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義憤ダイアリー #001 純ジャパの障壁

こんにちは、初めまして。
ペンネーム がるびあと申します。

今、友人と一緒に起業を考えていて
絶賛事業案を練り中です。
元々やろうとしていたことはあったのですが、
コロナ禍で実現が難しそうになったため
改めて仕切り直しています。

タイトルにある「義憤」。
私が参加している
ミレニアル女性向けキャリアスクール
シーライクスのブランディングコースで学んだ、
ブランドの発端となる社会への憤りのことです。

世の中にはこんな不便なことがある🔥
もっと世の中に広がって欲しい
こんな価値観がある🔥
といった、ブランド・事業の根っこの想いです。
(私自身の解釈のため、詳しくはご受講ください!)

事業案を絞っていくにあたって、
色々と自分が人生で抱えてきた
義憤を洗い出したのですが
全部は叶えられないにしても
どこかで成仏したいなと思い
noteにまとめてみることにしました。


***


今日お話しするのはタイトルにある
「純ジャパの障壁」。
わたしは高校・大学と国際系の
学校・学部にいたのですが、
その時に感じた義憤です。


純ジャパとは、帰国子女ではない
海外経験がほとんどない人を指す言葉として
私の周りで使われていた言葉。

帰国子女や外国籍の学生に比べて、
純ジャパは国際系の道に進むのが大変。
もっと気軽に純ジャパを国際人材に!
少なくとも英語を話せる人材になって欲しい!


という義憤です。


***


私は家族旅行とかでも海外に行ったことがない
純ジャパとして育ちました。
中学までは東京の片隅の公立学校に行っていたので、
帰国子女なんて学年に1,2人くらい。
(地方に比べたらこれでも多いのかもしれない)

純ジャパではない帰国子女や外国籍の学生は、
それぞれ海外で過ごした経験があって
国際系の道を志すのは自然的だと思うのですが、


私のような海外をほとんどTVやネットを介してしか
知らない学生でも、どこかで興味を持って
国際系を志すきっかけがあります。
ちなみに私は発展途上国のために何かがしたいという想いからでした。


でも純ジャパが国際的な人材になる、
英語が話せるようになるには障壁が大きい。

まず受験に際して。


私が国際系の高校を受験した時、
公立高校で国際系の学科を持っている学校が
そもそも1つしかなかったのですが、
一般入試は科目が3科目と少ない上に、
英語だけ難易度が高かった。
英語を勉強したての中学3年生の時点で
結構人より英語ができていないと入れない。


私は塾にも英会話教室などにも通っていなかったので、
学校で習う以上のことは知らず
周りとの差別化が難しかったように思う。

帰国子女は帰国子女枠の推薦が別であったので
ほとんどはそこから入っていたと思うのですが、
一般入試に彼らが参入してきたら
英語の点数で勝てっこないという状況。
実際、国際系により力を入れている
私立高校の滑り止めとして
一般入試を受けている帰国子女も多かったとか。。

大学入試、私は早稲田の国際教養に
AO入試で入ったのですが、
私が受ける前年までは、
志望理由書を含む出願書類は全て英語、
入試は英語の長文3つにそれぞれessayが2つずつ書いて
(日本語も1つくらいはあったかも)、
最後に英語の面接があるようなスタイルでした。


そんな・・・そうそうたる帰国子女が挑む中で
純ジャパが勝てるのかよ・・?という内容。
当時は完全にAO入試は帰国子女用、
一般入試は純ジャパ用みたいな認識だったと思います。


幸い私が受けた年は、若干純ジャパへの配慮が入り
面接はなくなって、essayは半分が日本語へ。
英語も日本語も両方出来ないと受からない仕様になり、
無事に受かることが出来ました。


でもそれは私が高校から
国際系の学校に行っていたから、だと思う。
もし私が普通科出身だったら
絶対に受かっていなかった・・と心底思います。


***


AO入試の受験会場、やはり周りには帰国子女が多くて、
受験の前後にもみんなで英語で会話していました。
(私の根性がひん曲がっているのか、
周りにこれみよがしに会話しているように見えた)


私はその時に、

「絶対に帰国子女に負けてたまるか、
私ような純ジャパこそが国際人材になるために
教育を受けるべき人間だ」


と言い聞かせて自分を落ち着けていました。

これはもちろん誇張した表現で、
帰国子女も自分の選択でそのような立場にいるわけではないし、
海外経験の中で辛い思いや努力をした上で
英語力を身につけたわけだし
(帰国子女が身近にたくさんいたので、
そういうエピソードも知っている)


彼らが悪者で、純ジャパが正義だと
言いたいわけではないんですが、
もっともっと国際人材を育てていかなきゃいけない
日本という環境で、自発的に
そういう人材になろうと志始めている人を
もっと尊重してくれればいいのでは?と思いました。


***


そして日本には、帰国子女か留学した人ではないと
英語は話せない・使えないという風潮が
まだまだ全体的にある。
中学高校と普通の英語教育を受けても、
英語が話せます!使えます!と言える状況には
残念ながらならない実情がある。

(注:もちろん、例外的に純ジャパでも
めっちゃできる人はいる。
これを天才というのか・・???
っていう人もいるんだよな。。)


私は高校でどの教科よりも英語英語英語で、
長文も死ぬほど読んだし、単語も毎週テストして覚えたし
帰国子女と混ざりながらディベートもめっちゃしたし
大学で授業全部英語で意味分からなくて
挫折したことも一回じゃないし
留学先でも毎日泣きながら必死に食らいついて・・・
やっと英語出来ます!と言えるくらいの
クオリティになったと思えたんだけど、


そんな経験を経なくても、ステレオタイプを捨てて
英語出来ます!って言える純ジャパが増えるべきだし、
ほぼ日常的に使わないような
英検1級の英単語なんか知らなくても、
英語が話せる国際人材になって欲しい。


他の国だと一度も海外出たことなくても、
全然英語でコミュニケーション
取れちゃう人はたくさんいるんだけどなあ。


以上、私の一つ目の義憤でした。


今も塾の講師としてたまに働いているんだけど、
その中でもテーマでもあるかな。
共感してくる人、いるだろうか。。?

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