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プロレス超人列伝第8回「アンドレ・ザ・ジャイアント」

1970年代ー80年代は世界史的に見てもプロレスが最盛期を迎えていた極めてまれな時代であった。

そんな時代に世界中で活躍した一人の巨人レスラーがいた。

彼の名前はアンドレ・ザ・ジャイアント。

彼には様々なな異名が多くあった。

「大巨人」「世界八番目の不思議」「人間山脈」「都市型破壊怪獣ゴジラ」「一人大恐竜」…これらの名前からみてもわかるようにアンドレは極めて大きかった。

その身長は220cm230㎏、そのバカでかさのあまり飛行機に乗るのも一苦労であったそうだ。

その巨体に似合ったパワーをしており、288㎏以上あったといわれているマンマウンテンマイクというレスラーを抱えあげ投げ飛ばしている様子が雑誌に掲載されたこともあった。

パワーだけではなくテクニックも優れており、試合においては基本的に投げ技は連発せず関節技や打撃技などを使いネチネチと相手を苦しめるという戦い方を好んでいた。

アンドレがただの怪物系で終わらなかったのはこの小手先の細やかな技巧にあったのだともいわれている。

1946年、フランスで生まれたアンドレはプロレスラーになる前は運送会社で働いていた。(俗に言われるきこり説は創作らしい)

1960年代にはもうすでにフランスでプロレスラーとして活躍しており、かつてアメリカに存在していた団体のAWAの総帥であったバーン・ガニアに見いだされ、アメリカでに移住することなった。

さらにアメリカでブレイクする前には日本ではモンスターロシモフという名前で有名であった。

やがて、バーン・ガニアからビンスマクマホンシニア(現在のWWEの会長であるビンスの父親)のいるWWWFにやってきた。

後のWWF/WWEとなるWWWFであったが、当時は全米マット侵略はしておらずテリトリー制が分かれておりビンスシニアの考えで世界中そのさまざまな団体で観れる選手としてアンドレはプロデュースされていた。

これがきっかけでアンドレは世界中の団体をのし歩いていた。

アメリカでは基本的にベビーフェイスとして、日本ではヒールとして君臨していた。

このプロデュースの成功で、あの伝説の試合となったスタン・ハンセンとの田園コロシアムでの一戦を演じることとなった。


ちなみに、これは彼自身のベストバウトの一つとしても名高い。

これを書いてる自分もそう思っている。

ある時は守護神、ある時は破壊神。その姿はまるでゴジラそのものであった。

世界中のマットを支配していたアンドレであったが、やがて1984年にシニアが引退して息子のビンス・マクマホンに代替わりすると全米マット支配の主戦力として起用されることとなった。

長い間アメリカでは善玉として君臨していたアンドレであったが、1987年にはヒール転向を果たす。


その抗争の相手はハルク・ホーガンであった。

ホーガンと長い間抗争を行い、彼に立ちふさがる壁として君臨していたが1990年代に入ると善玉に代わっていった。

やがて、長い間支えていたWWFも退団すると…数少ない親友であったジャイアント馬場のいる全日に上がり「大巨人コンビ」として晩年を過ごした。

そして、映画業界では彼のように巨大な恐竜が暴れまわる「ジュラシックパーク」が猛威を振るっていた1993年に彼はこの世から去っていった。

やがて、WWE殿堂入りの第一号としてアンドレは表彰され現在に至るまで多くのレスラーにとって伝説として現在でも語り継がれている。

だが、そんな彼には隠された一面があった。

リングの上だけではなくかなり内部でもとんでもない暴君であったのだ。


その暴君っぷりは尋常でなかった。

1980年代、WWFの全米マット侵略が行われていた中アンドレは当時のライバルであったビッグジョンスタッドと試合を行っていた。

アンドレは巨人であったが、ビッグジョンも204㎝160㎏という負けない大男であった。

だが、アンドレは彼のことを認めなかった。

というのもロープを越えて入場するというアンドレのスタイルを彼の断りなしに使用してしまったことが原因であった。

人嫌いで知られていたアンドレはこれを永遠に憎んでいた。

彼との試合の最中に尋常ではないガチの打撃を何度も彼に食らわせていた。


あまりの恐ろしさにビッグジョンは試合の最中にリングの外に出てきてリングアウトを図ろうとした。

唐突な出来事にビンス・マクマホンは駆けつけて「何をしている」とビッグジョンに問い詰めた。

彼は震えて小さく言った。

「あいつに殺される…」


それだけではなく、長い間アンドレのライバルであったホーガンはHBOのドキュメンタリーの中でランディ・サベージやアイアンシークのような自身が嫌いな相手には事前の打ち合わせすら拒否し彼らの試合の最中には時々危険な角度の技を繰り出していたことを暴露していた。

キングコングバンディやグレートアントニオといった選手ともいさかいを良くおこしていたともいわれている。

WWF黄金時代にアナウンサーをしていたジーン・オーカランドはこのように語っている。

「アンドレ・ザ・ジャイアントは影のボスだった。二度も同じことを言わせない。」


さらにキャリアの末期になると深刻なアルコール中毒に陥っていたともいわれている。

泥酔状態のままで試合をすることもしばしばあった、日本でも多くの人がしっている前田日明とのシュートファイトも一説には酔っ払ったアンドレに誰かが空気を入れて前田に痛い目をみさせたやってくれといった可能性が多くの関係者からは語られている。

それがUWFに悩まされていた外人選手か新日本のフロントか?

残念ながら、そこまではわからない。

さらに長年WWFや様々な団体でマネジメントをしていたジム・コルネットは「アンドレが本気で前田を潰す気ならあんな手を抜くわけがない。酔っ払って軽い遊びの程度でやっているのではないか。」と語っている。

良くも悪くもアンドレ・ザ・ジャイアントという男には様々な伝説が飛び交っている。

現在でもその伝説が語られているのは彼という存在がゴジラ同様に唯一無二の「怪獣王」であったからなのだ。





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