創作の話

創作ってのは要は「自分が見ることのできる幻覚/幻聴までしか作れない」んじゃないのかって最近思うことが増えてきた。

というのも、まぁ単純に今の世の中誰も彼もが絵は上手いし文章も上手い、何なら3DCGやその他芸術何でもござれに見えるんだけど、実際のところそれだけやってる訳じゃなくて、インプットとして何かしらやってるんだよね。歳をとるんだから口を開けても親鳥は食べ物をくれないんだからそりゃあそうなんだけどさ。

でもって、歳をとるにつれそのインプットがしんどくなる。体力的に余裕が無くなりもするし、精神に余剰が無くなったりもする。そうなると自分にとって新しいものが受け入れられなくなってくるし、若いものが何でも恐ろしく見えてくる。そうなると、自分が作れるものも時代に対して古くなるから誰にも見向きされない。キップルが増えるだけになる。

しかもそのキップルは増えるだけじゃなく、自分の精神的空間を埋めつくしてもいく。他人の創作物と比較なんてしてしまった日には何乗にもなって増殖する。そして自分が埋まる頃には、最早自分すらキップルになって古い使い物にならない何かになってしまう。

よく「その創作はあなたにはできない」だなんてあるけれど、実際は似通った幻覚/幻聴を我々は見れてしまうからそんなことは無い。自分の創作は誰だってできる凡庸なものに過ぎない。ただ他人が作るより早くできただけなのだ。そしてそのささやかな気持ちでさえ他に上手い人がいたら埋まる程度のつまらないものでしかない。自分が作るものは他人だって作るんだから当然である。たかだか三桁しか閲覧数がいない癖に誇るな。筆を折れ。地球に無価値なキップルを増やすな。地球には価値があるものだけを保存しろ。価値の無いものは排斥しろ。何も産むな、生きるな。

という幻聴がしょっちゅう聞こえるので文章にした次第である。実際のところは筆は折ろうにも折れないし、書かないなりに心が苦しくもなるので、結局筆を折れないなら無価値なキップルでも作るしかないのだ。とはいえ自分のものが所詮大したものでないのはわかっているのが悲しいところである。

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