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戦場ヶ原に満ちる黄金の波紋。座の渇望する奥庭、中禅寺湖。

 少し記憶の曖昧な昔話から始まるのだが、小学生の時に修学旅行で日光を訪れた当時、私たちは三班に別れたはずだった。何かの体験学習を選び、そこから名勝地へと向かった記憶が存在しているのである。

 体験学習の内容はさっぱり記憶にない。自分が何を体験したのか覚えていない。もはやその宿泊旅行のカリキュラムは私の妄想ではないのかとも思えてくる。本当に不安になってくる。そもそも修学旅行は日光だったか?

 しかし、訪れた名勝地は覚えている。華厳の滝だ。かろうじて残っている記憶は水の勢いが激しかったということである。石のアーチがあって、足を踏み入れると霧のようなものが辺りを包み、ぽつぽつと頬に水滴が当たる。眼鏡をかけていた方は結構イラついたと思う。

 イラついたと言えば、級友の小笠原くん(仮名)が写真を撮ろうとして滝に寄ったらカメラが濡れて、「何だここ」と静かにキレていた。何だここって。滝ですよそりゃ。引率の先生に写真を撮ってもらい、その写真はきっともらったはずなのだけれど、今はどこにやってしまったのか手がかりすらない。

 物理的な思い出として写真を残したはずなのだが、それが行方不明となっており、俺の脳裏には肌で受けた水の感触と小笠原くんのキレ芸(でも多分本当に彼はキレていた)という非物理的な記憶が残っている。面白いところだ。

 風景写真に思い出を込めるのは難しい。

 一眼レフのカメラを手にしてから、構図やらホワイトバランスやらに気を取られ出して、目の前の光景を相応しい形で切り抜こうと腐心してきた。続けていると頭の中には撮影のハウツーやら構図の技法やらがぐるぐる回り、まるでゲーミングデバイスのようにカメラのボタンやツマミを操作して、光量や感度の補正を繰り返してしまう。

 そうやっていくつの感情が残せただろうかと、この文章を綴っていても思う。

 ただ、本当に自分でも「よく撮れたな」と実感できる一枚には、特別な思い出が宿るものである。そういう一枚をいつも求めているのだが、一回の旅で一枚撮れれば良い方である。

 結論から話してしまえば、今回はそんな写真と出会えた。だが、話をその場所へ持っていく前に、もう一度話題を最初の地点に戻す。

 修学旅行で三班に分かれた私たちは、華厳の滝と中禅寺湖と戦場ヶ原にそれぞれ送り出された。私は前述した通り華厳の滝コースだ。ならば、選ばなかった「中禅寺湖」と「戦場ヶ原」はどんな場所なのだろう。ふと、那須の辺りの地図を眺めているうちに疑問が湧いてきたのだった。ちょうどそれは過去にプレイしたマルチエンディング型のアドベンチャーゲームの道筋を頭に思い浮かべて懐かしみ、他のエンディングへと心を砕いたところに現れる気まぐれに近い衝動だ。

 自分に触れそうで触れなかった選択肢がある。これまではその事実にさえ気づいていなかった。気にも留めなかった。一瞬一瞬を選択の連続で暮らす我々にとって、それら全てを精査して検証していれば、生きにくさに嘆きを禁じ得ないだろう。それでも、小学生の修学旅行で回収し損ねた景色や情景には興味が湧いた。私の訪れた華厳の滝が特別しょぼかったとか、そういう訳ではないし、逆に今後の人生観に大きな影響を及ぼしたとも言い難い。

 脱出した迷路の、あの時の分かれ道。きっと正解には続いていないだろうが、本当はどうなのだろう。別のゴールがあるのではないか。はたまた行き止まりで酷い失望を食らわせられるのではないか。

 その興味が私を動かし、奥日光は戦場ヶ原へと向かうことになった。

 まず、差し当たっての疑問。「戦場ヶ原」と聞き、諸兄も抱くであろう。戦場ヶ原とは何の戦場なのか? 私は調べるまで、どこぞの地方武将が戦を繰り広げた跡地だと思い込んでいた。

 その予測はまるで外れる。

 結論から述べると、戦場ヶ原は神々の争いの舞台なのだ。

 どんな神が、何を目的に戦いを繰り広げたのだろう。

 一方は、栃木県にそびえる二荒山(男体山)の神。そして相手方は群馬県の赤城山の神だ。

 両者は大蛇と大ムカデに姿を変えて壮絶な争いを繰り広げた。奪い合ったのは、この戦場ヶ原付近に広がる中禅寺湖の所有権であった。美しい中禅寺湖を我がものにしようと神々が戦った地。それこそが戦場ヶ原の名前の由来となっている。

 戦いは栃木県側の二荒山の勝利と言い伝えられているそうだ。

 その戦場を囲むように歩道が整備されており、人々は古き神々の躍動する様を想像しながら湿原を眺めて散策ができる。

 少しだけ地理の話をすると、この湿原は元々が川の流れているだけの場所だった。が、付近に男体山が出来たことにより水流が堰き止めらせて、湖沼が形成された。戦場ヶ原の原型は堰き止め湖だった。

