奈良旅行記2「大化の改新を巡る冒険のロマン」
はるか古の、ある朝のできごと
夜半から降り続いた雨は夜が明けても止むことはなかったと言われている。
長方形の建物の周囲には武装した多くの人々が行き交っていた。彼らが気にするのはぬかるんだ足元などではなくて、どうやら不審者の接近のようだった。
多勢に守護された建造物は、周囲を多くの柱に支えられて持ち上げられている。横長の屋根は山々の尾根を思わせるほど広く長かった。
後に「板蓋宮」と呼ばれることになる、この国の政の中核を担う場である。
日の出の時刻より続く雨のせいで辺りは薄暗い。
いつもは外からでも、開いた窓から宮殿の中が多少は見通せた。誰が中にいるとか、何人が揃っているかとか、その程度は分かるくらいには遠目でも覗けるのだ。
今はまるで闇の中にあった。
「お側を守る者は殿の周りにもいるのだろう?」
先程から一人の衛士が宮殿を険しい顔で眺めていた。そして、近くを通った家人(けにん)にそう尋ねる。
話しかけた衛士の方は槍に簡素な胴丸を身につけているが、家人の方は履物さえも破れたみすぼらしい出で立ちだ。身分の違いが一目で分かる。
「あい、門にはたくさんの槍を持った人たちがおります」
それを聞いて衛士は素直に安心……できなかった。
別段、この身分の低い凡夫が信頼できないという訳ではない。彼らは職務に忠実であり、常に身一つで自分たちの命に従ってくれる。
それでも衛士の心が今日の空のように晴れないのは、この場を取り巻く空気のせいであった。
「何か、変ではないだろうか」
確証なく言い放った言葉に家人は首を傾げた。
「あい?」
「見知った者が、見知らぬ格好をしておる」
衛士はその違和感を躊躇いなく口にしていた。
そうだ。
いつもならば自分と同じ服装でもって宮殿を守る役目を果たすはずの衛門府の者たちが、今は見知らぬ渡来の人々の格好をしている。
一人ばかりではない。二人、三人……。
「ああ、あの方たちはですねえ、何でもからびとのお使いだとか」
「違う。三韓の使者は既に伴を連れて宮殿に到着されておる。それが何故、このように宮中の周りを彷徨いておるのだ。それに先程、門が閉まったのを見た」
「はて、雨が激しくなってまいりましたので、入り口が濡れるからでございましょう」
「何故それを三韓の使いの者が行ったか」
普通、宮殿にて儀式が行われる場合、門の開閉は衛門府の者が担う役割だったはずだ。
彼と同じ府に所属する者が門を閉める。
しかし、何らかの手違いで三韓の使者……すなわち渡来の人々が代わりを務めたのだ。
それだけでも異常な出来事であるのに、まるで三韓からの使いを装った人々が宮殿の周りにやたらと集まっているのだった。
衛士はこの雨が止むまでに、何かのっぴきならぬ恐ろしいことがあるのではないかと予感した。
…………。
歴史にロマンを求めるとはどういうことか
ロマンという言葉がある。
語源的にはロマンスの略であり、ラテン語によって書かれた物語ではなく、ロマンス語によって書かれたものという意味がある。そういった話に冒険ものや恋愛ものが多かったことからロマンという語に冒険譚や恋愛物語といったイメージが結び付けられる。
ロマン主義まで話を広げると、絵画や小説における運動にまで言及しなくてはならない。一旦、その手前で立ち止まって考えを巡らせてみよう。
「ロマンがある」と私たちが評価する時、その胸に湧く感情は何なのだろうか。
辞書を引くと、冒険や恋愛への強い憧れ、と出てくる。それならばロマン=憧れなのだろうか。
実際にはもう少し広い意味でこの言葉は使われる。憧れももちろんそうだが、何かすごい可能性に出くわした時や、大きな夢を描いた時にも「ロマンがある」と言わないだろうか。いずれにしても憧れから出発しているのに間違いはない。しかし、ある時は皮肉や揶揄のために使われることもある。例えば、「ロマン武器」はかっこよさを追求するあまり欠陥が多い武器のことを表す。
「歴史にロマンを感じる」と言う時に胸の中には何への憧れがあるのだろうか。
例えば先の記事で私は唐招提寺を訪れた。そこで当時の僧の気持ちになって胸を躍らせていた。あの時の心が躍る感情は果たしてどこに向かったロマンだっただろうか。別に俺は当時の僧に憧れてはいない。タイムスリップして彼のようになりたいとは思わない。
