尊敬と卑屈

突然だが、尊敬と卑屈は表裏一体だと思う。

尊敬には少なからず「自分では及ばない」という感情が混ざっていると思う。よく少年漫画で見る気がする。「憧れているうちは勝てない」とか。実際多分その通りだと思う。

私はよく「人のいいところを見つけるのがうまい」と言われる。そんなことはたぶんなくて、自分の周りの人間って優秀な人が多いだけだと思う。「なにか1つのことをずっと頑張ってる人」「あきらめず自分の可能性を探し続けられる人」「どんな環境だろうと折れずに頑張ることができる人」とうとう。テレビとかで見るようなクソ人間って本当に世の中に存在してるのか?って人ばかり。

他人のいいところを見つけるってのは、少なからず尊敬の念が入り込む。ここで最初の結論に戻るんだけど、「尊敬と卑屈は表裏一体だと思う」。他人に対して劣っているからこそ誰かを尊敬できるんだと思う。

誰かを褒めるたびに自分が劣っていることを突き付けられる。自分は1つのことに情熱を注ぐことはできないし、自分は納得いかないながら敷かれたレールの上を歩いてるし、すごく恵まれた環境にも関わらず頑張ることができない。尊敬するたびに卑屈になる。でもどうしようもなく人間は優秀なんだよな。

もしかしたら他人から見たら私もなにかしら尊敬できるようなところがあるのかもしれない。というか、「人のいいところを見つけるのがうまい」ってとこがそうなんだろうとは思う。ただ、下がり切った自己肯定感では褒められたところで受け入れられないし、驚くほど世の中は生きづらい。他人と比べ誇れることはなに1つもなく、なにかに熱中できるわけでもない、自分の可能性なんて自分が一番信用してない。

他人を尊敬できるのは美点だと思う。自分でもすごいと思う。自己肯定感を犠牲にしながら他人に尊敬をするならそれは汚点だと思う。むしろ、他人を蹴落とすことで自己肯定感を上げれるなら私はそのほうがいい。

まぁ、心の底では常に誰かをバカにし続けている癖に自己肯定感は上がらないからきっと意味ないんだろうな。

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