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【小説】駆けて!ホンマチ⑰

 トシ君の後ろ姿を懸命に追いかける。お腹がひどく重たく感じるのは、たらふく食べたサンドイッチのせいだ。食いしん坊の私だが、非は認めたくはない。その罪深き美味しさに全責任をなすりつけたい。


 昼下がりの蟹江町本町商店街には、活気が漲っている。決して道幅の広くない通りは賑わいを増し、軒を連ねている店舗前には人だかりができている。

 立ち止まっての井戸端会議が熱を帯びるおばさんたちや、3,4台が連なって人並みを縫うようにすり抜けていく自転車の小学生たち。

 よもやのお尋ね者出現の一報に、現場へと急行するトシ君の姿は、だんだんと小さくなっていく。人を掻き分けるように、右へ左へとステップを刻むような走りを強いられ、消耗していく体力と苛立たしさが反比例する。


 それにしても、このタイミングの悪さには閉口する。計算され尽した緻密な設定で会場を爆笑の渦に包み込む、あの吉本新喜劇の脚本にも匹敵するのではなかろうか。

 トシ君に、おじいちゃんの味方についてもらおうと、私とマドンナと高倉健の関係性を説明しようとする矢先だった。

 オデオン劇場の前に高倉健が現れたというスクープ情報により、意を決した私からの告白は本題に触れることなく寸断された。

 従って今現場に向かっているトシ君は何も知らないままという、非常にまずい展開になっている。


 喫茶ソルティからひたすら走ってきた。距離にして300メートルくらいだろうか。決して体力に自信があるわけではない私にとっては相当な運動量で、脚はパンパンになり呼吸も大きく乱れる。

 本町酒店を横目で見ながらドレミ亭を通過し、神社を越えて銀行を過ぎると、ようやく『オデオン劇場』という映画館が視界に入る。その前あたりに人だかりがあるのが確認できた。

 一人の男の人を中心にして、何人かが輪になっている。円陣に取り囲まれているのは、高倉健ことおじいちゃんだろう。

 荒れた呼吸のままの私は恐る恐る近付き、少し距離をとってその様子を観察した。だが、その小さな群集からは、恐れていたような緊迫した雰囲気は伝わってこなかった。


「とんだ人違いだな。本町で知り合った女もいないんだろ」

「確かに右手の甲に痣はあるけど、まったく顔が別人だ」

「ああ、高倉健じゃない。これじゃあ植木等だな」

 一人がそうからかうと、取り囲んでいる男たち全員から笑いが沸き起こった。トシ君もその中にいる。

 真ん中にいるおじいちゃんの正面へと回りこんだ私は、その顔を見て驚いてしまった。ふくれっ面で迷惑そうな表情を浮かべているのは、おじいちゃんそのものだったからだ。若い頃からほとんど変化のない顔立ちに、思わず吹き出しそうになる。

 それにしても、おばあちゃん。いくらなんでも高倉健は言い過ぎでしょうと突っこみたくなる。私は高倉健さんの顔をはっきりと思い浮かべられるような世代ではない。でも精悍で凛々しい顔立ちという印象は強く残っている。

 恋は盲目という言葉もあるが、おばあちゃんの美的感覚を疑わざるを得ない。


 しかし、その稀代の的外れな感覚が功を奏し、お尋ね者のはずのおじいちゃんは人違いとして扱われ、強固な包囲網をすり抜けようとしている。

 私はほっと胸を撫で下ろした。運命の赤い糸というのは、そう簡単に断ち切られたりしないのだと感激し、じわじわと涙腺が緩む感覚さえ覚えた。


 取り囲んでいた輪が崩れかけ、おじいちゃんは無罪放免となる雰囲気の中、一人の男の気まぐれな発言が事態を急変させた。

「ああ、俺そういえばマドンナの写真持っとるわ。念のために見てもらおうか」

 その男はそう言いながら財布の中に忍ばせていた名刺サイズほどの小さな写真を恭しく取り出し「ある人から500円で譲ってもらった。どうだ、いい写りだろ」と周りに見せびらかしている。

 それを見た男たちから歓喜の声が上がる中、最後におじいちゃんが写真を確認する番が回ってきた。写真を見ながらしばらくの間、こめかみの辺りを人差し指でぽりぽりと掻いていたおじいちゃんは、突然目を見開いた。

「ああ、思い出した。あの女か。秋祭りのときに下駄を買ってやった女だ」

 一瞬にして場の雰囲気が変わり、誰もが凍りついたように硬直した。気のせいか本町商店街全体に、時が止まったかのような静寂が訪れた。


 私は目をきつく閉じ、頭を抱えた。どうして正直に答えてしまうのだろう。事態は平和的な収束を迎える直前だった。せっかく鎮火しかけた火種に、自ら油を注いでしまう行為に茫然自失とする。


 おじいちゃんは生真面目な人だった。温厚で物静かで、優しい人だった。人に利用されたり、嫌な役割を押し付けられやすい、お人よしな面もあった。そんな側面も含めておばあちゃんは、おじいちゃんの全てを肯定していたのだろう。

 でも、そのおじいちゃんの馬鹿正直な性格が自らの墓穴を掘ったシーンを目の当たりにすると、孫である私は呆れ果ててしまう。


「そいつは確かなのか?」

 一人の男がおじいちゃんに詰め寄った。

「ああ、間違いない。でも会ったのはそれっきりだ。だから俺とは何の関係もない」

 平然とした表情で写真を見ているおじいちゃんに、周りの男たちは一様にして顔を強ばらせながらにじり寄った。

「だったら、あんたにこの本町を歩いてもらうわけにはいかねえ。帰ってもらおうか」


 取り囲んでいた輪の外周が小さくなり、中にいるおじいちゃんの姿が確認しづらくなった。殺伐とした雰囲気の中、小競り合いが起こり、怒声も聞こえてくる。

 おじいちゃんが地面に倒れこんだ。気丈にも起き上がり、一人で男たちに突っかかっていくおじいちゃんは唇の端から流血している。


 気がつくと私は無謀にもその乱闘の輪の側まで駆け寄っていた。「やめて!」と何度か叫んだが、抵抗むなしく激しい怒号にかき消されるばかりだった。

 トシ君の姿を見つけると、夢中でその腕をひっ掴み、あらん限りの力を振り絞って輪の外へと引きずり出すことに成功した。

 私は正面からトシ君の両肩を掴んで、見上げるようにして訴えをぶつけた。

「トシ君、あの人を、健さんを助けて!守ってあげて!それが、私が今日ここへ来た理由なの!」

 困惑の表情のままトシ君は「えっ?」と眉間に皴を寄せる。

「とにかく助けてあげて!理由はあとから話すから。私はマドンナさんを連れてくる!」

 叫ぶようにそう言い残し、私はその場を離れた。


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