また今日と同じ明日が来る/二宮和也
4回目のオンガクノイトマは二宮和也(嵐)の「また今日と同じ明日が来る」を取りあげます。この投稿に関する前説は下記の記事をご覧ください。
概要
今年で25周年を迎える男性アイドルグループ「嵐」。
現在は休止中であるが、ファンに向けた25周年のプレゼントとして様々な企画が発表された。
11月3日とは、嵐とファンにとって大事なデビュー日である。
この日は特別であり、色んな出来事の境目となった日でもあるのだ。
彼らは休止してもなお、ファンを増やしている。
そして、そのファンが喜ぶものを提供してくれるのである。
本楽曲について
本楽曲が収録されたアルバムについて話していく。
嵐の通算16枚目のアルバム「Are You Happy?」に収録された。
全16曲のうち本楽曲は10曲目。
また、初回限定盤にはリード曲「Don't You Get It」のビデオクリップとメイキングが収録されていた。
通算5枚目のアルバム「One」からメンバーごとのソロ曲が入っている。
ソロ曲は各メンバーの表現の色が見えるため、ファンとしてはアルバムリリース時の楽しみでもあった。ライブの際にどのような演出がされるのか、も見物であったのだ。
作品について
では、今回のオンガクノイトマで取り上げる「また今日と同じ明日が来る」について話していきたい。
作詞には二宮和也本人が携わる。彼の過去のソロ曲においても本人が作詞に携わった楽曲は数多く、特に「虹」はファンの中でも有名な楽曲だ。
作品の世界観
主人公は男性。
その男性の"恋人と離れた後"の心境が歌われている。
作詞に二宮和也が携わっていることから、おそらく本人の感情と歌詞が照らし合わさっているのではないかと推測する。そうでなくても、過去作から考えて二宮和也という人間は恋愛ソングの歌詞で心を打たれるものがあるのだ。
あの頃の記憶を思い出し、恋人である「君」の姿を思い出す。
その記憶には色がつくけど、その記憶はもう昔のことであるため儚く、そして切なさが表現されている。
「君」といる時間は無限、終わりなんて考えてもいなかった。
今は「君」がいなくなって、君のかけら、つまり君との記憶の断片が残っている。しかし、それを取り出すと僕の胸が苦しくなる。
「君」と夢中になるまで一瞬、ということから「君」と恋に落ちたのはほんの一瞬だった。ゆえに、主人公は「君」がとても大好きであったことを表している。
"どうすれば思い出せる? どうすれば忘れられる?"というと正反対の行動を一行の歌詞にまとめている。ジレンマに陥っている文章によって主人公の歯がゆさ、心の迷いが表現されている。
「君」のことを思い出しては眠れない。
どうしたら眠れるんだろうか、と悩む主人公。
主人公は「君」のことを忘れられない心境、しかし「君」は帰ってこないのだから前を向こうとしている。前を向くためにも、せめてもう一度だけ「君」の声が聴きたいんだという切実な気持ちが伝わってくる。
「君」のことを考えた夜が更ける。鏡を見ると冴えない顔の主人公。主人公のため息でも聞こえてきそうな歌詞である。
「君」の記憶を思い出すことはもう終わり。終わらすためにも、「君」との瞬間を夜空に投げる、つまり主人公のなかで蹴りをつけようとした様子が読み取れる。
「君」の記憶を思い出すたびに鼓動が高鳴る。つまり、「君」との記憶は主人公にとって大切で楽しい記憶。でも、忘れなきゃ。そのために明日を探す。「君」を忘れた明日が来ることで何かの始まりであり、終わりになるとここでもジレンマのような表現が使われています。
「君」の声が聴きたい。もどかしく、苦しい気持ちを抑えきれない主人公。
"あれもこれも欲しくなった"と表現されていることから、主人公は「君」という存在と同時に求めたものがあったと考えられる。
二兎を追う者は一兎をも得ず、とことわざがあるように「君」は主人公が同時に求めたものを得られるように主人公の前から去ったとも捉えられる。
主人公と「君」の関係において、お互いに好きな者同士がゆえに離れざるをえなかったという解釈ができる。
本楽曲のイントロでは音数が少なく、主人公が一人で孤独を感じつつ「君」という存在を忘れられない歯がゆさやもどかしさを表現し、後半にいくにつれて音楽の規模感が大きくなることから歌詞と音楽が融合し、ストーリーが描かれているように聴こえる。
また今日と同じ明日が来る
主人公の気持ちが堂々巡りのようにずっと繰り返されている、そのような状況を「また」というワードを使って表現されているかのようである。
男女の恋愛をテーマにした曲のなかでも、悲しい印象を与えるような楽曲だと考える。
余談
少し余談であるが、2019年1月27日。
彼らが活動休止を発表した日。あれは日曜日であった。
ワタシは趣味の音楽活動で夕方に帰宅。
帰り道の車内、ワタシの携帯には速報で休止発表の文字が飛び込む。
その時、彼らの活動休止発表を知った。
あの時のことは忘れない。
音楽が好きになったルーツのひとつである嵐は自分にとって大切なもの。
永遠なんてない、そんなことは分かっていたけども。
突然、現実を突きつけられた気がした。泣く、という感情も出ずにただ思考停止状態。
帰宅すると、同じく嵐の大ファンである妹が自室で閉じこもっていた。
自宅で衝撃が走り、世間でも衝撃が走り、おそらく日本中が騒然とした。
彼らの活躍は止まることなく、彼らの存在があることで人や会社などの様々垣根を超えてきたのだ。つまり、存在が大きかった。
「これからどうしよう」
嵐がいなくなった日常、そんな寂しいものは無い。
ワタシの最大の推しである大野智のコメントを見て、寂しさもありつつ納得もしながら。彼も一人の人間なんだ、と。
嵐5人も人間だ、それぞれの人生があるわけだ。応援しなければ、と思いたかった。何度、今起きている事実を噛み砕いて腑に落とすことを繰り返しただろうか。
そして今、嵐がテレビの前から姿を現さなくなった今。
彼ら5人で揃った姿を見たくなるものではあるが、その気持ちは胸の奥にしまいつつ、各個人の活動を応援しているところである。
「智くん、元気かな」
今も時々つぶやいてしまう。
昔の彼らの映像を見ると、やはり今でも胸が熱くなる。
そんな彼らの作品をワタシは大切にしたいのだ。