。
この記事のテーマソングです(仮)。
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リレーエッセイの次の走者、ネルソン水嶋さんの記事
ベトナム人との会話をきっかけに、ベトナムと日本の歴史を整理しながら、「お国柄と歴史の関係」を思考する話です。「老舗の概念の違い」「カラクリが見える故の母国への不安」など、気になる部分も多かったです。気づけば学んでいる、クラッシュコースのような記事でした。