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砂漠の遺物

数百年前の地図にはサハラ砂漠が緑と生命と水に溢れる大地だったことが描かれている。
とはいえ、それが間違いであった、地図製作者の間にある地図を描く際の習わしであった、というのが定説である。
習慣や願望で水や緑を書き残すものかとも思うが、そういったことになっているので仕方ない。
そして今ではすっかり生命活動の維持を困難にさせる乾いた大地が広がっているが、そんな中にかつて人類が生きた痕跡が見られる。
今回はそのような古代人が残した遺物を見てみようと思う。

正体不明 砂漠のグリッド
ひし形の何か

これらは間違いなく自然にできたものではなく、人が関与している。
とはいえこれは「昔」のものではなく現代に作られているのではないかと思う。
だからといってこれが何を意味しているのかは全く分からない。

まだ他にも発見できるのだが、解像度の関係でよく見える物だけ抜粋してみた。
これらは人が作ったものではあるが、宗教施設なのか住居なのかよくわからない。
仮にこれに屋根がついて人々が生活していた、というのであれば話は少々違ってくるかもしれない。
ここで人間が生活していたということは、水と食料の確保が比較的容易であったということになる。
何時の時代の施設なのかまったくわからないが、少なくともこの当時、この辺りには水があったはずだ。


上は実に興味深いもので、一見して人跡未踏のような場所に見られる。
これは一体なんだろうか。
おそらくいくら考えても解らないので、とりあえず我々が知っている類似したものを探してみたいと思う。
そして真っ先に思い出したのが「すべてを見通す目」のことだ。

プロビデンスの目

もしかして砂漠に放逐されているこれらは、万物を見通す目なのではないか。
どちらがオリジナルなのかはわからないが、簡略化されているところを鑑みるに、原初の形により近いものと思われる。
一番上に張り付けた画像のオブジェクト(?)は最も大きいものである

他のものは数十メートルなのに対し、これだけは特に大きい。
こうしたことも何か意味があるのだろうが、まったくわからない。
そもそもこれらが何を表現しているのかもわからない。

そして上に挙げた「住居」「プロビデンスの目」の原型のようなもの、これらに共通する事柄に気付いたであろうか。

これらは南北ではなく、東西を強く意識して作られているように思う。

南北よりも東西を意識することにどのような意味があるのか。
製作者たちが崇めるような何かが西にあったのだろうか。

最後にこれを紹介したい。

用途不明のダム

これはダムだと思われるが、よくわからない。
何故かといえば、周囲数百キロに人家は見当たらずその手の施設もない。
下流には道路が作られており、もし水が流れたら道路は流されるだろう。
そもそも川の痕跡ではあるものの、しばらくは水が流れている様子がない。
それが証拠に道路が川の痕跡を遮るように作られている。

現代のエジプト政府が作ったものなのか、あるいはまだ河川があった頃、大昔から存在しているものなのか。

実のところこのサハラ砂漠には、まだまだ不明なものが存在している。
その砂の下には更に多くのものがあるに違いない。


今回の映像版を作りました。
テキスト版と併せて参考していただければと思います。


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