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プロレス超人列伝第二回 「ランディ・サベージ」

プロレス超人列伝第二回目になる今回はあの「超人」ことハルク・ホーガン最大のライバルであったランディ・サベージをとりあげてみたい。

ホーガンといえば今でも多くの人が知るプロレスの栄光の象徴であったりするが、片やこのランディ・サベージはプロレスの悲劇性を象徴するある意味では対となった存在である。

1980ー90年代、WWFで活躍したランディ・サベージは知る人ぞ知る「巧いレスラー」の一人であったりする。

この「巧いレスラー」というのは技の引き出しが多かったり、打・極・投すべてできるレスラーを「巧い」というのではない。

少ない技で以下に観客をわかせるか…。

これが本当のテクニシャンである。

今回紹介する「マッチョマン」ことランディ・サベージは出す技は基本的にダブル・アックス・ハンドル、ボディスラムとダイビングエルボーぐらいしかないが、これのどれもが以下にどのように、そしてどこで出すかを緻密に計算されている。

こうすれば、ヘタにテクニックをひけらかして、対戦相手を食うようなこともしない。

大技を連発して、レスラーの人生を縮めることもしない。

鈴木みのるがいうところの「引き算のプロレス」なのだ。

入場する時も試合をするときもコーナートップを使い、多角的な試合を展開させて観客をあきさせない。

きわめて計算された試合展開をしていた。

何よりも必殺技のダイビングエルボードロップの美しさ…それを必殺技にするというランディの天性のレスリングセンスには多くのファンが魅了さてていた。

彼は常に観客のことを考え、以下に飽きさせないかを考えていたのだ。

ランディの凄いところはこの独自ともいえるスタイルでプロレスのスタイルが180度違う日本のストロングスタイルのプロレスにも順応し、さらに不器用なレスラーであったアルティメットウォリアーにもうまく対応していたのだ。

彼を手本とする選手は今でも多くおり、現在WWEで主役として活躍するローマン・レインズもランディ・サベージのファンであったことが有名である。

天龍源一郎は「日米レスリングサミット」でランディと演じた試合こそ、自身のベストバウトであると語っているほどである。

しかし、このような天性のスキルをもったランディの人生は暗いものであったのだ・・・。


ランディには専属マネージャーであり、実際に妻でもあったミス・エリザベスという女性がいた。

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80年代当初、「男らしい男」を意味するマッチョマンをリングネームにしていたランディはヒールとして活躍していた。

美人で純粋なミス・エリザベスに対して横暴にふるまうランディ・サベージ、次第にミス・エリザベスを含めてファンはランディ・サベージに応援をするようになっていった…。

リッチー・スティムボートと伝説的な試合を行った際にランディは悔しさのあまり号泣してしまったのだ。

ファンは完全にランディをヒーローとして持ち上げた。

自身をマッチョマンと呼ぶ傲慢なヒールから虚勢を張りながらも泥臭く戦うアンチヒーローとしてランディ・サベージは愛されていた…。


入場曲の威風堂々も彼が使うと、どこか皮肉なものを感じこれがまた人気を集めていった。


やがてランディは当時プロレスを象徴するヒーローであったハルク・ホーガンと手を組みタッグを結成する。


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しかし、ホーガンに対してランディはすさまじいまでのフラストレーションを持っていた。


泥臭く苦しめられるランディに対してホーガンは常に大勝利を収めていく、まるで月と太陽のような仲…。

ランディはホーガンに対して嫉妬を抱いていたのだ。

やがて、それはドラマにも繁栄されてしまいホーガンとミスエリザベスの仲を疑い嫉妬にかられたランディはホーガンを裏切りヒールに転向してしまうことになってしまった。

ミスエリザベスとの仲もストーリー上は破綻してしまうが、実際には結婚生活をつづけたままだった。

このねじれ方がよくなかった。

ランディはさらにホーガンへの憎悪を募らせていた。

90年代に入りアルティメットウォリアーとの抗争で負けて以降、再びランディはベビーフェイスに戻り、リング上で結婚式を挙げてミス・エリザベスと復縁することになった・・・。

しかし、時はすでに遅かった。


リングの上では結婚式をあげていても、実際にはもう仮面夫婦と化していたのだ…。

7年続いた結婚生活は崩壊してしまっていたのだ。

ミス・エリザベスとは1992年にはとうとう離婚してしまったのだ。



俺が思うにこれが彼の転落の原因であったのではないかと思う。

その後、1994年にWWF(WWE)からWCWに会社を変えたホーガンを追いかけるようにランディもWCWに向かっていった。

しかし、WCWでは思っていたように成功はできずにいた。

そして、時代は90年代を終えて00年代に差し掛かっていったがもう彼はプロレスラーとしての旬を過ぎていたのだ…。

WCW崩壊とともに彼のプロレス人生も潰えてしまった。

00年代にWWFに戻ってきたホーガンとは対照的なキャリアになってしまった。

やがて、2003年にミス・エリザベスは心臓発作を起こし、この世を去った。

それから8年後の2011年にはランディ・サベージも交通事故でこの世を去っていったのであった…。

過小評価された天才レスラーの人生は58年という短い幕切れで終わってしまった。

しかし、悪いことばかりではなかった。

ランディが死ぬ4か月前に、8回目の手術を行っていたホーガンの病室にランディが訪ねてきたのだ。

「調子はどうだい?」


ホーガンは目の前で起きたことが信じられなかった。

あんなに自分を憎んでいたランディがまさか、ここに来るとは思っていなかったからだ。

その後、ホーガンとランディの関係は修復されていったそうだ。

ランディの家族が起こしたパーティーにも参加し家族ぐるみの活動を始めていったそうだ。

そのパーティーの三日後にランディはこの世から去っていった。

もしかしたら彼は自分の死期がわかっていたのかもしれない。

彼の人生は短く、過小評価された人生であったが今彼の残した試合の数々は多くの人に語られており伝説として残っている。

それはまるで、彼が使用していたエルガーの「威風堂々」のごとく永遠に輝くものである。




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