それでもこれから各地を練り歩きながら、当時の人達の足跡をたどる時には確実に興奮を禁じえない。
二日目の旅程を支配するのはロマンを巡る謎になりそうだ。
ここもまた日本の中心なれば
こういう場所を訪れるのが、旅行において最も楽しい思い出として残ることが多い。
場所は飛鳥宮跡。
看板でも立っていなければ、ここがただの野原と何が違うのかと思われてしまうだろう。あるいは何かの建物跡ではあるらしいけれど、そこまで大騒ぎするほどのものなのだろうかと首を傾げられるかもしれない。
ここにはかつて板蓋宮という建物が存在したとされている。時代は大体七世紀くらいだろうか。その頃の天皇が住んでいた宮殿である。マヘツキミと呼ばれた有力人物たちがこの地で謁見し、また外国からの使節も訪れたのだろう。
そう考えると、この場所は何か特別な場所のように思えてこないだろうか。
かつて日本の中心であった場所が、今は畑に囲まれた一画に眠っている。
今は多くを草地に覆われてしまっているけれども、資料が確かならばこの場所にかつてマヘツキミや宮仕えをしていた人たちがいて歩き回っていたのである。
私は露出した石の上をゆっくりと歩みながら、時に妄想を膨らませては立ち止まる。もしかしたら、こんな会話がやり取りされていたかも知れない。こんな噂話が広がっていたかも知れない。今も何処かから人々の声が聞こえてこないか、往復して考えを巡らせる。
太陽が照りつけてこの場所はそれなりに暑くなる。七世紀にもそんな時期はあったろう。汗を拭いながら、この宮殿を守る任を果たすために持ち場を守っていたかも知れない。
現代の状況と過去を重ね合わせて思いを巡らせる。
そして、この場は日本史上で重要な大化の改新が始まった場所である。歴史の授業で聞いた覚えがある方も多いだろう。あの中大兄皇子と中臣鎌足によって成された、蘇我入鹿の暗殺事件だ。
この出来事は大化の改新の中でも乙巳の変として取り扱われている。冒頭に書いた小説風の導入は当時の場面を夢想しながら書いたものだ。まだ不勉強なので細部に誤りや曖昧な部分が見られるかも知れない。
私は現地でも衛士になりきって歴史の一大転換点を、様々な角度から目撃しようとあるき回っていた。立ち位置を変えて、「きっとここまで建物に近づける人は、これくらいの身分だったろう」とか「見張りはここからきっと入れてもらえなかっただろうな」とか足元を見ながら空想を続ける。
別に特別キーパーソンになりたいという欲求はない。中大兄皇子の気分を味わいたいとか、蘇我入鹿になって首を斬られる瞬間を想像したいとか、そういうものは際立って存在しない。
あくまでこの場に居た人たちの視線が欲しいのである。
そして、様々な視点を手に入れられた時に特に喜びを感じる。見張りをしていた者たちが何に備えていたのか。どういう事例があって、何に警戒するのか。そして、当時の緊張具合はどうだったのか。
旅のしるし
本を読んで当時の時代背景を学べばまた空想はさらに詳細になる。そうして出来上がった舞台に足を踏み入れる。そんな営みを旅行が終わった今でも頻繁に行っている。
蘇我入鹿とはどういう人物だったのか。彼の父や祖父はどのように蘇我氏の影響力を中央で発揮してきたのだろうか。そして、どうして入鹿は暗殺される運びとなったのか。
事情を知れば知るほど旅の思い出はより深くなり熟れてくる。
本当ならば予備知識を入れた状態で現地を訪れるのが良かったのだろうが、あいにくその準備は出来ないまま旅行二日目を迎えてしまった。
それでも、大まかにでも情報を掴めていればただの昔の建物の基礎部分を見ても、そこに何か数多くのドラマが見い出せる。
空想の世界に色を付けて人物に血を通わせる。当時の状況を再現する道標を集めて、頭の中に世界を作り、遺構と照らし合わせながら歩く。
これは一つの冒険なのだ。未知なる過去を、歴史の事実という地図を頼りにして、時に空想で印をつけながら歩く。その行いに私は心を躍らせてきたのだ。言うなればロマンを見出してきたのである。
だからきっと私の旅は冒険への憧れというロマンから成り立っている。
もう今はそこにはない遺構を瞼の裏に蘇らせて、現実のレイヤーに空想を投じる。それ自体が時を巡る冒険であり憧れに繋がっているのだ。