この世界の片隅で考える事 〜パレスチナ問題とは何か〜
(2023.11.10 記事の題名を変更しました。本文はそのままです。)
最近のイスラエル・パレスチナの紛争激化は、各国の報道機関で毎日のように報じられている。そこで映し出されるパレスチナの人々の姿は、私たち人間の罪深さと責任を物語っている。
私事で恐縮だが、昨年の夏に投稿した、↑の記事へのアクセスが、他の記事のそれを引き離す勢いで伸びており、正直驚いたが、それだけパレスチナ問題に興味を持った方が多く、そして今回の出来事が与えた衝撃が大きかった事も感じた。
私自身は、正直この問題の専門家でもなく、学生時代にちょろりと勉強した他は、ニュースや本で情報を得る程度の一市民だが、それでも今回の件については色々な事を感じている。日本のマスメディアの報道だけだと、この問題の背景が見えず分かりにくいと感じたので、私自身の意見も交えて今回書いてみようと思う。
①パレスチナ問題とは
そもそも、なぜこの問題が起きたのか、皆さんはご存じだろうか?個人的な印象では、日本国内で歴史的な背景までをきちんと取り上げている報道機関が少ないので、背景知識がないままだと「イスラエル国内で、また突然武力衝突が起きた」くらいにしか見えないと思う。
このテーマを語るには、紀元前にまで遡る必要があり、またユダヤ人・アラブ人の歴史を知っておく必要がある。あんまり深堀りすると、それだけで論文が何十本(いやもっと?)書けるくらいの話なので、詳しくは関連書籍に当たって頂きたいが、概略を捉えるには、まずこのWebサイトの解説を見るのがいいと思う。
↑の一連の記事を読んだ方は、お気付きだろう。ユダヤ人とアラブ人が最初から対立していた訳ではなかったと。
そもそも、今のイスラエルがある土地には、紀元前にイスラエル王国という国があった。この国を統治していた、ダビデ・ソロモン両王の時代は繁栄していたが、度重なる重税や徴兵により国は疲弊。ソロモンの死後、イスラエル王国は分裂・弱体化し、その隙を周辺の大国・アッシリアや新バビロニアに突かれる形で、分裂した王国は滅んだ。その時、一部の住民はバビロニアに連行され(世にいう「バビロンの捕囚」)、残りの人々も土地を追われて世界各地に離散した。その後色々な変遷を経て、王国のあった土地に住み着いたのがアラブ系住民である。
各地に散ったユダヤ系住民は、差別や偏見にさらされながらも生き延びた。職人や商人、農民等、色々いたが、宗教上の理由でキリスト教徒が卑しいとした、金融業等に就いて富を蓄える者も現れた。その存在は時代を経るにつれ大きくなり、オスマン帝国のように、宗教は違えどその存在を受け入れ、帝国の中枢に起用する国もあるほどだった(オスマン帝国は末期の頃を除き、能力重視で他の民族・宗教の者も多々採用した)。
時が流れ、19世紀に入るとナショナリズムが勃興する。その中で、ユダヤ系の人たちにも「自分たちの国をもう一度」という意識が出始め、いわゆるシオニズム運動が盛んになってくる。
その後、ユダヤ系・アラブ系双方の関係を変える出来事が起こる。第一次大戦中、当時のイギリスが、今のイスラエル・パレスチナの土地を、ユダヤ系・アラブ系それぞれに与える約束をしたのだ。大戦により財政的苦境に立ったイギリスは、ユダヤ系の富豪からの支援の見返りに、彼らに再び「祖国」を取り戻させる事を認めた。また同時に、オスマン帝国の領土分割を狙った欧米諸国(イギリス含む)と、オスマン帝国からの独立を目指したサウード家(サウジアラビアの建国一族で、今に至るまで同国を統治する)の目論見が一致し、アラブ系とも手を組んだ。
世界史の授業等で、いわゆる「二枚舌外交」として説明されるこの出来事に追い打ちをかけたのが、1930年代以降にヨーロッパ・ソ連で行われた、ホロコーストやポグロムである。それまでも、莫大な富と影響力を持つ者もいたユダヤ系は、民族・宗教の違いから差別されていたが、ナチスドイツやソ連等の政策(プロパガンダ)により、ヨーロッパやソ連にいたユダヤ系住民は捕らえられ、収容所に送られたり、僻地へ強制移住させられたりし、果てに数えきれない人々が命を落とした。
こうした経験をしたユダヤ系の人々は、自らの土地を再び手にしなければ、という思いを強めた。戦前から既に、ユダヤ系住民のパレスチナ地域への移住は進められていたが、ホロコーストやポグロムにより、「自分たちの国がなければ、安心して生きる事は出来ない」という強烈な恐怖心が植え付けられたのだ。
