見出し画像

「わたしはあつい」GARUGORAスポーツ物語#20(2023/3/20)


からだがあつい。今朝目覚めてから、だんだん気になってきた。窓の外の放課後の子供達の声がうるさい。熱かな、と思う。急いで体温計を探し脇に挿し込む。


じゅっ


気のせいだと思った。体温計を見てみる。
ディスプレイは困り顔で「85℃」と表示している。こんなのあり得ない。思わず冷や汗を垂らす。


じゅっ


水滴がちょうど肩のところで蒸発した。こんな時に人間は不気味な笑みを浮かべてしまう。怖い。信じたくない。何か疾患というわけではなく、ただ体の温度が上昇しているのである。

スマートフォンで調べようとする。しかし少しタッチパネルを触ると「ジジ…」と鳴るのだ。検索できる頃にはショートするのがオチだと思う。おそらくそう長く服も着られないだろう。わたしは裸になった。
あつさがどんどん上昇していくのを感じる。

ふと最近YouTubeで見た動画のことを思い出した。内容は1000℃の鉄球をバターの山の上に乗せたらどうなるのか、という有名なものである。動画で鉄球はズブズブとバターの中に埋まり、沈んでゆく。

わたしはああなるのかもしれない。現にわたしの周りの空気は変な音を立て、体表からは煙が出ている。温度上昇がここに来て程度を強めているのを証拠としては満足すぎるほどに感じていた。どうしたらいい。


わたしはドアノブに手をかけた。














18歳で高校を卒業して、わたしはシンガーソングライターを目指して上京した。高校時代に組んだバンドが、思った以上の手応えだったからだ。わたしはバンドで曲を作っていた。もちろんメンバーも誘った。しかしボーカルは医者に、ベースは弁護士に、ドラムは教習所の講師になるという。すぐに断られた。夢を諦められないわたしは単身東京へ行くことになり、信頼できるのはこのアコースティック・ギターそれだけだった。
今はネットの時代だ。良い曲ならすぐに人の目にとまることができるし、世界は広い。わたしの曲をよく思う人がこの世に一人くらいはいるはずである。わたしはバイトで買った安いマイクに口を近づけ、弾き語りを始めた。


「ラブネス・スカイ」

今日はあなたに会えない
いつもあなたに会えない
こんなにも会いたいのに
いつもあなたに会えない
そんなとき天使は言った
「見上げてみて、ガール」
魔法のように天使は言った
「見上げてみて、ガール」
そう、そこはラブネス・スカイ
あなたも見てるねラブネス・スカイ
星空の涙ラブネス・スカイ
流れ星のKISSラブネス・スカイ 
流れ星のKISSだよね


YouTubeにあげるとしばらくしてコメントがついた。



「ダサくねww」
「このダサさは絶滅したと思ってた」
「罰ゲーム?」
「デジタルタトゥー乙」


ネットで音楽を見定めているような人間なんて、感受性がイソギンチャクと同レベルになっているんだ。本当の良さなんて分かりっこない。本当に後世に名を残す人は、ネットでなんか評価されないんだ。わたしはお金を払ったら弾き語りを披露させてもらえるバーへ行った。どうやらそこには業界人が行き来しているらしい。わたしはそういうところで評価される人間なんだ。





「名古屋からギター1本で上京して来ました。」
「おっ、いいね、若いね」
「聴いてください、『ラブネス・スカイ』」




店にある酒をありったけかけられた。さしずめアルコール雑巾、一丁上がりといったところである。野次を要約すると、もう人前で一回も歌わない方がいいらしい。
わたしはこのラブネス・スカイを見上げた。

つまるところ、わたしは人に認められたい。親を泣かせてまでこのビッグ・シティに来たのも、このくだらないエゴのためである。わたしは、誰にも負けたくない。でも誰かに愛してほしい。誰とも被りたくないけど、自分の弱さには目を向けたくない。

酒を拭きながら、わたしはどうでも良くなった。糸が切れたように音楽への興味が無くなったのだ。気がついたら店のマスターに、「ここで働かせてください」と叫んでいた。







時は経ちバイト、正式な店員、そして今では店長を任された。38歳、独身。決して裕福ではないが1人で生活するには不便ではないように思う。今日も二日酔いの頭を抱えながら、飾り物に成り果てたギターに一度も見たことのない映画のステッカーを貼り付ける。
















でろじゃわっ


ドアノブが、溶けた。むしろ蒸発したのに近い。理性的に外に出る手段が無くなってしまった。もう足をついている床も溶け始めている。既に1000℃は超えただろうか。 

何がこうさせたか。私は二階の窓へ向かおうとする数秒間で考えをめぐらせた。

バーでのあの夜。殺したはずの思い。仮に、仮にである。その思いが燭台に置かれた小さな蝋燭の火として心の奥の奥に潜んでいたとしたらどうだろう。忘れてしまった火種は怖い。なにかをきっかけに倒れた蝋燭は体内で炎を育てて、体の中でコアとなり着々とわたしの体温を上げていたとしたら。

だんだん意識が朦朧としてきた。おぼつかない足取りで窓の方へ向かう。わたしは両腕で窓を貫き、人が一人通れるような穴を焼き開けた。外から流れ来る木枯らしがわたしを一瞬冷静にさせた。既に皮膚は燃え上がり、裸体は火の玉に近づいている。行こう。
助走をつけて、勢いよく外へ飛び出した。


薄れる意識の中で、子供達の声が聞こえる。ほとんど絶叫で、大泣きする者もいる。あらゆる窓からスマホを向ける人がいる。


わたしは今、変態か、隕石か。


お世話になるとしたら警察か、消防か、地球防衛隊か。


今、わたしは人生で一番みんなに見られているかもしれない。肯定でも否定でもなく、ただそこに「ある」ものとして認識されているのである。いや、否定に近いか。わたしは笑っていた。確かに笑っていた。そして笑ったまま地面に着く前に完全に煙になり、塵と消えた。



子供達はまた遊び始めた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?