 その上に山からの噴火物が降り注ぎ、水生植物と混ざり合って泥となり、やがて陸地が出来上がった。こうして大湿原が誕生することになったのである。

湿原の底に残った鉄分が分解されて、川底へと集まっている。
この辺りの地名は「赤沼」。このように真っ赤に染まった川が由来とも言われる。

 立ち入りの制限された湿原を眺めながら歩き、倒れた木々の切り口に細々とこびりついた苔を眺め、遠くに聞き慣れない声の鳥のさえずりを聞く。

 そうしてこの場所にたどり着いた。

絵画の題材になりそうな、インスピレーションに満ちた戦場ヶ原の景色。ここで神々は争った。

 一面開けた場所で、周囲は見事に山々に囲まれている。圧巻の情景だ。コロッセオの最前列にでも放り込まれたようだった。今は終わってしまった神々の争いを、その時代の誰かはここで同じように眺めていたのだろうか。そんな想像をしながら、ベンチがあったので一旦カメラを置いて、座って茶を飲みながら三十分くらいじっとしていた。

 黄金色に地面を彩るのは、倒れてしまった草紅葉だろうかススキだろうか。波打つような模様に見えてくる。その立体感は絵画の風景を思わせる。そんな空想にふけると、今自分のいる場所が波打ち際のように思えてきた。

 うねる植物は波だ。ただし動きを奪われて絵画の中に囚われている。絵筆でレリーフのように引かれた波紋である。金色の海辺を見つめて、そこに広がるパノラマから音を感じ取る。

 草木の隙間を跳ねる微風は静かに波音へと変わる。漣のように聞こえる瞬間もある。かと思えば、時に凪を挟んでまた絵画の存在へと戻ろうとする。

 その後、戦場ヶ原を一望できる場所も巡ったが、心に残ったのは湿原の海にぽつんと浮かび上がった一瞬の景色だった。

 空想と物語と絵画の狭間に入り込んだあのひとときは、例えこの旅の写真をすべて失っても忘れはしない。湿原は幻覚を見せる。きっとその感覚はビデオでも写真でも掴めない。立体感の情報が再現できないからだろう。

 得難い時間だった。来てよかった。

 戦場ヶ原を後にして中禅寺湖へと向かう。戦場ヶ原のハイキングコースを出てから、なかなかに体の疲労があって、帰りのバスで席に座ったら何だか動きたくなくなり、このまま宿へと帰ってしまおうかとも思ったが、むざむざ目の前の非日常を見逃すのは勿体無いような気がして、立ち寄ることに決めた。

 ただ、湖畔を冒険する元気はなかったので、どこか遠くに登って全貌を眺めるだけにしようとした。良さげな高所のデッキを見つけて、柵に体を預けながら日が傾きつつある頃の中禅寺湖を観察する。

日差しの強さが逆光になると写真は撮りにくい。
湖は綺麗に見えるけれど、それを精一杯綺麗に残すのは至難の業である。

 水面をなぞる五月の風は肌に少し冷たかったが、それもまた神秘的で良いと感じた。絶え間なく風の吹く湖は、その奥に何かを隠しているような予感を与えてくれる。

 近くからフェリーが出ていた。中禅寺湖を一周してくれるらしい。三階建ての立派なフェリーだ。内装はシックな色調で和風を気取っている。チケットを買って乗り込むと間も無く船出した。

 早々にデッキに登って風を受けていると、スピーカーからテープの音声が流れてきて、この湖にまつわる知識を教えてくれる。古くはこの湖にこぞって諸外国の大使館が別荘を構えて夏の時を過ごし、その為に「日本の外務省は夏には中禅寺湖に移動する」と言われるほどだったらしい。

こんな場所に泊まり、闇夜で奥深くなった夜の湖を見たいと望んでしまう。

 今は昔。

 現在では一般に開放されており、そのモダンな建物から中禅寺湖を臨むことが可能だという。

 湖の奥には何があるのだろうか。

 湖と海の違いは塩辛いかどうかではなく、果てがあるかどうかだと思う。海には果てが無く同じ場所に戻るのみだが、湖はどこかで引き返さなくてはならない。その地点が果てという訳だ。

 中禅寺湖の果て、それこそが戦場ヶ原で争った神々が求めた奥庭のような場所なのかもしれない。そんな風に考えながらデッキでコーラを飲んで待つ。やがて一つの小島が見えてきた。

 上野島(こうずけのしま)。

ここが日光の最果て

 この島には二荒山神社を開山した勝道上人と、東照宮への道筋を立てた天海の墓があるらしい。

 確かにここは日光のあらゆるルーツが眠る、まさに最果てであった。

 私はこの奥庭を覗き見て、陸に帰り、そして今度こそ帰路に着いた。最初は小学生の時の修学旅行のリベンジのつもりだったが、いつの間にかそんなことは忘れて、感情の赴くままに旅を続けていた。得たことも多く、これから伸ばしていける感情の多くも掴めたし、感性の引き出しの増設にも繋がった。

 これにて那須塩原と日光をめぐる紀行を締めくくる。旅に出る度にこういった記録を残していきたいが、こればかりは根気とやる気の問題なので、どうなるかは分からない。

 でも、今まで書いたこの四つの記事を読み返すうちに、行きっぱなしの旅行は少し物足りないなと思うようになったのも事実である。

 旅をして、書く。

 こんな贅沢なことが人生において他にあるだろうか。足と頭を健康に保ち続けられる限り、この喜びを噛み締め続けたいものである。

 読んでくれてありがとうございました。


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