誕生日に思うこと
母と過ごした最後の誕生日の思い出
両親が既に鬼籍となり、最後に祝って貰った誕生日は2016年が最後。
その最後の誕生日を母が祝ってくれた時の一言。
「40歳のお誕生日は祝ってあげられないね」
これに返答できる言葉って何だろう?
考えても答えは未だに出せていない。
当時の自分が出した精いっぱいの返答は
「向こう(天国)でも祝えるやん!」だった。
涙をこらえて泣くのも堪えて、頑張って出した一言だったけど、
それが正解かと言われたら分からない。
精いっぱいの返答であった。
当日、何を食べたのか、実は覚えていない。
翌週の月曜日には再び入院すると言っていたので、前日はまたしばらく生ものが食べられないからとお刺身を食べた事だけは少し覚えている。
私はいつでも食べられるから、少しでも母に食べて貰いたかったという記憶もぼんやり。
とにかく2016年の記憶が、一番曖昧である。
覚えていないのか、思い出せないのか、思い出したくないのかが分からない。一気に駆け抜けた1年だったと思う。
実は、この時の写真は残っている。そして、それが笑顔で自宅で撮った最後の写真となってしまった。
今も瞼には焼き付いている。
優しい笑顔だったこと。
そして、この年の前年に、母は変わった事を言っていた。
2015年11月の誕生日。
「来年からは何故か分からないけれど、作ってあげられない気がするから、今回はバラ寿司を作ったよ!」と言って、バラ寿司とハンバーグを作ってくれた記憶が残っている。
自分の寿命を感じていた様な言い方だな~と今なら分かる。
母亡き後
2017年の三が日に母は父の元に旅立ち、初めての誕生日は賑やかにいっぱい作った記憶がある。時間もお金も余裕も有ったしね。
それからたった7年で、メンタル大崩壊・足のケガである意味では、地獄を味わってきた。
両親鬼籍、親戚付き合いもなく、兄弟姉妹がいなければ天涯孤独である。
唯一の救いは、百々福(ももふく)が健在ということ。
ただ、この子も現在16歳と6カ月。
人間年齢で言えば、母が旅立った年齢を大きく超えて84歳のご長寿である。
スコティッシュフォールドでは長寿である。
今年も一緒に祝えたことに感謝。
ただ今年はキャリアコンサルタント学習でゆっくり一緒に過ごせないこと、申し訳ないなと思いつつ、降りて来ないので、上でゆっくりお休みされているようだ。
友達やSNS繋がりから
FacebookタイムラインやLINEを通じてお祝いメッセージを頂けたこと
Xでは、多くの方からお祝いメッセージを頂いて
サプライズで郵便局経由でお届けものがあったこと。
とても幸福に感じました。
誕生日の過ごし方
2017~2018年は資格スクールで勉強していたと思う。
2019年は仕事の後、同僚から柚子やすだちを大量に貰ったので、ご近所さんに配っても有り余るので、資格スクールにそれだけを持って行ったはずなのに、担当の先生に捕まってしまい、勉強する羽目になった記憶がある。
2020年は色んな事があり、メンタル壊滅していた。
2021年は疲労困憊で会社を休み、ゆっくりしていた。
2022年は仕事へ行き、会社の先輩同僚からお菓子を貰ってウキウキで帰った記憶がある。
毎年の誕生日は、朝早くに起きて、ご飯だけ作って、お供えして、前日に購入しておいた饅頭を一緒に供えて、あとは「生んでくれてありがとう」を伝える。その先は、いつも通りの生活に戻る。
勉強をずっとしていると思う。しなかったのは無いと思う。
あとはSNS巡りをして…という中で、今年はセミナー参加して
勉強が出来たことに感謝💛
来年こそは、ゆっくり過ごしたいな(*´ω`*)