自己分析:わたしはミラー
はろもい。
カグラサチコです。
突然ですが私の趣味は「自己分析」です。
ふと、自身の状況など顧みて、なぜそうなったのかなど自分の性質について色々考えてしまいます。「好き」というか「癖」です。
その癖に気付いたのはここ何年か前ですが、それ自体はずっと子どものころからやっていたように思います。
noteにはその「自己分析」についても書き残していこうと思います。
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私はフリーターです。
私はデザイナーです。
フルタイムの非正規雇用労働者です。
アルバイト先は小売業で、インハウスデザイナーをしています。
クライアントが社内の人間になるので外部の方との打ち合わせはほぼなく、クライアントの「こうしたい」とブランディング保持のための「こうあるべき」の狭間で常に心を削られております。
そんな社内ミーティングをしていて気付いた自分の特性があります。それは、無意識のうちに相手の口調を真似てしまうことです。
相手の語尾が強まれば私の語尾も強くなるし、おっとりさんには私も柔らかな口調になる。
理詰めでこちらを馬鹿にするような物言いに対しては揚げ足を取ろうと息巻いてしまう。
このように、相手の話し方を無意識にコピーしてしまう傾向がある人は少なからずいて、あなたの周りにもそれなりにいるのではないでしょうか。
真面目な人には真面目に応対しないと失礼だし、フレンドリーに接してくる人はいい距離感を持って仕事したいと思ってくれているので無理がない範囲で応えたいと思うのは善人の性。イライラしてる人に温厚に応えられるなんて相当人間出来てるとしか思えないし、もしかしたらこれを読んでくださったあなたもその傾向があるかもしれません。
しかしながら、自分で言うのも憚られる程に私のそれは度を超えており「相手によって変わる自分のキャラ」に自分で驚いてしまうのです。
実は学生時代に同じことを違う角度で悩んだことがありました。中高の友人、大学の友人、専門学校の友人、恋人。全てのグループで自分のキャラが違いすぎる……。
高校時代の友人に「変わっちゃった」と嫌味を込めて言われた事もあって「私のアイデンティティとは?」など、センチメンタルなことを考えたりもしていました。
そしてその時は「環境の変化」に全ての原因があると考えていました。実際環境が変われば、どう振る舞えば自分にとって利があるのかも変わってきます。そう言う意味では、したたかな人間であればある程「環境」でキャラは変わるものだと思います。ただ当時の私にとっては、私自身は変わってないけれど環境が変わったのだからある程度キャラが変わるのは仕方ない、と考えた方が自分の変化を受け入れやすかったのだと思います。(恋人によってポリシーまで曲げる女子はまだ少し理解できませんが、それも私が幼いからなのかなと思えてきた今日この頃)。
過去にも悩んだ「キャラ問題」に遂に終止符。10年越しで出た答えがただの「モノマネ癖」なのでした。
あくまで無意識のうちにやっていることでその善し悪しについてはこの先検証していくとして、少なからず思ったのは「私はあなたの(あなたは私の)鏡」という事です。
私だって相手がトンチンカンでイライラしてきつく当たってしまうことだってあります。まだ修行が足りぬので。
だけどなんて事ない時、声の大きさだったり、高さだったり、トーンだったり、話すスピードだったりを真似してしまう。その場の空気に流されやすい単純な人間と言えばそれまでなのですが、それが「癖」だと気付き、最近はそれを自分でも面白がっています。この多様なキャラクターこそが私のアイデンティティだと思っています。
そうやって考えると「環境」というのもあながち間違っていなくて、「こうありたい自分」でいるためにはその理想像でいられる環境へ身を置くことに注力すれば良いわけです。色んな人がいて他人をを変えるのは難しいのでそんなに簡単なことではないですが、類は友を呼ぶ・朱に交われば赤くなるとはよく言ったもので、やはり同じ方向を向いた人達は集まりやすいとも考えられます。「この人好きだなぁ」と思える人とたくさんの時間を共有すれば、自分の事ももっと好きになれるかもしれない。
……なんて書くと、根底にあるのは自尊心の低さであることが露呈しそうですね。
自尊心の低さにまた別の機会に自己考察するとして環境を変えることはそんなに簡単な事ではないので、今日も出社して、色んなキャラを演じ分けていきたいと思います。
そして何より、人の悪い部分「モノマネ」しないように、私の悪い部分を「モノマネ」されないように、相手のいい部分をたくさん「モノマネ」できる様に。
今日も心穏やかに
「あなたの鏡」でいたいと思います。
愚文失礼をば。
ぐらしあす。