20歳になりました
こんにちは、雪野です。タイトルの通り、20歳になりました。
振り返ってみれば、私が歩いてきた道のりはなかなかに荒れていました。道が荒れている上にそもそも私は上手く歩けない。二度と通りたくない、苦い思い出ばかり残る道でした。
最近よく聞く発達障害
程度はともかく、おそらく、私はそれを持っているという自覚があり、その自覚は日に日に強くなっています。
昔や今の言動や困り事を思い出してみると時々ぴたっと当てはまることがある。HSPの特性が発達障害と似てるとも言われているし、私の元々の性格なのかもしれないし、ホントのことはよく分からない。
わかったからといってなにか大きく変わる訳では無いけど、だから私は生きづらかったのかなって。吃音とHSPと発達障害、そりゃ上手く歩けないわけです。
私はずっと何かに葛藤したり苦しんだり闘いながら生きていて、でもそれは個人に対してというより、社会と環境と過去と私自身に対して苦しみ葛藤しながら生きています。
いつの頃からか、私は自分を大事にできなくなっていました。親しい人が幸せになるなら自己犠牲は厭わないし、例え自分に理不尽が降りかかったとしても「仕方ない」で済ませて。
誰かが幸せになるなら自己犠牲は厭わない、寧ろ私は幸せになるべきではない。今あるものに幸せを見い出せばいい、これ以上求めてはいけない。
幸せが温かくて優しいものだと知っているから、だからこそ壊してしまうのが怖くてそう言い聞かせてきた。
どうしてわたしは、友人もバイト先も大学や生活環境も恵まれていると言えるのに、こんなにも愛を渇望しているのだろう。
自分の心も身体もたくさん傷つけたし、そうすれば自分の中にある罪の意識を無くせる気がしてた。決してそんなことは無かったのだけれど。
生きていてネガティブなことの方が断然多いけど、それでも生き続けられる力があるだけいいんだ、小さな喜びや温かみで前に進めるならネガティブを肯定したっていいんじゃないかなって、時々、考える。
20年経っても相変わらず歩くのは下手くそだけど、手を引いてくれる人はいる。
そんな人達と一緒に、とりあえず、私は生きていく。