アイリッシュ・ジャックと幻のトーキョー・モッド 〜番外編〜
昨年発表したアイリッシュ・ジャックのストーリーは、我々の予想以上の反響をいただき、改めてモッド・カルチャーのもつ時代をこえた普遍性に我々自身が驚くこととなりました。
英語がネイティブではない我々とジャックのコミュニケーションは、時に困難を感じることもありましたが、辛抱強く接してくれたジャック、そして彼の思いを最優先した上釜氏の見事なホスピタリティにより、ジャックも最後に"f×ckin' brilliant!"とのコメント。予定していた記事のリリースを終えた後もなんだか名残惜しい気持ちが続き、HARAKO氏の素晴らしい作品をポストカードにして、ジャックに送りました。
するとジャックから返事が。直筆のメッセージが書かれた、彼のあたたかい人柄がよく感じられる素敵なカードを一部ここに紹介します。とりあえずジャックは"OTSKARE"と"SONKEI SURU"が大好きみたいです 笑。
"CLEAN LIVING UNDER DIFFICULT CIRCUMASTANCES"=「困難な状況においてのクリーンな生活様式」、これはザ・フーの初代マネージャーにして伝説のモッド、ピート・ミーデンがモッドを定義した言葉から。"THE MOD IS IN THE DETAIL"は訳すなら「モッドは細部に宿る」。
そうだ、彼にどうしても聞きたいことがあって、最後にひとつ彼に質問したのでした。
GB 今日でもたくさんの人たちが未だに『さらば青春の光』から影響を受けています。いま、あなたはモッドとしての自分の人生についてどう思っていますか?
ジャック (モッドであったから)自分という人間にしては生きてこれたという気がしてるよ。神が私に向かって慈愛の笑みを浮かべ、その後ろで天のピアノの調べが鳴り響いている感じだね。
GB ジャック、ありがとう。SONKEI SURU!
そして、映画『さらば青春の光』の舞台といえばブライトンということで、英国はブライトンに本店を構えるModsブランド"Jump the Gun Brighton"の日本支店、古都奈良にある"Jump the Gun Japan"にも残りのポストカードをプレゼント。それと同時にお店のマネージャーである、Tommyさんに少しインタビューしました。人生をかけてモッド・カルチャーを追及してきたTommyさん。今回は『アイリッシュジャック番外編』ということで、その内容を紹介します。
GB 映画『さらば青春の光』とTommyさんのエピソードはありますか?
Tommy 僕はこの素晴らしい映画に残念ながら10代で出会う事はできなかった・・・。
民法テレビも2局しか無かった愛媛県の南端に住んでいた少年に入る情報量では10代で辿りつくには厳しかったし、本を読むといってもビートルズに夢中な学生の頃はバンド中心だったので、読むのは寧ろギター音楽雑誌ばかりでした。
初めて観たのは20歳過ぎ。
レンタルビデオだったかな・・・ファッション誌に紹介されてたのがキッカケです。
もう既に大人だったので 笑
ジミーの子供な振る舞いには一切共感できなかったけど、とにかくファッションとスクーターにノックアウトされて、ダビングして何度も観たのを覚えてます。
そしてその後の僕の人生はModsが全てになります。
程なくスーツを何着かテーラーで作りました。
90〜92年頃ですね・・・60年代英国のスーツスタイルに辿り着けて、めちゃくちゃ嬉しかった。
当時はThe StrikesやThe Dismateなんかがツアーで大阪や京都によく来ててスーツ着て観に行ったり・・・当時はガレージシーンに居たので、確か対バンもしたと思う。
自身のバンドLes Cappuccinoを結成。Mods MaydayやMods文化の本場イギリスやヨーロッパのステージを夢見てたので、尚のことバンドが生活の中心になり、お金さえあれば服(衣装も)かCDか洋書(音楽、ファッション)、楽器、機材の日々は続きました。
経済的にスクーターにまで手は回らず、映画『さらば青春の光』のように乗る日を夢見て・・・夢は後回しにしてました。
GB ジャックの存在はどこで知りました?
Tommy Jump the Gun Japanをオープンした頃に資料として手にした"A to Z Mod"という洋書で見たのが最初だった。
写真はもう皆さんがご存知のSXにまたがっているアレです。
ピートの友人というのにも頷けましたし、初めて映画を観てから20年近く経ってやはりジミーにはモデルがいたんだなぁ・・・としみじみしました。
幻のトーキョー・モッドとても楽しく読ませて貰いました。
ジャックの友人と話したそのトーキョー・モッドが誰か判明してジャックとコンタクトできたらどんなに素晴らしいだろう!
何かの物語になりそうなエピソードですね。この後の奇跡を願います!
GB 我々も願ってます!ではスクーターについて教えて下さい。
ランブレッタのLi 2型、1959〜60年頃の年式。
現在の様な姿に変貌したのはコロナ禍になってからだそう。
Tommy このスクーターは前出のJump the Gunの日本支店を奈良にオープンする際に、お店のマスコットとして日本に送られて来ました。
スクーターコレクターのイギリス人本店オーナーによる改造がかなり加えられていて、クランクにはLi 125の刻印があります・・・そこから150ccにボアアップした状態で登録されていました。
キャブはGP用が使われてます(現在も)。
状態は走る事自体は問題なかったのですが、電気系などかなりのオーバーホールが必要で、たまにお昼間近隣を走る程度で楽しんでました。
普段はお店の中にノーマルの外観のまま展示してました。
コロナで音楽活動も完全にストップして、仕事以外に打ち込む事が無かった自分にレストアを必要としたスクーターがあることは本当に幸いでした。
イギリスから来た姿を残しながらも常にお店の傍に佇むイメージにふさわしいデコレーションにしました。
諸々のパーツ探しも大変なところを友人の協力もあり外観は勿論、エンジン、電気系、足回りを短い期間で問題ある部分は全てレストアできました。
完成したその日以降、毎日通勤で乗っています(雨の日以外・笑)。
GB ありがとうございました。コロナ禍が落ちついたらまた遊びに行きます!
Jump the Gun Japan
〒630-8344 奈良市東城戸町35番地柴田ビル1F西側。
定休日 毎週月、火曜日。営業時間12pm〜7pm
2015年奈良にオープン。
オリジナルのスーツからカジュアルまで豊富にある。英国、ヨーロッパ産の物が中心。Modsになりたい!と憧れる人、英国Modsファッションをもっと深めたい人にとっては本場の英国アイテムが揃う日本では数少ないショップ。2Fには本格的な英国スタイルのカフェ Brighton Tea Roomがあり、古都奈良のイギリス好きの拠り所、スポットとして親しまれている。
2022年春には奈良県桜井市にカフェの2号店、Brighton Tea Room/Cottageがオープン予定。
最後にこの記事を読んだイギリス在住のモッド・アーティストから自身の絵本とポストカードを贈っていただきました。
こちらはまた別の機会にご紹介できればと思います。
インタビュー:上釜一郎
翻訳・文 : 牛島俊雄
構成・デザイン : minechiyo
イラスト : 原子高志