【小説】駆けて!ホンマチ③
私の自己紹介をしておこう。
名前は神谷真汐。両親に尋ねたことがないので、名の由来は知らない。『ましお』という音の響きは気に入っていたが、小学生の頃に『ごま塩』というあだ名を男の子につけられたときには、名付け親である両親を本気で恨んだものだ。
県立の普通科高校に通う、ごくありふれた女子高生のつもりでいる。人並みに常識を持ち、高校生として平均的な思考思想を携える没個性的な人間だと自己分析している。
喋ることと食べることが大好き。ジャニーズとかのアイドル系にはそれほど興味がなく、むしろお笑い芸人を推している。
だからなのか「少し変わってるね」と友だちに首を傾げられることもしばしばある。
人見知りで寂しがり屋だが、性格的には楽天的にできている。
なんだか支離滅裂な自己紹介になってしまったので、この辺りで打ち切りたい。紹介しきれなかった部分は、おいおい付け加えるつもりでいる。こんな取るに足らない私の、詳細なパーソナルデータが必要となればの話だが。
話を本編に切り替えたい。
JR蟹江駅から駅前商店街を南進した私は、ふたつ目の信号交差点に差し掛かった。少し道幅が広い道路が横切っており、ここは車の通行量も多い。赤信号で足止めを食らう間に周囲を観察する。この交差点には小さなスーパーや女性向けのフィットネスクラブ、学習塾が軒を連ねており、右手に見えるマンションの一階部分にはテナント店が並んでいる。その向こうには飲食店らしき看板もいくつか確認できる。
ようやく町らしい風景にありつけた。ひっそりとした寂しげな町並みは、名東区民である私にとっては異質な空間に感じた。容赦なく肌に照りつける太陽と立ち込める湿気で滅入りそうな天候にも関わらず、無意識に普段よりも早足で歩いてきた。
名東区が洗練された都市部で、蟹江町が田舎だと暗に示しているつもりではない。説明が難しいが、独特の空気感を覚えていた。初めて訪れた場所なので当然なのかもしれないが、町自体に受け入れられていないようなアウェー感と言ったらいいのだろうか。
地方のスーパーの営業に出向いた芸人さんが、数人しかいないお客さんの冷ややかな反応に怯える心理状態に似ているのだろうか。
とにかく、やっと頻繁に車が行き交う道路に交わったことで日常の感覚を取り戻したのだ。
しかし、私の目指す本町商店街は、この交通量の多い目の前の道路を横切り、その奥へと続いていく路地だ。ここから見る限りでは今歩いてきた道路よりも道幅が狭い。それを証拠に一方通行の道路標識がある。
信号が青に変わり、横断歩道を渡る。いよいよ本町商店街へと踏み入る。それを示す看板などは見当たらないが、この通りの両側に等間隔で立ち並ぶ街路灯の上部に設けられている表示スペースに『本町商店街』という表記がある。このレトロな佇まいの茶色い街路灯には『ココストア吉村屋』『大島米穀店』といった屋号も掲げられている。近辺にそれらしき店舗は見当たらないが、かつて存在していた名残ということなのだろう。街路灯の胴体部分に貼り付けてある白いプレートを見ると『平成元年八月三十一日完成 蟹江町商工会』とあるので、およそ30年前までには街路灯の本数どおり、たくさんの店舗が立ち並んでいたのだろうと推測できる。
ここに訪れた証拠を残すため、スマホのカメラを立ち上げて『本町商店街』の街路灯を撮影した。曲線を描く煤けたブラウンの支柱から、透明のフードカバーを被る電球が上下に二基並ぶ。上のフードには黄色、下には緑色のアクセントが取り入れられており、その絶妙なアンバランスさが面白い。
本来はスマホのカメラではなく、ミラーレス一眼レフカメラを持ち出して撮影する予定をしていた。頂き物だが私の宝物だ。
好奇心旺盛で凝り性の和歌子さんは、数年前に突然カメラ女子と化した。同年代の女優がプライベートで写真撮影を始め、自慢げに作品を紹介していたテレビ番組を観て感化されたのだ。レンズも数本買い求め、被写体に飢えていた和歌子さんは私までをもモデルとして登用した。旅行にカメラを携えるのではなく、撮影のために旅行に出かけるほどにのめり込んでいた。この時点で和歌子さんのカメラは私の元にやってくる予感がしていた。
