
庭の余白には2種類あると考えている
物理的余白と精神的余白
物理的余白は見てそのまま淡白になっている空間的な余地
精神的余白はひとの意識が介在できる余地もしくは意識に上がってこないが無意識に見ている間をさすと考えている
どちらも大事で、バランスよく存在するからこそ人の行動や視線、五感、意識と無意識に対してアプローチできるなではないかと考えている
庭木の剪定をする場合もそう
庭という空間デザインをするときもそう
・余白を生み出すことは空間に躍動を与えること
・余白を生み出すことは全てのデザインを有機的に相互作用させること
・余白を生み出すことは技術の基本であり、『人』中心設計の『本』になる考え
身体性や五感、意識と無意識、行動喚起に繋いでいく
素材を活かすのはそれを理解してるからできるんやで
結構求められる「作家性」は大切やけど、正直なところ最後に出すやつ
原理原則は守りつつの作家性
作家性軸にしてやりたいとはあんまおもわない
コピーできないから
なぜかそれを常に求められる。その考えは同意できない
「かっこいい」「伝統美」「〜風」よりも「人」の楽しみや寛ぎを生み出す『場』としての役割の方が、つくり手としてもワクワクするしやり甲斐もある
そもそもコンセプトはサードプレイス
本題に戻ると
都市デザインや建築デザインにおいても『余白』は命であり、都市部や室内空間においての人間の感じる心地良さに影響するだろう
まどをどこにつけるか、
公園や緑地帯をどこに配置するか、
余白のデザインはサードプレイスにおいての空間創出には無くてはならない考えやねんで
もっともっとレベルアップしたい