「区切り」の話
3月が終わった。今月から毎月の終わりに日記を書いてみようと思う。自分の中で何が起きたか、何を成せたか、何を考えたか、それらを一つの「区切り」として月末に書き記すのだ。
「区切り」
時間が連続的に流れている今の生活では、とても大事なことのように思う。昨年の8月、(正確にはその少し前から)鬱病を患いこの生活に突入した。
思えば2023年は様々な「区切り」と共にあった。
長年付き合いのあった友人達との交友関係の区切り、新卒から入社し6年勤めた会社との区切り、自分を受け入れない地元など必要ないと新天地を求め生活してきた東京という地との区切り
どれも道半ばの悲しい区切りだった。
僕は比較的保守的で、物事を続けたり維持し続けるということが苦じゃない性格だ。それと自分のことをあまり優先しないきらいがある。
それ故に引き際をいくつか誤ってしまってこの結果に辿り着いてしまった。僕にもう少し、自分を労わる技術があれば、自分で幕を引く勇気があれば、最悪の結末は回避でき、今も東京で友達と遊戯王でもやりまくる生活を送っていたかもしれない。
区切りというのは悲しいものだけじゃない。昇進、結婚、出産、新しい趣味との出会い、人生におけるネクストステージに進むそれらもたくさん存在するだろう。
僕の友人からも次々それらのニュースが届く。喜ばしいことだ。
しかし、子育てと仕事に追われるあまり夫婦喧嘩も増え、命を削りながら趣味のFIFAに興じる男や、あれだけ好きだったタバコを奥さんの前では吸わなくなった男、子供のために貯金を貯めて買ったバイクを売った男、僕はそんな友人達の一面も見ている。区切りというものの前で、人は変わらざるを得ないのだと思う。
さて、3/31といえば年度末というやつだ。前職は8月が会期末だったため、学校教育卒業以来ここ数年はあまり意識したことのないものだが、世間的には大きな区切りらしい。
Twitter(X、そう呼んでるやついないだろ)のトレンドでハイツ友の会の解散と、GAGのメンバー離脱、ドンココの事務所退所が連続して流れてきた。これも年度末パワーか。そういえば最近は和牛、コウテイ、尼神インターの解散とかもあったなぁ。
年々M-1のエントリーが増えてるってことはその分お笑いを志す人が増えている一方で、前線で戦ってる人間からすると色々考えることもあるのだろう。
詰まる行く末、追いかけてくる若い芽、相方はこの人間でいいのか、やりたい笑いでのし上がれるのか、一時代を築いた松本人志でさえこんな形で表舞台を去るのか…とか。
ちなみに僕は松本人志という人間は別に好きでも嫌いでもなくて、昨今のFRIDAYに端を発する問題も当事者同士で解決に向けてやってくれればそれでいいよ…という派なんだが、世間はそうは思わないらしい。
もしも元号が平成のままだったら松本人志はまだまだ確固たる地位を築き上げ、白髪のジジイになっても「お前あほちゃうか!?」とか言って高額のギャラと名声を手に入れてたんだろう。
しかし時代も令和に区切られてしまった。
音楽、映像はサブスクでいいよね!ブランドなんていらない!服はユニクロで!腕時計はApple Watch!ミニマリズムで余計なものは捨てよう!誰も傷つけない笑い!丁寧な暮らし!丁寧な暮らし!インスタに写真を載せて、皆に自分の栄華を知らしめよう!過去も現在も関係ない!不祥事を起こした者は人間のクズ!二度と世間様に顔を見せるんじゃねぇよ!Twitterで徹底的に叩いてこの薄汚えハエを潰そう!
これが令和という時代なんだから、致し方なし。松本人志が恨むべくは告発してきた女性じゃなくて菅官房長官だろうな。
驕れる者は久しからず、これも一つの区切りなんでしょうな。
世の中は「区切り」に溢れている。
「区切り」に負けるな。継続することこそファイティングポーズだと僕は思う。どんなに飽きがきても、身体を壊して続けられなくても、辞めなければそれは継続だ。もしこれを読んでくれている人がいるならば、共にファイティングポーズを取り続けようじゃないか。
とりあえず僕にできることは毎日薬を飲むことと、YouTubeに毎週ラジオを更新することくらいしか今はできない。それが何になるんだって言われちまえばそれまでだけど。
でもそのうち、今に見てろよ。俺はファイティングポーズをやめないぜ。