和歌子さんは母の友人だ。母よりも一回り以上年上だが、かつて共に通っていた英会話教室で意気投合し、未だにその親交は途絶えていない。
凝り性だが飽き性。熱しやすく冷めやすい和歌子さんの元から、我が家に連れられてきた健康器具や調理家電、美容関連製品などが山積みになっている。
生活に余裕があり、子どものいない和歌子さんのことを母は「お金の使い道に困ってる」と揶揄する。「自分が要らなくなった物は、他人にとっても不要物だと気付いとらんのだわ」と笑いながら嘆いている。和歌子さんには悪気などない。良かれと思っての行動だ。母も私もそれは分かっているし、和歌子さんから貰った物の中には出色の逸品もある。
スポーツ自転車は二つ下の弟が乗り回しているし、高圧洗浄機は父のお気に入りだ。ロボット掃除機だって毎日健気に働いてくれている。
予想通り私の手元にやってきたホワイト基調のミラーレス一眼レフカメラ。その可愛いフォルムに虜になった。全くの初心者だという不安などすぐに払拭され、日常の風景を切り取る作業の楽しさが分かりかけてきた頃だ。
ちなみに和歌子さんは、今のところカメラ趣味が途絶えたわけではない。ワンランク上のクラスのカメラに買い換えたため、お古が私に巡ってきたのだ。
しかし今日は、とんだ失態を犯してしまった。あろうことか、ドジな私はその愛おしい愛機を玄関に置き忘れてきたのだ。出掛けに靴紐を結び直している数秒間で、綺麗さっぱりとその存在を忘れてしまっていた。
今頃、玄関脇で呆然と佇み、主から忘れ去られた寂しさに打ちひしがれて塞ぎこんでいるに違いない。家に帰ったら『ごめんね』と抱きしめてあげよう。
とにかく、私は本町商店街に足を踏み入れた。この通りのどこかで、おばあちゃんとおじいちゃんは運命的な出会いを果たした。その小さなひとつの出来事が、今の私へと繋がっている。その繋がりを手繰り寄せるように、この場所にやってきた自分の行動力を褒めてあげたい。
そんな感慨に耽っている私は、自分のルーツとも言うべき本町商店街の風景を、もう一度しげしげと見渡してみる。
かつては隆盛を極めていた商店街。日用雑貨店や生鮮食品店、娯楽施設や飲食店が立ち並び、文字通り近隣住民の生活の基盤となっていた。
やがて、郊外大型店の進出や生活スタイルの変化に併せて、少子高齢化による人口の減少や流出の結果、商店街は徐々にその市場を縮小せざるを得なくなった。
よく耳にする話だ。時代の波、という一言で片付けてしまうのは残酷にも思うが、大きな流れには抗えないことも理解できる。
賑やかだった商店街がシャッター街へと姿を変えるという話題には、その当事者でも地元民でもないけれど、やはり寂しさを感じてしまう。でもそれは、便利で快適な現在の生活様式の恩恵を受け、それを全面的に肯定している私自身に矛盾を生じさせる。
改めて目にする本町商店街の風景は、想像とは違っていた。事前に下調べをした誰かのブログで数枚の写真は見ていたが、実際に訪れてみると予想以上の有様に困惑してしまう。
ここには商店街の面影など、どこにも見当たらない。一方通行の狭い道路沿いに立ち並ぶ住宅街であるとしか表現のしようがない。蟹江町商工会が30年以上前に設置した煤けた街路灯が遺跡のように立ち並んでいる姿だけが、以前の町並みを物語る唯一の存在になっている。
30年余りの間に、これだけの数の店舗がなくなってしまったという事実には愕然とする。物凄い勢いで様変わりを果たしたということは容易に想像がついた。
そう、ここはシャッター街ではない。シャッター街というのは、まだ比較的最近まで続いていた商店街の姿なのだということに初めて気付かされた。
軽い気持ちで蟹江町本町通りを訪れた私は、いきなり先制パンチを見舞われた気分になる。