アイリッシュ・ジャックと幻のトーキョー・モッド Part.2
『チューインガム・ウイークエンド 〜アイリッシュ・ジャックへの質問 前編〜』
今回、ジャックとのやりとりを重ねていくうちに、彼にいくつか質問をするチャンスを得ました。厳選したつもりの質問リストはそれでもかなり長いものになってしまいましたが、ジャックはその多くに丁寧に答えてくれました。60年代当時の話やピート・タウンゼンドとの思い出、現在の話など、貴重な彼の証言を前後編に分けて紹介します。
ジャック やあ、できるだけ質問に答えるつもりだけど、かなりたくさん質問してくれたね笑。手短に答えていくよ。
ジャックとスクーター
Gatsby Blues(以下GB) まずは我々はスクーター好きなので笑。60年代当時スクーターには乗っていたのですか?
ジャック 60年代はスクーターを持っていなかったんだ。私が住んでいたところは集合住宅で、駐車場がなかったんだ。
GB あなたの有名な写真、ランブレッタSXに乗っている写真がありますが、あの写真のSXについて教えてください。
ジャック 写真のSX200はコーク(アイルランド)が地元のモッド、パキ・キャシディのものだ。彼はサタデー・テレグラフ誌で私の写真撮影があったときにあのスクーターを貸してくれたんだ。今は彼の兄弟のエイモンの部屋の前で修理待ちになっているよ。私は今クールなベスパ49㏄に乗っている。クラッシュバーやアクセサリーは付けていない。買い物に乗っていくと目立ちすぎるからね。
アイリッシュ・ジャックの60年代の思い出
GB 当時のファッションについて。あなたがよく通ったブティック、好きなアイテムやコーディネートなどがあったら教えてください。
ジャック 多くのオリジナル・モッドのファッションはイタリアン・スタイルとフレンチ・スタイルがベースになっている。当時、シェパーズ・ブッシュの小さなお店でもフレッド・ペリーのポロが4ポンドで買えたけど、それにはあの月桂樹ロゴが付いていなかったんだ。君のモッドの友人なら知っているかもな。でも同じフレッド・ペリーがジョン・スティーヴンのショップでは12ポンドで売っていて、それは「本物」だった。60年代のモッドにとっては、「本物」を身に着けることが何よりも重要だった。同時に、私は他のモッドに着ているものをどこで買ったかなんて聞かなかった。そんなことは絶対にしなかった。
GB 当時の音楽について。よく通ったクラブ、好きなDJや好きな曲、アーティストなど教えてください。
ジャック 私が通っていたクラブはやはり近所のクラブで、ゴールドホーク・クラブというところによく行っていた。普段は紳士クラブなんだけど、金曜と土曜の夜は違った。金曜の夜はザ・フーがしばらくの間レギュラー出演していたこともあった。お気に入りのDJは特にいなかったけど、ソーホーのシーン・クラブのガイ・スティーブンスはスー・レーベルの大変レアなレコードをたくさんプレイしていてとても人気があった。私はタムラ・モータウンやアイネス&チャーリー・フォックスの『ハート・バイ・ラブ』、そしてもちろんブッカーT・アンド・ザ・MGズの『グリーン・オニオン』が大好きだった。モッド・カルチャーの全てにおいて一番素晴らしかった瞬間は、かわいいモッド・ガールとソーホーのイタリアン・コーヒーバーに腰かけて、ジュークボックスから流れるラムゼイ・ルイスの『ウェイド・イン・ザ・ウォーター』を聞いていた時だった。それこそが、モッド・カルチャーの最もコアな到達点だったんだ、私にとってはね。
GB 日本の多くのモッドにとって、あなたの名前を最初に見かけたのはリチャード・バーンズの本『Mods!』に書かれている、「チューインガム・ウイークエンド」(クラブでアッパー系ドラッグの摂取によりハイになったモッドが、顎の噛む動作が止まらなくなるため一晩中ガムを噛み続けながら踊っていたという逸話から)という言葉を発明した人物としてでした。当時のモッドとドラッグの関係について教えてください。
ジャック 「チューインガム・ウイークエンド」については、それがリグリーズのガムだったこと以外、よく覚えていない。ドラッグとの関係については・・・パープル・ハーツやフレンチ・ブルーはのちの1967年以降にアメリカから出現するLSDのような意識を拡大するドラッグとは異なるものだ。モッドはトリップするのは趣味じゃなかった。モッドがパープル・ハーツやフレンチ・ブルーやブラック・ボマーを摂ったのは、一晩中ダンスするための人工的なパワーを得るためさ。シーンや、フラミンゴみたいなディスコテークでね。ダンスを一晩中踊っていると、無意識にガムを噛んでしまって、明け方にドラッグが切れてくると酷使した筋肉がもとで身体中が痛くなるし、噛み続けた口の中はカラカラになる。マーキー・クラブに行くモッドもいたけど、あそこは11時と早い時間に閉まってしまうんだ。あそこは英国ジャズ連盟が経営していたから厳しかった。
GB 当時あなたが憧れたモッドは?
ジャック 私がなりたいと思い焦がれたモッドというのは、身長180はあって、ストレート・ヘアで、高価な洋服をたくさん持っている。私の身長は170くらい、髪はくせ毛で、とくに着こなしが優れているわけでもなかった。でも私は本質的なところで、モッドであるということがどういうことなのか、理解していたよ。モッドになってピート・タウンゼンドと出会い(実際は彼に出会ったのは私がモッドになる前だったが)、私は本当の自分になった。
「本当の俺がわかるのか?」私はアイリッシュ・ジャックになったんだ。
◆次回は〈インタビュー後編 〜日本の皆へ〜 〉10/22 金曜日更新!
インタビュー : 上釜一郎
翻訳・文 : 牛島俊雄
構成・デザイン : minechiyo
イラスト : 原子高志
GATSBY BLUES TOKYO
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