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「自然(Nature)」の力でストレス低減
まずは「自然」を定義してみた
「自然」とは、森や山々、海や河川、生き物たち、青空や星空等々、私たちの環境の中にある人工的でないもの、と言えばいいでしょうか。
よく言う「手つかずの自然」だけでなく、例えば鉢植えの植物や手入れされた庭などにも十分自然を感じることはできます。
外的自然
ただ、私的には、「自然」には身近にあっていつでも触れ合うことができる緑から「母なる大自然(Mather nature)」のような壮大な自然があるので、環境的な自然を総称して「外的自然」と呼びたいと思います。
内的自然
さらに、「自然(nature)」には「天然」とか「本質」という意味合いが含まれることから、人の本質というか、人がもともと持っているもの、という意味で、例えば「自然体」とか「あるがまま」という言葉がある通り、人それぞれの個性的な特性も「自然」と捉えることができそうです。そうしたものを総称して、「内的自然」と呼びたいと思います。
自然とスピリチュアリティ
そう考えると、いま流行りの「ソロキャン」も「ヨーガ」も「マインドフルネス」も、外的か内的かの違いはあっても、いずれも自然回帰への志向性という点では一致しそうで、かつスピリチュアルな体験を味わうことをができるという点でも一致していると考えられることから、自然と「スピリチュアリティ」には共通するものがあるのかもしれませんね。(スピリチュアリティについてはまた別の記事で書きたいと思います)。
ストレスによるダメージからの復元ポイントとしての自然
すなわち、「自然」は環境だけでなく心の中にもあって、それが自分を守ってくれるもの、癒しややすらぎをもたらしてくれるもの、と考えると、「自然」は意外と「すぐそこ」にあり、「気づけばいつでも想い出してよりどころにできるもの」(復元ポイント)といえるかもしれません。
できるだけ楽にと「願う」
私の田舎の母は「しぜんに(ひとりでに)」というところを「じねんに」と言っていました。「ひとりでに」には、「そうなればいいな」という願いや「そうなるでしょう」という期待が入っていると思います。
この場合の「自然(ひとりでに)」は訳すと "natural" ではないと思うのですが、継続することで「じねんに(少しずつ)」人の習慣やこころの持ち方が変わるのであれば、それも人に備わっている本質の一つなのかもしれません。
人それぞれ個性があり、その特長・長所を生かしてなるべくストレスフリーに生活できればベターだと思いますが、そうもいかないことも多い現代社会において、「そうなればいいな」という願いのもとで継続する少しの努力によって、自己の状態や外部の環境を変えうる力を持っているということも、人の大きい本質(nature)の一つなのかもしれません。
結論としてストレス対策とは
結論として、なにかストレスに悩むときに使える、「よりどころ」となる自分なりの成長点や復元ポイントを作っておくことは、こころの健康に大きい役割を果たしてくれると考えています。
・・・高尚な書き方をしてしまいましたが、「よりどころ」は人それぞれ。それは車やパチンコ、ショッピングや食べ歩きなど、依存を避ければ、いわゆる楽しみごと、リフレッシュメントとなるものでもいいわけです。
ただ、相当の苦悩にも耐えうる、人の本質に根差すものと考えると、「自然」はやはり強力で多機能なのかな~と考えています。
今回もお読みいただきありがとうございました。