そうして、戦後1947年に国連の承認を受けて、ユダヤ系住民の国であるイスラエルが建国された。この背景には、ホロコーストに対する反省(懺悔?)もあったが、第二次大戦でボロボロになったヨーロッパで、ユダヤ系住民を受け入れる余裕がなかったり、あるいは戦時中に奪ったユダヤ系住民の財産や家等を彼らに戻す事を拒んだ国もあった事が影響した。
この出来事で、ユダヤ人に代わって土地を追われたのが、パレスチナに代々暮らしてきたアラブ系住民だった。彼らは長くその土地で暮らしてきたのに、自分たちの与り知らぬところで、他者の思惑により土地を奪われてしまったのだ。
②過去の罪を他者に押し付ける国際社会
その後の経緯(中東戦争、オスロ合意とその後の衝突)については、これまた長くなるので、前述の記事や関連本をご覧頂きたい。
ただ、ここ最近の出来事でも分かるのは、国際社会の責任は計り知れぬほど重い、という事だ。パレスチナ問題に限らないが、こうした問題を長年放置し、自分たちの利益を優先させてきた結果、しっぺ返しを食らっているように見える。
今回のハマスの攻撃自体は、決して正当化出来るものではなく、「テロ行為」そのものだが、彼らをこうした行為に走らせたのは、パレスチナの人々の絶望感ではないか。ハマスが今回襲撃した地区は、元はアラブ系の住民が暮らしていた土地で、イスラエル政府の政策により、アラブ系住民が追い出され、ユダヤ系住民が入植した場所である。ハマスの論理で言えば、今その土地に住んでいる人々は「自分たちの土地を奪った相手」となるだろう。
パレスチナをさらに追い詰めたのは、近年のアラブ諸国の動向だろう。長年パレスチナ問題を懸案としてきた国々が、アメリカ(と一部は中国)の仲立ちでイスラエルと国交正常化を進めた事で、深い絶望や孤立に追い込まれた人も多くいたはずだ。こうした状況になると、人は時に恐ろしい行動を引き起こすが、ハマスの攻撃はまさにその一例だったのではないか。だからといって、今回の襲撃は許されるものではないが、「ハマス殲滅」を名目にガザへ無差別攻撃を繰り返すイスラエル政府も、ハマスと同じ事をしている。これも決して許してはならない状況だ。
こんな状況でも、国際社会は分裂し無力な状態をさらしている。国連や関係諸国の会合では、ガザへの人道支援を促進する法案一つすら通らず、各国の足並みも揃わない有様だ。過去に犯した罪をそのままにした挙句、その結果苦しむ人たちを助けられずにいる国際社会は、一体何なのだろう。我々が今なすべき事は即時停戦への働きかけと、民族や国籍を問わず、今回の攻撃で傷ついた人々に寄り添う事なのに・・・
③「無関心」のその先へ
ここまでツラツラと書いてきたが、では私たちに何が出来るのか?色々考えたが、まずは「今起きている事に関心を持つ」事ではないだろうか。
きっかけは何でもいいと思う。日々のニュースを見たから、家族や友人・知人から聞いたから、とかでいい。気になった事について、関連情報や書籍を見て知識を集める。それを誰かと話す・議論したり、あるいはデモに参加したり、ネットで発信するのでもいい。現地への支援活動に当たっている団体に寄附したり、ボランティアや職員として参加するのもありだろう。(一昔前なら、政策に関わる点では、政府や国際機関への就職も手だと思っていたが、ここ最近の機能不全ぶりを見ると、現場レベルで出来る事はさらに減ってるのではないか)
これは自分への戒めでもあるが、無関心なまま、あるいは「お金も力もない自分には何も出来ないから」という感じで、諦めて何もしない事はやめよう。自分を取り巻く環境や、社会の出来事に対して「おかしい」と感じたら、決して自分の心に蓋をせず、自らの頭で考えて行動してみよう。人ひとりに出来る事は限られていても、一歩先を踏み出せば、少しずつでも状況は変わる。
今回のように、様々な事情が絡まった問題を前にしたら、青臭く楽観的な考えかもしれないが、私自身はやらずに後悔したくないから、ほんの些細な事でも出来るところからしていきたい。この記事を読んだ方にも、何か残るものがあれば、と願っている。
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